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やどかり  作者: くつした
2/7

椿とX 1

 Xは自分が何者なのかを知らなかった。まあ、人間じゃないことは確かであり曲げられない事実である。ただそれはとても残念なことで、できれば人間でありたいなあとXは思うが、人間ではないものとして生まれてきた以上は諦めるしかない。事実を湾曲し続ける人間が社会様にはいるらしいのだが、Xが人間ではないという事実を曲げることは到底不可能だった。どう足掻いたところでタンポポが象になれないのと同じで、今のところ、Xはもはや人間にはなれない。今のところ、というべきか、今後もできるかどうかは甚だ疑わしいが、いや、もしかすると世間様には公開していないだけで本当はできるのかもしれないが、まあきっと、できない。できるといいなあ、などとXは幾度となく思うが、できないので仕方がないのである。できないものを羨んだり期待したところでほとほと疲れるだけだということは、ここ数日で痛いほど思い知らされた。というよりも、実際に文字通り痛みも感じたわけなので、どちらかといえば羨んだり期待するということは億劫になってきてしまっている。けれども思考する生物である以上(Xは思考する生物なのである、とX自信が思っているだけで事実は不明)羨望や期待が無くなることはない。誰にとっても他人の庭の芝はよく映えるものなのである。そうして、Xは億劫だ億劫だと思いながらもむやみやたらに他者を羨んだり恨んだりして結局は痛い目を見て日々を過ごしている。なんにせよ、人間であったのならば素敵だろうなあと思うXはとても人間らしい考えを持ちながらも人間ではなかった。そして、どうやら人間になることもできないのである。ゾウムシがタンポポになれないように、Xも人間になれないわけなのだが、Xは人間の研究をしている。研究といっても、フラスコをゆらりと振ってみたりノートに幾何学模様のような数字を書き込んだりするわけではないので、それはただの豪語になってしまうかもしれないが、ともあれ常日頃から人間の観察を怠らないのである。もっとも、Xが日々の行動としてやれることは残念ながら人間の観察くらいなものなので偉そうなことは言えない。さらに言わせてもらえば、残念ながらXが常に観察できるのはたった一人の人間であり、その人間は残念ながら、残念な部類の人間であった。残念残念と言うとその残念な人間がかわいそうになってくるかもしれないものなのだが、残念なものは残念なので仕方があるまい。かくして、残念ながらもXは常日頃から残念な人間を、残念だなあと思いながら観察しているのであった。なんにせよ、X自身も自分のことを残念な存在だと思っているのでちょうどいいのかもしれない。生きるっていうことはそんなものなのでしょう。


 残念な人間とは如何なる者であるか。

 ここに一人の人間がいる。残念な人間としては非常に優れた、模範的な残念人間である。

 身長162センチ、体重53キロ。成人した男性にしてみれば身長は低めで痩せ型である。学生の頃は運動部に入っていたが、幽霊部員としての活動に周囲が溜息をつくほど熱心だったため体力はない。格好つけるために吸い始めた煙草が辞めたいと思ってもなかなか辞められない。視力は弱く、流行の、縁が黒くて太い眼鏡をかけているが似合っていない。コンタクトレンズは怖くて試したことがない。パーマをかける勇気がないために髪の毛はいつも整髪料でベタベタになっており、それを見て快く思わない人がいるということに気がつかない。疲れたり嫌なことがあるとすぐにチックの症状が出る。腹が弱く、刺激物を食べるとすぐに下痢をすることを悩んでいる。そのくせ、人にそれを話すときはなぜか誇らしげになる。おれ、腹が弱いんだよね、まいっちゃうよハッハッハ。二十一歳になるが就職歴はなく、アルバイトを続けている。職場では、アルバイトとしては社員に次ぐほど長時間働いているしそれなりの仕事を任されるが、社員にならないかと問われる程信用されてはいない。信用されていないことを知らず、これだけの仕事を任されている俺はアルバイトのくせに偉いのだというプライドを持っている。ただ単に他のアルバイトが役に立つ程育っていないだけである。趣味がない。漫画やゲームをある程度やるしテレビや映画をある程度は見るが、履歴書の趣味・特技欄に書ける程見たり読んだりしているわけではない。スポーツも学校を卒業して以来やった試しがないし、音楽もヒットソングくらいしか聞かない。家で何をしているのかと言えばパソコンをつけて「何か楽しいものはないか」とインターネットの海を彷徨っているだけである。だからといってプログラミングができたり、ホームページ作成ができたりするわけでもなく、ただただインターネットを彷徨い続けて結局最後には「楽しいものなどなにもなかった」と苛々してパソコンの電源を落とすだけなのである。

 この模範的な残念人間は、Xが観察を続けた結果の結論であり、必ずしも正しいとは限らない。Xにとっては模範的な残念人間だということだ。ただ、その人間に対する世間様の評価とXの評価にはそれほどズレがないであろう、とXは考える。

