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月華抄  作者: 葉月
7/21

月隠 六

 日が沈みはじめた。

 徐々に薄暗くなっていく大路を足早に進み、桔梗と影明は陰陽頭・玄翔の邸へとやってきた。

 門から少し離れた場所に誰かがいる。俯き気味に立っているそれは、線の細さから女だとわかった。表情はここから窺い知ることはできない。

 不審に思った桔梗は首を傾げる。相手を認識できる距離まで数歩近づいて、その歩みを止めた。

「玻璃」

 桔梗の呟きに気づき、玻璃が顔をあげた。

「あ……桔梗様」

 にこりともせずに答える玻璃は、それだけ言ってまた黙りこんだ。己の主を真っ直ぐに見つめたまま動かない。

「ここで何やってたんだ?」

 式神の行動に困ってしまった桔梗に代わって影明が訊ねた。

 一瞬不思議そうな顔をした玻璃は影明の方を向き、

「玄翔様に文を届けまして、すぐにお邸を退出しようとしましたが、その後のことは記憶がまだらでよく覚えていません」

 そう言って首を傾げるような仕草をした。

「桔梗様たちは、玄翔様に呼ばれたのですか?」

 話す玻璃の表情をじっと見る。何か変化はないか、些細なことでも見逃さぬように。――だが玻璃は先ほどの呆けた様子とはうってかわり、普段と同じように感じる。

「そうだよ。もう日が暮れるから、ここではなく門の中で待っていてほしい」

 いくら人ではないとはいえ、暗闇の中をひとりで帰すのは憚れた。

 玄翔の用件は不明だが、用事を済ませる前に一度邸へ戻る時間くらいはあるだろう。

「わかりました」

 桔梗の頼みに玻璃はこくりと頷いた。


 門をくぐったすぐの場所で待つようにと、玻璃にもう一度言い含め、桔梗たちは草木の回廊を歩いていった。

 夜目が利かないほど暗いが、真っ直ぐ進めば間違いなく出口へたどり着くので困ることはない。幸い、敷地に棲む精霊たちも今は静かだ。

 ほどなく回廊を抜けて、玄翔の部屋へと急ぐ。

 玄翔への取次ぎは必要ない。門をくぐった時点で知られている。すでに彼の式神か何かが来訪を伝えているか、気配で知っているはずだ。

 その勘は外れることなく、玄翔は自室にほど近い廊でふたりを待っていた。空を見上げる姿は別段変わりなく、早急な用事があるようには思えない。

「ご苦労だな」

 弟子たちに労いの言葉をかけて、玄翔は歩き出した。

「お師匠あっちに行くんですか?」

 影明が不思議そうな声をあげた。玄翔の向かう方向で判断したのだろう。

 彼の言う〝あっち〟とは、塗籠に似た構造の特殊な部屋だ。主に術者の精神と気力を整えるために瞑想の場として使用している。

「そうだ。少々、込みいった話でな。念には念をだ」

 玄翔はいつになく鋭い目つきだった。

 自然と背筋が伸びる。横の影明を伺い見ると、彼も同じようだ。心なしか表情が硬い。

 昨日も訪れたここは、玄翔邸の中で特に頑丈な場所だ。結界を念入りに張れば、たとえ中で爆発が起きたとしても、外への影響はほとんどない。音が洩れないから密議にはもってこいだ。

