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第1話【4】『泥に咲く花の葬列』

 影山が去った後の練習場には、湿った地下の空気と、言いようのない重圧だけが取り残されていた。

 床に落ちた黒い名刺。それは、彼女たちがこれまで追い求めてきた「夢」という名のチケットとは、あまりにかけ離れた不吉な招待状だった。光沢のないマットな黒は、まるで光をすべて吸い込むブラックホールのようで、見つめているだけで精神が削られるような錯覚を覚えさせる。


「……信じるしかないのよね、これ。というか、あたしたちにはもう、これ以外の選択肢なんて残ってない」


 くるみが、乾いた笑い声を上げて呟いた。先ほどまで佐藤に立ち向かおうとしていた強気な瞳は影を潜め、そこには「底なし沼に片足を突っ込んだ者」特有の諦念が滲んでいる。彼女は震える手で、割れた鏡に映る自分の顔をなぞった。かつて「天才子役」ともてはやされた面影は、今や疲弊しきった地下アイドルの成れの果てだ。


「信じるも何も、あたしたちはもう、あの男に買われた『商品』なのよ。……事務所も、契約も、あたしたちの今後の人生も、全部あいつが『清算デバフ』したって言ったんだから」


 るな が、自分の細い腕を抱きしめるようにして震える。

 影山仁。

 あの男が放っていた気配は、ただの有能な実業家のそれではない。人の弱みを見抜き、それを盤上の駒のように冷徹に操作する手腕。それはまるで、人の形をした「精密な災厄」そのものだった。


「……でも、不思議。あんなに酷いことを言われたのに、あの人が『死体を見物に来る野次馬で満員になる』って断言した時、あたし……心のどこかで、救われた気がした」


 ほむらが、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。

 これまで浴びてきた「頑張って」という無責任な励ましや、「次はきっと売れるよ」という根拠のない希望バフは、彼女の心を摩耗させるだけの、耳当たりのいい毒だった。だが、影山の放った言葉は、残酷なまでに真実を突き刺し、同時に「結果」という名の血塗られた果実を約束していた。


 一方、練習場を後にした影山は、雑居ビルの屋上で夜の街を見下ろしていた。

 ネオンサインが蠢く新宿の街並み。空は光化学スモッグに汚れ、星一つ見えない。彼はポケットから、古びた、現代の技術では再現不可能なほど精緻な細工の施された銀のペンダントを取り出した。


(……祈り、か。この世界でも、その本質は変わらないらしいな)


 指先で冷たい金属の感触をなぞる。

 前世。彼が宮廷魔導師として仕えていた聖女が、最期に彼に託したものだ。

 彼女は、民衆の「もっと救ってほしい」「もっと奇跡を見せてほしい」という濁った祈りの奔流に呑み込まれ、その清廉な魂を内側から焼き切られた。当時の彼は、敵を弱らせる「デバフ師」としての力はあっても、彼女に注がれる過剰な「愛」という名の呪縛を止めることはできなかった。


「……ジルバ、逃げて。あなたは、私の代わりに、自由な世界を見て」


 炎の中で微笑んだ彼女の最後の言葉が、今も耳の奥にこびりついている。彼女を殺したのは魔王ではない。彼女を「聖女」という偶像に祭り上げ、期待という名の過負荷オーバーロードを強いた無垢な民衆だ。


「今度は、間違えない。光り輝く必要などない。……ただ、生き残るための牙を与えればいい」


 影山の瞳に、冷たい決意の炎が灯る。

 アイドルという存在は、かつての聖女と同じ構造の犠牲者だ。ファンの期待、運営の思惑、世間の羨望。それらすべての「過剰なバフ」が彼女たちの個性を塗り潰し、消費し、最後には抜け殻にして捨てる。

 ならば、その不条理なシステムそのものを、俺の知略で「弱体化デバフ」してやる。彼女たちを輝かせるのではない。彼女たちを壊そうとするすべての要因を、根こそぎ叩き潰すための環境を構築するのだ。


 影山はタブレットを開き、ある極秘ファイルを展開した。

 そこには、Lumina 5が解散ライブを行う予定のライブハウス『アーク』の、詳細な構造図、配電盤の位置、さらには音響システムの設計上の脆弱性が記されていた。


「神楽ほむら。君の『音痴』は、実はこの世界の物理法則に対する小さな亀裂だ。音の干渉波を数パーセント操作するだけで、それは歌ではなく、聴衆の三半規管を狂わせる『精神汚染兵器』に化ける」


 彼は夜風に吹かれながら、暗闇の中へと姿を消した。その背中は、救世主のそれではなく、獲物を追い詰める猟師の冷徹さを纏っていた。


 その夜、五人の少女たちはそれぞれの場所で、眠れない夜を過ごしていた。

 凛は暗い部屋で一人、影山に指摘された「怯え」を拭い去るように、音のないダンスを踊り続けた。

 紬は、これまで集めてきた「幸運のお守り」をすべてゴミ箱に捨てた。自分という個を消すことをやめるために。

 るなはスマートフォンの通知をオフにし、暗い画面に映る自分の「中身のない顔」を見つめ直していた。


 翌朝、午前四時。

 約束の時間、地下練習場には五人の少女が揃っていた。

 寝不足で目の下に隈を作り、期待と不安に顔を強張らせながら、彼女たちは「魔」の再来を待っていた。窓のない地下室には、外の世界の夜明けすら届かない。


 正確に四時零分零秒。

 鉄の扉が、一分の狂いもなく開く。


「……一人も欠けなかったか。及第点だ。家畜としての自覚だけは持てたようだな」


 影山は昨日と同じ漆黒のスーツを纏い、五人の前に立った。その手には、五冊の真っ黒な表紙のノートが握られている。


「これから二週間、君たちの睡眠時間は四時間に制限する。食事のメニュー、発する言葉、SNSの投稿、思考のすべてを俺の検閲下に置く。……君たちが抱えていた甘っちょろい『自分らしさ』や『プライド』は、今この瞬間をもってデバフ(消去)されたと思え。今日から君たちは、俺の指先一つで動く人形であり、弾丸だ」


 影山はノートを一人ひとりに手渡した。

 そこには、一分刻みのスケジュールと、常人には理解不能な「精神と肉体を極限まで削る訓練」の内容がびっしりと書き込まれていた。文字の羅列からすら、影山の冷徹な狂気が滲み出している。


「これは、君たちの葬列を最高の喜劇に変えるための楽譜だ。……死ぬ気でついてこい。……いや、死なせはしない。君たちの絶望を、俺がこの世で最も贅沢な娯楽へと変換してやる」


 地下練習場の鏡に映る五人の少女と、一人の死神。

 窓のないその閉鎖空間で、世界を揺るがす「逆襲」の第一歩が刻まれた。

 それは、光を否定し、闇の中から天を仰ぐ者たちだけの、血を吐くようなレッスンの始まりだった。


(第1話・完)


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