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夏の終わり 祭りの名残

作者: 28号
掲載日:2011/09/01

「いつまで自分の時間を俺のために使うつもりなんだ」

 ほんの少し呆れた表情で、彼は私の顔を白いベッドの上から見上げていた。

 それは、5年間通っているこの病室ではもう見慣れた光景だ。

 コーヒーを飲みながらベッドと窓との間に置かれた椅子に私は座り、それを彼が呆れたような、嬉しいような、でもどこか悔やむような顔で見つめる。

「あなたが死ぬまでじゃない?」

 私はコーヒーを一口含んだ後、言った。

 そして私は彼の返答も聞かず、背後の窓を片手で開けた。

 ムッとする熱さと、病院の向かいの神社から響く祭囃子の音が、白一色の質素な病室に夏の終わりを運んでくる。

「相変わらず、千尋の言葉は優しくない」

 言葉とは裏腹に、彼は笑っていた。

「優しい言葉をかけるのは恋人の役目でしょ」

 私も笑って、カップに残ったコーヒーを飲み干す。

 そんな私に、彼が何かを求めるような視線を向けているのを感じた。

 でも彼は何も言わない。その視線すらも、私と目が合っている時には決して向けない。

「この前転属してきた若いナースに1人、可愛い子がいるんだ」

「あんたの顔ならすぐベットに連れ込めるわよ」

「君ねえ」

「だって優しい言葉が欲しいんでしょ? 手を握ったりキスしたくらいじゃそんな言葉はもらえないわよ」

 最近の女は優しくないからと笑って、私は持っていた紙コップをゴミ箱に投げ入れた。

 見事に外れた。

「手首を使うんだって言ってるだろう」

 元バスケット選手、それも全国大会にも行った事のあるこの男は、私がシュートを外すたびにそう言う。昔は全ての面で私よりも勝っていた彼。でも今私よりも勝っている物は、シュート技術しかない。

 いや、知識の豊富さもほんの少し彼の方が上かな。悔しいけど。

「絶対いつか入れてやる」

 私はカップを拾い上げながら言った。それを彼は笑い、側にあったガーゼを丸めてゴミ箱に投げ入れた。

 入らなかった。

 私がとっさにゴミ箱の位置をずらしたからだけど。

「優しくないな」

 そんなことは自分でもわかっている。






【夏の終わり 祭りの名残】






 私がなれない手つきで浴衣の帯を巻いていると、母が無言で私の手から帯を取り上げた。

「ぶきっちょ」

 母は私の浴衣を脱がせ、もう一度始めから着付け始めた。すいませんと、私は小さく頭を下げる。

「いつもは着ないのに、今年はどういう風の吹き回し?」

「着てきたらビール奢ってくれるって言うから」

「あんた、お酒飲めないじゃない」

 母は私の帯をきゅっと締めながら言った。

「はい、出来た」

「美人に見える?」

 私がふざけて言うと、母も笑顔で答えた。

「それは男の人に聞くべきね」

 母の言葉は少し楽しそうだった。自分の若い頃でも思い出しているのだろう。

「それにしても、あんたも物好きね」

 不意に言って、母は私を鏡の前に立たせた。

「お祭りが終わった次の日に、彼氏と神社でデートなんて」

「彼氏じゃないしデートじゃないよ」

 その言葉は平静を装っていたが、鏡に映った自分の顔は明らかに動揺していた。

「その顔、可愛い」

 私に似て、という余計な一言で喜びは半減したが、彼の元に出ていく勇気は出た気がした。






 八月二八日。夜七時一五分。

 毎年、私たちはこの日のこの時間にこの神社に来る。

 その神社は大きな物ではないけれど小さすぎもしなかった。

 小さな街の夏祭りをするにはもっとも適した大きさであると言えるだろう。

 まあ、私たちが訪れるのは必ず祭りの次の日なので、その事はあまり関係ないのだけれど。

 病院の建物と向かい合うように鳥居と社殿があり、祭りの時はその3つを結ぶように伸びた道に屋台が並ぶ。

 そんな道の中央辺りに、ベンチが一つだけ置かれている場所がある。

 そこは彼のお気に入りの場所で、この五年間、私たちはそこで色々な話をした。

 始めて彼に「お祭りの後の神社に行こう」と誘われたのは、中学三年の夏だった。

 その頃の私たちは接点が何もなかった。元々は向かい同士の家に住む幼なじみだったのだけれど、彼と私はあまりにも多くの点が異なり過ぎていた。

 彼は、まるで映画の主人公のように完璧な人生を歩むべくして生まれた人だった。

 大きな三階建ての白い家に住み、有名な貿易会社の社長を父に持つ典型的な金持ちの息子だった。

 私はと言えば、灰色のボロアパートに住み、親父は酒飲みの博打打ちという典型的な貧乏人だった。

 それでも幼い頃は兄妹のように仲が良かったのだが、中学にはいるとそれもなくなった。彼の父親がこれ以上息子につきまとうなと五百万円をポンと置いていった(父親が夜逃げしたばかりだったので、ありがたく頂いた)のが原因だったが、それが無くてもいずれお互いは離れていくのだろうと、私はどことなく予感していた。

