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第2話【3】『選別という名の公開処刑』

 断食開始から三十六時間が経過した。

 地下練習場の空気は、極限まで研ぎ澄まされた神経が発する、ぴりぴりとした静電気のような緊張感に満ちている。カビ臭かったはずの空気は、今や鉄錆と、少女たちの体から発せられる微かな焦燥の匂いへと変質していた。

 五人の少女たちは、もはや声を出す気力すら惜しむように、冷たいコンクリートの壁に背を預けて座り込んでいた。空腹はすでに「痛み」を通り越し、内臓が自身の内側を削り取るような、昏く、底のない「渇き」へと変貌を遂げている。


「……死ぬ、かも。ねえ、あたしたち、このままミイラになって、誰にも気づかれずに消えるのかな」


 るなが、カサカサに乾いた唇を幽霊のように動かした。視界の端には火花のような光が飛び交い、意識の輪郭が、雨に打たれた水彩画のようにぼやけていく。

 だが、その朦朧とした意識の中で、彼女たちの「感覚」は、かつてないほど異常な鋭敏さを発揮していた。

 階上の、誰かが落としたコインの硬質な響き。

 配管を流れる水の、濁った重なり。

 そして、隣で呼吸する仲間の、毛細血管を血液が駆け巡るドクドクという拍動さえ、まるで耳元で鳴らされる太鼓のように巨大な音となって響く。


「……立て。歌え。一分だ。一秒でも音がぶれ、迷いが生じれば、最初からやり直しだ」


 影山が、影の中から溶け出すように現れる。

 彼はこの三十六時間、彼女たちと同じ閉鎖空間にいながら、水すら一滴も口にせず、ただ彫像のように彼女たちを監視し続けていた。その漆黒のスーツには皺一つなく、瞳は疲れを知らぬ猛禽のそれのように、鋭く獲物の急所を狙い定めている。


「無理……。声なんて、もう……。喉が、焼けて、くっついて……」


 紬が力なく首を振る。だが、影山は無言で歩み寄り、紬の顎を乱暴に、だが解剖学的に正確な角度で持ち上げた。逃げ場を塞ぐように至近距離まで顔を近づけた影山の瞳は、彼女の網膜を焼き切るほどの冷徹な意志に満ちていた。


「声は『喉』で出すのではない。……己の『欠落』を削り、その振動で出すのだ。一之瀬紬、君の空っぽな胃の奥にある、その焼き付くような不満を、音の波形に乗せてデバフ(放出)しろ。自分を殺してまで守ろうとした『良い子』の仮面が、今さら何の役に立つ?」


 影山の大きな手のひらが、紬の薄い背中に、直接肌を焦がすような熱量で触れた。

 その瞬間、紬の全身を、火傷するような激しい熱い感覚が駆け抜けた。影山の指先から、冷徹な「魔力」に近い強制的な電気信号が、彼女の中枢神経へと直接流れ込んでくる。


「……あ、あ、あああああああ!」


 紬の口から漏れたのは、歌ではなかった。

 それは、これまで「調整役」として抑圧してきたすべての不幸、他者への嫉妬、理不尽な環境、そして世界への底知れない呪詛を凝縮したような、鋭利な刃の叫びだった。その音は、練習場の重い空気を物理的に震わせ、防音壁を貫き、鏡に走る無数のヒビを一気に広げた。


「……いい響きだ。その『毒』こそが、君という人間の真実だ。美しく飾られた嘘よりも、遥かに人を惹きつける」


 影山は満足げに目を細め、次に、ふらつく足取りで今にも倒れそうになりながら立ち上がろうとしたほむらへと視線を移した。ほむらは、充血した瞳で影山を激しく睨みつけた。そこにあるのは、純粋な殺意と、それ以上の「この男にだけは屈服したくない」という剥き出しの生存本能だ。


「……あんたの……思い通りに……なるもんか……! あたしは、あたしの、やり方で……!」


「それでいい。憎悪も立派な、濁りなきエネルギーだ。……その怒りを、君の『ノイズ』という名の武器に変換しろ。客を喜ばせる必要はない。客を、君の呪いで絶望の底に跪かせろ。君の歌で、彼らの浅薄な多幸感をデバフ(破壊)してやるんだ」


 影山はほむらの耳元で、耳朶を震わせるような低い声で囁いた。

 異世界で彼が数多の英雄を狂わせ、あるいは覚醒させてきた、魂の深層を暴くデバフ。

 ほむらの意識が、真っ白に染まる。空腹の極限で、彼女の脳は「アイドルとしての正解」を完全に捨て去った。ただ、目の前の傲慢な男を黙らせるために。自分を底辺だと嘲笑う世界を、この震える声で叩き潰し、地図から消し去るために。


 五人の、絶叫とも嘆きともつかぬ異質な歌声が、狭い地下室に渦巻く。

 それはもはや、現代の音楽理論では測れない「超自然現象」と化していた。


 一時間の、地獄のような特訓の後。影山は無造作に、床に五つの小さなガラス容器を置いた。

 中には、怪しく光る琥珀色の液体が入っている。


「……飲め。君たちの細胞が、今この瞬間に最も必要としているミネラルと栄養素を、俺が最適化した。味はないが、死にはしない。……むしろ、今の君たちにはどんな美食よりも甘美に感じるはずだ」


 五人は、獣のように争いながらその液体を奪い合い、口にした。

 舌に乗った瞬間、それは水のように消え、ダイレクトに血管へと染み渡っていく。

 熱い。

 胃の底から、マグマのような力が湧き上がってくる。

 これは単なる栄養補給ではない。影山が、自らの知略デバフを用いて、彼女たちの脳が発する「疲労感」という情報の伝達を一時的に遮断し、細胞の修復機能を強制的に、かつ暴力的に加速させているのだ。


「……不思議。あんなに重かった体が、嘘みたいに軽い……。視界が、明るい……」


 凛が、自分の震えの止まった手を見つめて呟く。その瞳には、恐怖を通り越した「覚醒」の輝きが宿っていた。

 影山は、そんな彼女たちの様子を、冷酷な観察者として、あるいはかつての失敗を取り戻そうとする修羅のような眼差しで見つめていた。


「勘違いするな。これは一時的な前借りの体力に過ぎない。副作用は必ず来る。……明日の朝、君たちは『ステラ』の練習風景を見学しに行く。……そこで、完成されたバフ(虚飾)の美しさと、自分たちの泥臭い醜さの決定的な差を、その研ぎ澄まされた感覚で脳髄に刻み込め。劣等感こそが、君たちの次の糧になる」


 影山は一瞥もくれず背を向け、鉄の扉へと向かう。

 だが、その去り際。

 彼は、最も衰弱が激しく、意識が飛びかけていたくるみの肩に、一瞬だけ、誰にも気づかれないほど微かな、だが確かな力強さで手を置いた。


「……死ぬなよ。君のその醜い執着心だけは、あの聖女(理想)の輝きよりも、今の俺にとっては価値がある」


 くるみは、弾かれたように顔を上げた。

 だが、そこにはもう、冷酷な死神の、漆黒の背中しかなかった。

 

 彼が何を企んでいるのか。自分たちをどこへ連れて行こうとしているのか。

 その正体は、依然として霧の中だ。

 ただ、その呪いのような、甘い猛毒のような言葉が、冷え切っていた彼女の心臓を、一度だけドクリと、熱く打ち鳴らした。少女たちは、もはや自力で歩くことを忘れ、この冷徹な魔導師が示す「闇の導き」に、魂を委ね始めていた。


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