 中へ入るように促すと、玄翔は切燈台の前で火打石を叩いた。

 火花が飛び散り明かりが点る。

 玄翔はそれから出入り口に移動して、扉をぴたりと閉めた。

 明かりがあるとはいえひとつだけだ。だから中は薄暗い。

 急な明暗の差に視力が順応できず、桔梗は瞬きを繰り返した。

 そうしているうちに暗さに目が慣れてくる。まだぼんやりとではあるが、玄翔と影明の姿を認識することができた。影明は口元を硬く引き締めている。

「そんなに硬くなるな」

 玄翔は苦笑し、

「実は、お前たちに頼みたいことがある」

 弟子ふたりの顔を交互に見てから言った。

「頼みたいこと?」

「……なんでしょうか」

 玄翔の言葉は予想外だった。桔梗は驚いて一瞬呆けてしまったが、すぐに相槌を打った。

「内裏でな……怪異が起きているのだ」

 焦りも動揺も感じられない、至って普通の声音だった。

「怪異?」

 反して、影明が不審げな声をあげる。

 態度には出さなかったものの桔梗も同じ心情だった。

 政を行う大内裏。主に帝の私的在所である内裏。どちらも怪異とは切っても切れない関係にある。

 人のいる場所では様々な感情が生み出される。大内裏は嫉妬や憎しみ、欲望が渦巻く。それを糧に物の怪や鬼と呼ばれるモノが発現しやすくなるため、一見華やかな雰囲気の宮中には、常に光と闇の両方が存在している。

 ある種、何の守りもない市井よりも危険だ。

 大内裏の怪異で有名なのは〝宴の松原〟である。松林に巣喰っていた鬼が美男子に化けて、夜な夜な女房を誘い込んでは喰べていた、という話は、宮中に働く者ならば誰もが知っている。

 桔梗は眉根をよせた。

 今更、怪異のひとつやふたつ増えても問題はないように思える。大事がなければ、ではあるが。

「悪意はないし、たいした脅威ではない。しかし女房たちがひどく怖がっていてのう」

 玄翔はひとつ嘆息した。

「先日儂が祓いを頼まれたのだが、相性が悪いらしくどうにもこうにも収集つかなくての」

「それを、俺たちに解決しろと?」

「然様」

「そんな無茶な」

 きっぱりと言い切る玄翔に、影明は半目になって訴えた。

「お師匠ができなかったことを半人前ができるわけない」

「そう、じじいの頼みを無碍にするな」

「無理ですって」

「いやいや、何を言う」

 傍から見れば仲の良い祖父と孫が戯れているようである。が、本人たちはこの上なく真面目だ。青筋を立て始めている影明と、余裕綽綽といった風情の玄翔。影明が押され気味ではあるが。

「……わたしも影明と同じ意見です」

 やり取りを見守りながら考えていた桔梗がそっと口を開いた。

 なおも食い下がろうとしていた影明だったが、黙りこみ、そうだそうだと言わんばかりに力強く頷く。

 すると、小さく笑う声が聞こえた。

「お前たちの言うとおり、普通は命じないだろうな」

 玄翔の言葉にきょとんとする。

 ならばなぜ矛盾したことをやらせようとしているのか。

 理解に苦しみ横の影明に目を向ける。視線を感じたのか、彼と目があった。

 彼は何とも言い難い表情をしていた。おそらく自分の顔もそうなのだろう、と桔梗は思う。

 密室に、やけに上機嫌な笑い声が満ちた。

 真横からは負の感情が流れてくる気がして、桔梗は内心冷や冷やする。

「いくらお師匠でも、無闇矢鱈に事を引っ掻き回すとは思っていませんけど」

 暗に「面白がっていないか」と訊ねる弟子の言葉を否定して、玄翔はもう一度笑った。しかしすぐに真顔になる。

「たいした脅威ではないと言ったであろう。危険なモノを弟子おまえたちに任せる訳がない」

 それは事実だろう。

 玄翔が言ったとおり、陰陽頭の手に負えない事柄を、未熟な者が解決するのは難しい。勝算ありと見越して動いているはずだ。

「まず内裏の現状を説明しておこう」

 玄翔の纏う空気が一層鋭くなった。

 一瞬で身が引き締まる。

 桔梗の耳が捉えた小さな音は、結界を張ったため生じたのだろう。

 外と遮断された部屋で、玄翔は静かに話し始めた。

 怪異は主に、内裏の北西にある弘徽殿こきでん飛香舎ひぎょうしゃの近くで起こっているのだという。この二つは帝が居所している清涼殿に最も近い。そのため、数多くいる女御の中でも特に高貴な身分の女性が住んでいる。