 なぜなら映画の主人公のような彼は、学校でもスターだったからだ。

 運動神経も頭もルックスもトップクラス。しかしそれらを笠に着て威張るタイプの人間ではなかったから、誰もが彼に惹かれた。

 だから私は時々思う。どのようなものを食べて、どのような教育を受けて、どのようなDNA配列であればあんな完璧な育ち方をするのかと。

 それに比べて、私は違う意味でスターだった。彼がハリウッドスターなら、私はVシネマの帝王だった。つまり不良である。女なのに。

 きっかけは私が最弱部と呼ばれるテコンドー部に入った事。最弱部と呼ばれるその部活に理由もなく入ったのに、気がつけばそこで私は瞬く間に強くなっていた。

 私を体育館裏に連れ込んで、公共の場では決して言えないような行為をしようとした男子を五人ほどたたきのめし、休学処分を受けるくらい強くなっていた。

 お陰で、気がつけば私を「姐さん」と慕う者達ばかりが周りに集まった。

 今更、「将来の夢は学校の先生になることです」みたいな普通の発言をする女の子には戻れなかった。

 その僅かな反抗として見た目だけは普通の中学生を気取っていたけれど、取り巻きが取り巻きなので無駄な抵抗だったと思う。




 


「実はずっと期待してたんだよ。君が化粧をして、髪にパーマをかけて学校に来るのを」

 始めて病院に来た時、彼は私を見てそう言った。

 その日は始めて、私が彼の見舞いに来た日だった。

 三年生の夏の初め、彼は突然学校で倒れた。彼はバスケ部のキャプテンで、引退前の最後の試合に出ていた時だった。

 彼がボールを持って跳ぶと、とても綺麗だった。彼はまるで鳥のように高く跳び、誰よりも正確にボールをゴールに投げ入れる。男を美しいと表現するのもどうかと思うが、実際誰もがそう思っていただろう。

 だからあの夏の日、彼が最後に跳んだ瞬間。やっぱり彼は誰よりも美しかった。

 でもその美しさは、いつもとはほんの少し違った。桜の花びらが散るその時に、赤い紅葉が枝から落ちるその時に感じるような、はかなさを含んだ美しさだった。

 彼はボールをゴールに投げ入れた後、それまでの優美さが嘘のような惨めな恰好で地面に落ちた。そして彼は、もう二度と跳べなくなったのだ。

 その日から丁度一ヶ月後、私は彼の見舞いにやってきた。他に人は誰もいなかった。もちろん家族さえも。

 そして彼は私を見て小さく笑うと、窓の外の神社を目で示した。

「祭りの後の神社に行ったことがある?」

 彼は静かに私に尋ねた。唐突な言葉だったけれど、私はそれまでのブランクを感じさせないくらい自然に彼の言葉を聞いていた。

「祭囃子も、屋台も、提灯も、おみこしも、客もいない。ただ、割れた水風船の残骸とか、折れた割り箸とか、ひしゃげたお面とか、そう言うゴミだけが残る神社に」

 彼の言葉に、私は窓から身を乗り出して神社を見た。

 昨日までは多くの人々が行き来していたそこに、人の影は全くない。もちろん祭囃子も、屋台もない。

「楽しいの?」

「行けばわかるよ」

 彼の笑顔に、気がつけば私は頷いていた。

 もちろん彼には外出許可など無かったけど、その頃の彼はまだ病気よりも体力が勝っていて、私たちは一緒に三階の窓から雨樋を使って脱走した。

 それはまさに、ハリウッドスターとVシネマの帝王の夢の競演と言える。

「人が残していったものを感じるのが好きなんだ。つい昨日までは何百何千という人がいたはずの場所に自分が立って、目では見えない物・・・、例えばそこにはないはずの喧噪なんかを感じるんだ。押し合う人の波とか、迷子になった子どもの泣き声とか、みこしを担ぐ人の熱気とかね。実際にそう言うものの中にいるのは嫌いだけど、それらが残していったものを感じていると、とても落ち着く」

