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第1話【3】『泥に咲く花の葬列』

 「――待て。何をしている」


 練習場の重い鉄扉が乱暴に蹴り開けられた。

 入ってきたのは、先ほど逃げ出したはずのマネージャー、佐藤。だがその背後には、いかにも柄の悪い男たちが三人、品定めするような下卑た笑みを浮かべて控えている。そのうちの一人は、指の隙間に金属製のリングを嵌め、壁を苛立たしげに叩いた。


「佐藤さん……? 戻ってきたの?」


 ほむらが驚きに目を見開くが、佐藤の視線は彼女たちを通り越し、不敵に佇む影山へと向けられていた。その顔は、先ほどまでの卑屈な笑みではなく、背後の暴力という「後ろ盾」を得た者の、醜い優越感に歪んでいる。


「おい、誰だか知らんが勝手に入り込んで指導ごっこか? この事務所の備品も、この女たちも、もう俺のもんじゃないんだよ。こっちの『お客様』に譲渡が決まってるんだ。とっとと失せろ。邪魔をするなら、その澄ました顔に風穴を開けてやるぞ」


「譲渡……?」


 リーダーの紬が顔を青くした。佐藤の後ろに控える男たちは、アイドルの運営に関わるような人間には見えない。その刺青の覗く腕や、隠しきれない暴力の気配、そして獲物を舐めるような視線は、彼女たちが恐れていた「芸能界の最底辺」にある、暗く濁った泥沼そのものだった。


「ああ。お前らにはまだ利用価値がある。借金のカタに、地方の『特別な』クラブで働いてもらうことになった。歌もダンスもいらねえ、ただ客の相手をしてりゃいいんだよ。それが、ゴミにふさわしい最後の仕事だ。……ほら、さっさと荷物をまとめろ。一分遅れるごとに、ペナルティで服を一枚ずつ脱がせてやるからな」


 佐藤の言葉に、るなが短い悲鳴を上げて後ずさる。凛は過呼吸を起こしたように肩を震わせ、くるみは激しい嫌悪に顔を歪めながらも、足がすくんで動けずにいた。


 絶望が、再び地下練習場を支配しようとしたその時。


「――情報の更新が遅すぎるな。だから君の会社は、三流のまま終わったんだ、佐藤」


 影山の静かな声が、場の空気を切り裂いた。彼は一歩も動かず、ただ手元のタブレットを軽く叩く。その指先は、まるでピアノの鍵盤を叩くかのように軽やかで、迷いがない。


「なんだと……? 負け惜しみか、それともただの狂言か」


「この事務所の全資産、債権、および所属タレントの契約権利。それらは正確に三分二十一秒前、私が代表を務める特別目的会社がすべて一括で買い取った。銀行の決済通知を確認しろ。君の個人口座に振り込まれたのは、借金の返済金ではない。……君の残りの人生を、俺が買い上げるための『手切金』だ」


「はあ!? 勝手なことを! そんな契約、認めるわけ――」


 佐藤が怒鳴り散らそうとした瞬間、彼のスマートフォンが激しく震えた。着信ではない。一斉に届いた通知の嵐。画面を見た佐藤の顔から、一気に血の気が引いていく。


「……な、なんだこれ。なんで俺の隠し口座の番号を……。それに、この写真は……! どこで撮った!」


「君がこれまで行ってきた、タレントへの不当な中抜き、未成年者への酒席の強要、そしてこの反社会勢力との不透明な資金洗浄。……それらすべての証拠を、今この瞬間に警察のサイバー犯罪対策課と、君の唯一の『スポンサー』である後援会長の端末、さらに提携先の主要メディアに同時送信するよう設定してある」


 影山の声は、驚くほど平坦だった。怒りも、正義感もない。ただ、淡々と「詰みの状況」を説明しているだけだ。それは前世において、敵国の兵糧を断ち、全軍を餓死させる作戦を練っていた時の冷徹な「魔導師」の眼そのものだった。


「や、やめろ! そんなことをしたら、俺は……!」


「君がどうなろうと、俺の知ったことではない。だが、今ここで彼女たちに指一本でも触れてみろ。その瞬間に、送信ボタンという名の『処刑スイッチ』を叩く。君の社会的生命を、この世から完全にデバフ(消去)させる。……三、二……」


「わ、わかった! わかったから! おい、帰るぞ! ここはもう俺たちの管轄じゃねえ!」


 佐藤は悲鳴のような声を上げると、連れてきた男たちも置き去りにして、転がるように練習場から逃げ出した。残された男たちも、影山の底知れない瞳と、一寸の迷いもないカウントダウンの気迫に毒気を抜かれたのか、忌々しげに吐き捨てて立ち去っていった。


 嵐が去った後のような静寂。

 五人の少女たちは、目の前で起きた光景が信じられず、呆然と影山を見つめていた。救われたという安堵よりも先に、この男の「底知れなさ」に対する新たな恐怖が、彼女たちの胸を刺した。


「……助けて、くれたの?」


 ほむらが、恐る恐る尋ねる。その声はまだ震えていた。

 影山は、タブレットの画面を消すと、冷たく言い放った。


「勘違いするな。俺は自分の資産を守っただけだ。……君たちは今、俺が買い取った『商品』になった。それも、莫大な負債を抱えた、扱いにくい不良債権だ。誰一人として、俺の許可なく死ぬことも、逃げることも許されない。君たちの自由という権利を、俺は今、公式にデバフ(無効化)した」


 影山は五人の前に立ち、再びあの冷徹な「魔」の眼差しを向けた。それは、飼い主が飼い犬の躾を始める時の、厳格で容赦のない視線だった。


「敵を排除し、逃げ場を絶った。君たちの言い訳の種は、すべて俺が消去した。……これで、売れない理由はなくなったわけだ。君たちがこれから直面するのは、佐藤のような小悪党による暴力ではない。俺という飼い主による、徹底した『管理』だ」


 彼は、ほむらの目の前で立ち止まり、その顎を指でくいと持ち上げた。無理やり視線を合わされたほむらは、彼の瞳の中に、自分たちがこれまで信じてきた「キラキラした芸能界」とは正反対の、漆黒の深淵を見た。


「さあ、始めようか。明日の午前四時、ここへ集合しろ。……地獄へようこそ、Lumina 5。君たちの葬列は、ここからが本番だ。……死ぬ気で来い。死んでも、俺が生き返らせて使うからな」


 ほむらは、恐怖に震えながらも、彼の指先から伝わる圧倒的な「力」に、生まれて初めての昂揚感を覚えていた。

 この男なら、自分たちを本当に、変えてくれるかもしれない。

 たとえその先が、光ではなく、深い闇であったとしても。彼女たちはもう、この冷徹な魔導師の掌の上で、踊り続けるしか道はなかった。


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