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先生!  作者: 榎本壮詩
4/11

3:また明日


 二人の若き男女が一つの机を挟んで向かい合う。

 程よい緊張感が漂う中、先に口を開いたのは、銀髪の青年だった。


「まず、色々と確認をしたいのですが、いくつか質問をしても構いませんか?」


 申し訳なさそうに縮こまって座っていたイノリは、びくっとその小さな体を揺らし、今にも消え入りそうな声で、恐る恐る答える。

 

「も、もちろん、何なりと聞いてください」


 目元まで伸ばされた銀罰の奥から僅かに除く鋭い視線を敏感に感じ取り、イノリは目を合わせるどころか顔を上げることもままならない。

 『部屋の中に入れてもらう』という目的を達成したは良いが、手段をもう少し選ぶべきだった、と彼女は今更ながら猛烈に反省する。

 そんなイノリの心を見透かしたかのように、ソウマがすいっとメガネを押し上げ質問を始めた。

 

「なぜ、あのような場所にいたんですか?」

「あの、お、お部屋に入れて頂こうと思いまして……」

「お引き取り頂くよう、申し上げたと思いますが」

「あ、えっと、あの……はい……」

「ここは三階ですよ?自分がどれだけ危ない真似をしたか、わかっているんですか?」

「すみません……」


 なんとも歯切れの悪い答えと態度に、ソウマの苛立ちは募ってゆくが、溜息を一つ吐くと、気を取り直したように話を進める。


「今朝、何も聞かずにあなたを帰らせようとした私にも否があります。でも、だからと言って不法侵入とは、一体何のつもりですか?」

「す、すみません」

「謝っているだけではわかりません」


 怒鳴られているわけではないが、静かに語られる言葉の端々に付着した呆れや苛立ちに、イノリはますます小さくなる。

 しかし、ソウマの言う通り、謝るだけでは話が進まない。

 イノリは、ちらちらとソウマの様子を伺いながら話し始めた。


「えっと……ですね、話せば長くなるんですが――」

「できるだけ簡潔にお願いします」

「うっ、はい……」


 思いっきり出鼻をくじかれる。

 ここでめげてはいけない、と彼女は自分を叱咤する。


「えーっと、初めて正社員で、初めての出勤ということが嬉しくて、物凄く張り切っていたから、というのが、理由……です」


「……初めての正社員?」


「あ、あの、私、二年間くらいずっとアルバイト生活で、ずっと安定して働ける職場を探してたんです。学術院基礎科は何とか卒業できたんですが、魔導も、操作も一番ダメなランクDで、互換テストでは測定もできないくらいの落ちこぼれで……どこにも就職できなくて……」


「……」


「だから私、知り合いの紹介で受けてみた母校の採用試験に受かって、夢じゃないか、って思いました!学術院始まって以来の落ちこぼれと言われていた、この私が受かるなんて、って! それもエリート中のエリートが集う、『国立魔石魔導学術院 高等研究所』!

今でもまだ信じられないくらいです! だから、本当に本当に嬉しくて、すっごくすっごく楽しみで、とっっっっても張り切っていたんです!」


「……」


「でも……門前払いされてしまって、『ああ、やっぱり落ちこぼれはいらないってことかな』と、今朝は思いました。でも私、悔しくて……採用試験は受かったのに、ここまで来てやっぱりいらない、って言うのはあんまりだと思って……それで、このまま諦めて帰る訳にもいかないとので、お話だけでも聞いてもらおうと……」


「……」

 

「でも、真正面から行けば、また閉め出されちゃうと思って、窓から……」


「……」


「……」


「……」


(な、なんとか言ってよ!怖いよ!その無言が!見えない目元が!)


 ソウマの無言の圧力が、イノリを追い詰める。

 

 しばらくの沈黙の後、ソウマは今日何度目になるかわからない溜息を吐き、重く閉ざした口を開いた。


「正直なところ、あなたの思考回路は全く理解できませんが、何がしたかったかはわかりました。今後はこのような無鉄砲な行為はしないように、それさえ約束していただければ、今回の事はもう結構です」


 言葉の意味を測り兼ね、イノリは何とも言えない表情を浮かべる。

 そんなイノリを無視して、ソウマは早口に続ける。


「先ほども言った通り、私も今朝は失礼な態度を取りました。比率はだいぶおかしいですが、今回はお互い様、ということにしましょう。その代り、二度と、今回のような短絡的な思考で、意味の解らない危ない行動に走らないでください。正直迷惑です。今日はたまたま大きな事故にはなりませんでしたが、一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれません。私の研究室で働く以上、自分の行動には責任を持ってください」