 鳥居をくぐりながら彼が言った言葉を、私は一字一句覚えている。

 それから私たちはしばしの間、目を閉じて昨日までは確かにそこにあったもの達を探した。確かに彼が言うように、それらは目と口を閉じた私の心に、波のように押し寄せてきた。

 祭りの名残、とでも言えばいいのだろうか。

 それらに包まれた瞬間は、とても心地が良かった。普段は騒音にすら思える人々のざわめきが、心地よい冷水のように自分の体に染み渡っていくのを感じるのだ。

 その中でどれくらい過ごしたかはわからないが、しばらくその心地よさに体を委ねた後、今度は二人して地面に落ちたゴミを眺めた。

 掃除が済んだ後だからそれらは余り多くないが、茂みや木の陰に破れた金魚すくいのポイなどを見つけるたび、私たちは子どものようにはしゃいだ。

 日が落ちて辺りの視界が悪くなると、二人であのベンチに腰掛け、学校のことについて色々と話した。

 私がさらに不良に磨きをかけることを期待していた話や、お互いについての噂の真相。私は彼の恋愛についての噂を聞き、彼は私の武勇伝――素手でヤクザをぶちのめした話や、修学旅行で行った北海道で熊を倒した話――の真相を聞きたがった。

 でも、それら全てを語るにはその夜だけでは足りなかった。だから私達は、それから毎日会うようになった。

 彼の父親が、病気が治る見込みがないと知って見舞いに来ることをやめても。

 学校の友人達が、忙しさを理由に彼との接触を避けるようになっても。

 私だけは、ほぼ毎日彼の病室を訪れ続けた。






「どうして君はこうなんだろう」

 彼と神社に来る五回目の夏の終わり、私は始めて浴衣を着た。

 それは彼が望んだことのハズなのに、どこか不服そうだった。

「そんなに似合わないかな」

 私が言うと、彼は無言で私の腰に下がっている物を指さした。

「どうして酒瓶なんてぶら下げてきたんだよ」

「ビールだけじゃ絶対満足出来ないから」

 今度は私が、彼の乗る車いすに引っかかっているスーパーの袋を指さした。

「このヤンキー娘」

 彼は言って、車いすの車輪に手をかける。それを見た私は、すかさず彼の膝の上に酒瓶を置き、彼の代わりに車いすを押した。彼は少し驚いたように、でもどこか嬉しそうに私を見上げた。

「でも似合ってるよ」

 その言葉に、私は北海道で熊と鉢合わせした時以上の胸の高鳴りを感じた。もちろん平静を装って、彼の車いすをベンチの横まで押していったけど。

「それじゃあ、飲みましょうか」

「いきなりかよ」

「そのためにわざわざ浴衣着てきたんだから」

 言って、私は車いすにかけられたスーパーの袋を開けた。しかし何と、その中にビールの缶はなかった。

「これ牛乳じゃない。それも紙パック」

「出かける前に君のお母さんから電話が来てね。娘にはお酒を飲ませないでくれってお願いされたんだ」

 何て根回しの良さだ。

「大学の飲み会で、急性アルコール中毒になって倒れたそうじゃないか」

「そんなことも、あったような気がしてきました」

「なんで言わなかったんだ。倒れたらどうするつもりだったんだよ?」

「余命少ない白血病患者に言われたくないわね、その台詞」

 私がふて腐れると、彼は無言で牛乳を私に押しつける。

「いらない」

「俺が飲むんだよ。ストロー差してくれ」

 彼の言葉に、私は思わず牛乳を差し出す彼の手を見た。

 この5年間で驚くほど細くなってしまったその手は、今やちっぽけな牛乳パックすら満足に開けることが出来ないことに、今更ながら私は気づいた。

 いや、私は既に気づいていたと思う。でも、あえてそれに目を向けなかっただけだ。

 もう、彼は完璧な人生を歩むハリウッドスターではない。今の彼は、祭りの名残を楽しむことしかできないただの弱い人間だ。

「甘えないでよね」

 でも、だからこそ、私は彼の隣で皮肉が言えるのかもしれない。

「相変わらず優しくないな」

 ストローを差した牛乳パックを、私は彼に渡さず自分で飲んだ。

 久々に飲んだ牛乳は、冷えていてとても美味しかった。こんなおいしい物を病人にあげてなる物かと、妙な意地を張ってしまうほど美味しかった。

「人が死ぬ気でここまで来たって言うのに」

 彼が小さくつぶやく。実際、近頃の彼はあまり具合が良くないようだった。新しく変えた薬の副作用が非道くて、夜もほとんど寝れず食事もあまり取っていないらしい。そろそろ髪も抜けてくるはずだが、私がそれを知ったのは昨日だった。それも人づてに。