「その近くで度々女のめのこの霊が目撃されている。他の場所にも現れているようだがな」

 渡殿や廂の隅に現れては女房たちにちょっかいをかけて驚かす。もしくは、理由はわからないが泣いている。それ以外危険な行為は一切ない。害はない妖と言えよう。

 だがしかし、内裏に住む者たちの恐怖心が薄れることはなかった。

 内裏に勤めている者たちの多くはか弱い女性だ。そのくらい我慢しろ、とは言い難い。

 とにかく気味が悪いのでどうにかしてほしいと依頼を受けたのだ、と玄翔はため息まじりに言った。

「儂もその子を見かけたが、これがまぁ、なかなかすばしっこくってなぁ……じじいの足では追いつけん」

「……別に追いかけなくても術でどうにかできるでしょうに」

 聞こえなかったのかそれとも聞こえないふりをしたのか。影明の皮肉にはまったく反応せず、玄翔は続ける。

「女の子は白い衣を身に着けていてな。裾のあたりに花の模様があった」

「もしかしてそれは」

 桔梗は僅かに身を乗り出して問うた。勘違いでなければ話が繋がる。

「その花の形は円錐状ですか? その小さい花が集まって、ひとつになって咲いているような……」

 大路で遭遇した女の様子を思い出す。状況とその存在に目を瞑れば、綺麗な袿を身に纏った貴族のようであった。

「然様。儂は視ていないが、大路で噂になっている女の霊と似ているのではないかと思ってな」

 反対に、桔梗たちは内裏の霊に遭遇していない。だが、短絡な発想かもしれないが、衣や出現した時期を考えると、このふたつは関係しているのかもしれない。

 黙ったままの弟子ふたりを交互に見つめてから玄翔が口を開く。

「先ほども言ったように、悪意は感じられないのでな。弟子の誰かに任せてみようと思ったのだが――ちょうど件の霊と接触したお前たちが適任と判断した」

「そんな、簡単に決めていいんですか」

 半ば呆れ交じりの声に、桔梗も同意を示す。

 いくら視たモノと似ているとはいえ〝視ただけ〟の人間に何ができるのか。

 しかも場所は内裏。公事や儀式も行われるところだ。失敗は許されない。

 こうして声をかけられたのは、師匠に認められたことでもあるのだろう。嬉しい反面、大役を任され不安を感じる。

 桔梗は返事をできずにいた。横に座る影明も同じであった。ふたりとも俯き加減で微動だにしない。

「引き受けてはくれぬか?」

 どのくらいの時間が過ぎてからだろうか。玄翔がそっと声をかけた。

 膝の上に揃えられた桔梗の手がぴくりと動く。

 それからまた、長くも短くも感じる時が過ぎ、

「わたしでよろしければ、お引き受けします」

 師匠の目を真っ直ぐに見て、桔梗は口を開いた。

「……俺が手伝えることがあるのでしたら」

 影明も後に続く。

 ふたりの返事を聞いて、玄翔は僅かに顔を綻ばせた。返答は少々心許ないものだったが、弟子の新たな成長の一歩を心底喜んでいる様子だ。

 にこにこと、何やら気恥ずかしいほどの笑顔を向けられて居心地が悪い。桔梗は場の空気を変えるかのごとく咳払いする。

「怪異の調査と解決はわかりましたがお師匠様。問題がいくつかあるかと思いますが」

「なんだ?」

「まず、内裏へは誰がどのように行くのか」

 怪異が起きている内裏は女の園だ。基本男性の出入りは好まれない。入内した女性の身内や、高貴な身分の者がご機嫌伺いに行くことはあるが。祓いを頼まれるなどの理由がなければ、身分の低い陰陽師は滅多に出入りはできない場所だ。