 平均的な顔立ちだが、友人たちのあいだで「まあまあいいんじゃない?」という意見を一度か二度くらい得てしまったがために己の顔は実は良い部類に入るのではないかと信じて疑わない。テレビに出られるような顔ではないにしろ、控え目に見ても平均以上ではあるのではないか、自分でそう思いこんでしまう思うわけである。実は格好良い顔立ちをしているのだと信じているくせ、自信を持てず、この世に生を受けてから一度も性交渉に至るまでの関係を築けた女性がいない。世間様でいうところのいわゆる彼氏彼女の間柄になれたことは一度だけあったが、彼のあまりの残念っぷりに、すぐに見切りをつけられてしまった。

 ……と、以上の特色を持つ者が残念な人間の代表例である。

 端的に言ってしまえば、

①何事も平均以下である

②短絡的

③趣味がない

 となる。

 ④以降もあげることができるが、キリがなくなりそうで端的ではなくなってしまうので辞めておく。

 外見も内面も最悪ではないにしろ、どう見積もってもどの角度から検討してみても並以上にはなれない。救いようがないわけではなさそうだが、ちっとも救う気になれない。一八〇度、いや、三六〇度とありとあらゆる方面から検分してみれば一握りの魅力が見つかるかもしれないが、彼の残念オーラの前ではその魅力も指のあいだからさらさらと流れおちる砂のごとく、ことごとく失せてしまうわけである。五四〇度くらい回ってみれば手の平のうえにミミズの糞くらいは残せるかもしれない。しかし、ミミズの糞は畑に対して類稀なる肥料となるが、彼の魅力がなにかの肥料となるかと聞かれれば、はて、首をひねるしかない。

 なんにせよ、趣味がないというのはいただけない。趣味というものは、家族構成・青春時代・仕事に並ぶ、人格を形成するうえで重要な四大要素の一つである、とXは聞いたことがある。ちなみに、この四大要素に基づく人格形成論を唱えたのは模範的残念人間の友人の安尾文武である。安尾性の者には申し訳ないが、ちっぽけそうな苗字のわりに、安尾は多趣味であった。趣味が多いというのはすこぶる良いことだ。しかし安尾はまだ働いていない。大学に在学中である。ならば人格形成論は成り立たないのではないか、模範的残念人間はそう尋ねたが、つまりまだ人格は形成されていないのだと安尾は応えた。人格が形成されるのはそうだな、三十歳くらいになってからじゃないか? 安尾はそのときそういうふうに続けた。若いうちは人格なんてコロコロ変わってしまうものなんだ、と。Xは成る程、とそのときばかりは思ったが、安尾はまだ二十一である。三十まではあと九年も先である。実体験からなる話ならまだしも、ただの予想や他人の意見をまるで自分の意見のように語られても信じることなどできやしない。

 模範的残念人間の本名は椿幸司という。椿という苗字が呼びやすいのか、はたまた幸司という名前が呼びにくいのかはわからないが、友人からは苗字ばかりで呼ばれ、名前で呼ばれた試しがあまりない。そのせいというわけではないが、Xも椿と呼んでいる。呼びかける際には「おい椿」と言うわけである。おい幸司、と呼んだことはないしこれから先呼ぶこともないかと思われる。幸せを司るなどと、椿には勿体ない、Xはそんなふうにさえ思ったことがある。


 ――おい椿。

 Xが呼ぶ。椿は無反応である。

 ――おまえ、本当にこのままでいいのか? 毎日毎日部屋に閉じこもってばかりでパソコンを前にして何するでもなくじっとしているだけじゃあないか。なあ、お前の人生それでいいのか?

 Xは月に一度は必ず椿にそういった説教をする。しかしその説教が効果的な影響をもたらした試しは今のところ、一度もない。もしも影響があるとすれば、説教の内容からするにきっと良い影響に違いないのだとXは信じて疑わない。そうでもなければ毎月のように説教などするはずもない。だが、もしも影響があれば月に一度の説教はそれきりとなるはずで、そいつはちょいとばかし寂しい気もする。Xのような事情を持っている場合、理由を見つけて話しかけるというのはなかなか大変な作業なのである。

 説教の効果が表れない理由は、なにも椿が頑なに他者の話を聞かない性格なのだということではないし、Xの説教のタイミングが悪いというわけでもない。鼻歌を歌いながらパソコンでインターネットの巡回サイトのチェックをしつつ昼飯のカップラーメンをすすっている最中に説教をすることもない。それに、椿は怒られれば自分なりの解釈をしようと多少なりとも考えることはする。毎月恒例の行事なのだが効果がないのである。説教の内容が悪いということも考えられなくもないが、そんなことをXは信じない。まあ、問題は椿にはなく、Xの状況の不備にあるのだが。そして今のところ、Xにはその不備の改善をすることはできない。残念ながら。


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