「仕方ないわね、一口上げるわよ」

 本当に仕方なく、私は牛乳パックを彼に差し出す。

「もうほとんど無いよ」

「重いと持てないかと思って」

「優しいのか優しくないのか」

「でも、私のそう言うところが好きなんでしょ」

 見事に。それはもう見事に、彼は牛乳を吹き出した。

「はい、もうあげないからね」

 牛乳パックを取り戻し、私は笑いながらそれを飲む。弱い物虐めってどうしてこんなに楽しいのだろう、と心の中で喜びながら。

「今、心の底から君を殺したいと思ったよ」

「言っておくけど私は強いわよ」

「もし病気が治ったら、君と同じようにテコンドーを習う。いや、柔道も、空手も、格闘技と呼ばれる物は全部習って、絶対君よりも強くなる」

「じゃあまだまだ時間が必要ね。なんか私が先に死んじゃいそう」

「君に俺の骨は拾わせない。代わりに俺が君の骨を拾う」

 彼が私の骨を拾い上げる時のことを想像すると、何故だか無性におかしかった。

 祭りの名残を拾い上げるのが上手い彼だ、きっときれいに納骨してくれるだろう。

「じゃあ、骨まで綺麗にならなきゃね」

 私はそう言って、牛乳パックをもう一つ開ける。ついでに僅かな期待を込めて酒瓶の蓋も開けたが、中からはアルコールではなくオレンジジュースの匂いがした。

「私が死んだら、お酒を供えてね」

「じゃあ、俺が死んだら牛乳にしてくれ」

「あと村上春樹の小説」

「京極夏彦の分厚い単行本」

「スマップのアルバム」

「サザンのアルバム」

「キアヌリーブスの写真集」

「鳥山明の画集」

 そんな具合で、その後も私たちのお供え物リストはどんどん増えていった。さすがに甲子園の砂と私が言い出した辺りで止めたけど。

「死んだ後のことを考えるのって意外に楽しいな」

「そうだね」

「それだけ、生きるのが大変だってことか」

「でも、死んだら死んだ後の事って考えられないよね」

「お供え物も指定出来ないな」

 そこで言葉を切った後、彼は僅かに視線を下げた。

「今度さ、また違う種類の薬に変えるんだ。この前変えたばかりなのにまただよ」

「うん」

「もっと副作用が強いらしい」

「うん」

「これが効かなかったら、もう諦めろだって」

 もう一度だけ「うん」と言って、私は牛乳パックを彼に手渡す。

「お供え物には早いよ」

「でも、これからもっと増えたら仏壇に乗り切らないでしょ。今のうちから少しずつ供えとかなきゃ」

 私が笑うと、彼もようやく微笑んだ。そして彼は、空の牛乳パックを側のゴミ箱に投げ込みながら言った。

「殺してやりたいほど、君は優しくないな」

 彼の言葉を聞きながら、私は車いすに手をかける。

 それから少しだけ目を閉じて、私は祭りの名残を拾い始めた。本当はそんな気分じゃなかったけれど、目を開けていたら泣いてしまいそうだったから。

 赤ん坊の頃は泣かないことだけが取り柄だったのにと思いつつ、私は必死になって祭りの名残を拾い上げる。

 雑念がある所為でなかなか上手くはいかなかったけれど、ようやく名残が上手くつかめた時、私は不思議な光景をその中に見た。

 頭を駆け抜けていく喧噪と祭囃子の中に、浴衣姿の自分と彼の姿を見た気がしたのだ。

 幻覚だって事はわかってる。でも、今よりも少しだけ老けた私たちが妙にリアルで、気がつけば私は涙ではなく微笑みを浮かべていた。

「何が見えた?」

 たぶん、それを彼も見たのだろう。立ちつくす私の手を握りながら、楽しそうに笑う。

「ハリウッドスターとVシネマの帝王がデートしてた」

 彼が、声を上げて笑った。たったそれだけの事なのに、とても元気が出た。

 そして私は、彼の乗った車いすを押し始める。

 彼と二人、この神社に残された祭りの名残を拾い上げるために。

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[一言] ぐっときた!
[一言] 初めまして。 28号さんが管理人28号から28号になったのを見て、何があったんだろうと活動報告をチェックしたのがきっかけで読み始めました。 『彼』ではないのですが、ヒロイン千尋さんが北海道…
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