「え……私、ここで働いていいんですか?」

「嫌なんですか?別に私はどちらでも構いませんが」


 どんな理由があろうと、自分の行動が決して褒められたものではなかった事を理解できないほど、イノリは馬鹿ではない。

 ソウマの口から飛び出した答えは、クビを宣告されるとばかり思い込んでいたイノリにとって、全く想定外のものだった。


「めっそうもございません!!!!!!」


 頭で考えるよりも先に体が動いた。

 イノリは勢いよく立ち上がり、大きく頭を下げる。


「一生懸命頑張ります!よろしくお願いします!」


 何度よろしくすれば気が済むんだ、という言葉を飲み込み、ソウマは無言でメガネを押し上げる。


 朝っぱらから部屋の前で大騒ぎし、帰ったかと思えば、今度は庭の木をよじ登りってまで、窓からの侵入を試る。それだけの破天荒な行動をとっておきながら、今度は小さな体をさらに小さく縮め、申し訳なそうに項垂れてみせる。と、思えば、また無駄に元気よく挨拶をはじめる始末。それら全ての意味不明な行動理由は「張り切っていたから」というなんとも単純なもの。

 

(これだから女は嫌なんだ……)

 ソウマは思わず頭を抱える。


「先生?」


 黙り込んだ上、急に頭を抱え始めたソウマの様子み不安を覚え、イノリは思わず身を乗り出した。


「具合でも悪いんですか? あ、もしかして、私が先生を下敷きにしたせいで、頭でも打ったんですか?!」


 イノリは、自分が窓から転がり込んだせいで、ソウマの具合が悪くなったと思い、おろおろと狼狽える。

 彼が頭を抱える羽目になったの原因がイノリであることに変わりはない、が、今回の要因はそこではない。


「なんでもありません」


 ソウマは湧き上がる苛立ちを抑え、立ち上がると、部屋の奥に設置された木製の戸棚へと向かった。

 何事か、とイノリはソウマの背中を追いかけようとするが、「そこにいなさい」と先手を打たれてしまった。

 隠されると余計見たくなる、そんな天邪鬼な自分と格闘しつつ、大人しくそわそわながら待っていると、ソウマは戸棚から何かを取り出し、戻ってきた。


「これを渡しておきます。これを身に着けていればこの研究室に自由に出入りすることができます」


 ソウマが手渡したのは、小さなピンバッチだった。 

 ひし形に縁取られた金色の枠にぴったりおさまる様に、淡く虹色に光る小さな四角い板がはめ込まれている。


「わぁ、きれい」

 掌にコロンと乗せられたバッチを見つめ、イノリは感嘆の声を上げる。


「開錠ジェムは知っていますね?」

「あ、はい、封印の魔石を応用した施錠装置の一つです」

 常識はないが、知識は人並みにあることを確認し、ソウマは少し安堵する。

「魔石を複数個に分割し、いくつかは封印の核として研究室の正面扉や窓、空気口など、ありとあらゆる場所に装備されています。その他のかけらは、このバッチのように開錠ジェムとして加工しました。これはあなたの分です。これを持っているのは、私と、私の上司、そしてあなただけです。取り扱いには、十分注意するように」

「あ、ありがとうございます!」

 イノリは大事そうにぎゅっとバッチを握りしめる。

 これで明日からは安心して出勤できる。


「細かい説明や注意事項、仕事の説明などは明日にしましょう。明日は昼の二時に出勤してください」

「え、今日は、もう帰っていいんですか?」

「そんな恰好で仕事されても困ります」


 言われて初めて思い出す。

 泥だらけの服や顔、乱れた髪、そして、登りにくいからと言って靴は途中で脱ぎ捨てたのだった。

「そ、そうですよね、ははは」

 イノリの乾いた笑いが、気まずい空気をさらに気まずいものにする。


「学術院からあなたに支給されるはずにもろもろの備品も、こちらで用意しておきますので、持ち物はそのバッチだけで結構です。普段通りの身軽な格好で来てください」

「わかりました。えっと、では、お先に失礼します」

「はい、では明日」


 イノリは、ぎくしゃくとした動きで帰りの挨拶を済ませ、廊下にでる。


 そこは、今朝見た光景と何も変わらず、静かな古めかしい長い廊下だった。

 唯一違うことと言えば、イノリのボロボロになった身なりだけである。


「……帰ろ」


 なんだかよくわからないが、明日からもここで働けることになったらしい。

 イノリにとっては、その事実だけで十分であった。


 少女は筋肉痛になりかけている重い体を引きずり、庭の放り投げた鞄や靴を回収すると、大人しく家路についた。


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