「場所が場所だからな。主だった活動は桔梗に命じる。影明は内裏周辺で補助を頼む」

 影明は応じて頷いたが、桔梗は渋面を作った。

 性別を考慮すれば、それが最も適している。しかし女だから良いというものでもない。

「ですが、女だから良い、という単純な理由では、少々難しいかと」

 言いながら桔梗は前髪を梳いた。仄暗い中でも灯りに照らされて、色素の薄い髪は光を放つ。

 市井ではもうとやかく言われることも少なくなったが、それでも目立つ容姿は人々の興味や恐怖心を煽る。

「それにわたしは気の利いた受け答えなど無理です」

 桔梗の言い分を玄翔は豪快に笑う。

 宮中で働く女性にも様々な身分があり、特に高位の者にはしっかりとした教養が求められる。――玄翔はそこまでの期待はしていないだろうが。

「そんなのわかりきっておる」

 予想通りの答えが返ってきた。

「硬く考えるでない。主上とも滞りなく動けるよう話は進めている。陰陽術以外の期待はしておらん」

 きっぱりと言われると逆にほっとする。桔梗は肩の力を抜いた。

「わかりました。……ですが、この姿ではやはり面倒が起きると思いますが」

 常に袿を被っているのは不自然だ。かといって、無駄に目立つのも避けるべきだろう。仮に袿を被っていて、少々動きが鈍くなるのは難点だ。

「心配するな」

 玄翔はそう言って、ぱちんと指を鳴らした。

 小さく風切り音がしたかと思うと、桔梗の背に何かが降ってきた。

「ひゃ……っ」

 続いて、何かが頭上に落ちた。突然目の前が真っ暗になる。事の展開についていけなくなり、桔梗は身じろぎする。肩に乗っている物が少しだけずれて、軽くなった。

「動くな」

 優しく命じられて、桔梗は動くのを止めた。

「こう、整えてだな」

 玄翔の声がごく間近で聞こえたかと思うと、やがて視界が開けた。満足そうな玄翔の笑みが目に映る。

「一体何を……」

 いまだ状況が掴めず、桔梗は横に助けを求めた。

 影明は目を丸くしている。

「なかなか良い出来栄えであろう? 影明」

 問いかけにも反応できずにいる影明は、ただただ桔梗を見つめている。

「だから、何をしたのですか」

 呆れ交じりに玄翔を咎めると、桔梗は己の頭から肩に垂れ下がっている束を手に取った。

「髪の毛……?」

 艶やかな、長い黒髪だ。

 桔梗は両手で頭部に触れて確認する。

 全体を覆うようなかもじが頭に乗っていた。首を巡らせて己の装いを認識すると、肩から背にかかっているのが袿だとわかった。こちらは若々しい青葉を思わせる萌葱色だ。

「立派な若女房の誕生だ」

「立派かどうかは定かではありませんが」

 髢も袿も被っただけだ。だが普段好んで着ている水干よりは適している。

 これで内裏へ参内しろ、ということか。

 桔梗は眉をひそめながら自身の姿を想像する。新入りの女房見習いならば、真実を知らぬ者にうっかり呼び止められても、どうにか誤魔化しがききそうではある。――が、着慣れないために心が落ち着かない。

「ちょっと立って歩いてみよ」

「はい」

 立ち上がって衣を軽く整え、そろりと足を踏み出した。

「――っ」

 数歩歩いたところで袿の裾を踏み、桔梗は勢いよく前へよろめいた。とっさに耐えて床とお友達になることは免れる。

 桔梗の耳が深いため息を捉えた。

「参内する前に、邸で存分に練習しておくように。最低限普通に歩けるようにはなっておくように」

「……はい」

 玄翔に向き直って弱弱しく返事をする。

 前途多難だ、と今度は桔梗が嘆息を洩らした。

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