第4話【3】『葬列の歌姫たち』
静寂が、物理的な質量を持って観客席を押し潰していた。
八百人の観客が手にする黄金色のペンライトは、暗転したステージの上で、持ち主の困惑を映すように力なく揺れている。マイクを床に捨てた四人の少女――Lumina 4。その異様な光景に、会場を支配していたステラの熱狂が、急速に冷え切っていく。
「……何だよ、あいつら。歌うのやめたのか?」
「マイク捨てたぞ。放送事故か?」
無遠慮な私語が波紋のように広がり、嘲笑が空気中に混ざり始めたその瞬間。
影山仁が、舞台袖でタブレットの「最終デバフ・スイッチ」を静かに叩いた。
「――聴け。これが、君たちが目を逸らし続けてきた、泥の底の響きだ」
影山の呟きに呼応するように、会場のスピーカーから、耳を劈くようなホワイトノイズが爆発した。肥後が仕掛けた「バックトラックの音量増大」という罠。影山はそれを逆手に取り、音響システムそのものを、四人の「生声」を増幅させるための巨大な共鳴箱へと書き換えていた。
「ああああああああああああああああああああああああッ!!」
神楽ほむらが、喉を引き裂くような咆哮を放った。
マイクは通していない。だが、彼女の喉元に貼られた銀色の素子シールが、会場のスピーカーから流れる爆音の周波数と完全に同期し、音波の干渉を引き起こした。
それは歌ではなかった。
影山が二週間かけて彼女たちの声帯に刻み込んだ、特定の精神状態を強制的に誘発させる「呪術的旋律」。
キィィィィィィィィン!!
会場全体に、脳を直接ナイフで削るような高周波の共鳴が吹き荒れた。
最前列の客たちが、たまらず耳を抑えてのたうち回る。黄金色のペンライトが次々と床に叩きつけられ、美しいはずのライブハウスは、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌を遂げた。
「な……何だ、この音は!? マイクは切っているはずだぞ!」
舞台裏で肥後が絶叫し、ミキシングコンソールに飛びつく。だが、フェーダーをいくら下げても、音は止まらない。いや、下がれば下がるほど、四人の生声が、建物の壁や配管と共鳴し、より深く、より鋭く観客の脳髄へと突き刺さっていく。
「一之瀬紬、不運を伝播させろ。氷室凛、恐怖を伝播させろ。猫宮るな、虚無を伝播させろ」
影山の冷徹なタクトに合わせ、四人の歌声が重なった。
それは、ステラが振りまいていた「偽りの多幸感」を根こそぎ奪い去る、最強の精神弱体化だった。
観客たちは、自分たちがなぜここにいるのか、なぜステラを愛していたのか、その理由すらも忘れていく。脳内を満たしていたドーパミンが急速に枯渇し、代わりに、自分たちの人生に澱んでいた劣等感や、将来への不安、押し殺してきた憎悪が、ダムが決壊したように溢れ出した。
「う、あああ……。あたし、何やってるんだろ……」
「死にたい……。何なんだよ、この歌……っ!」
観客席から、嗚咽と悲鳴が上がる。
黄金色の海は、今や絶望という名の黒い泥に飲み込まれていた。
ステージ上の四人は、スポットライトすら浴びていない。だが、暗闇の中で激しく呼吸する彼女たちの瞳は、自らの地獄を世界にぶちまけた解放感で、見たこともないほど美しく、残酷に輝いていた。
「……これだ。これこそが、俺が前世で見せたかった、聖女の真の姿だ」
影山は、狂気的なまでの悦びに震える手で、銀のペンダントを握りしめた。
ステラの三人は、舞台袖でその光景を、腰を抜かしたまま見つめていた。自分たちが愛したファンが、一瞬にして「怪物」へと変わり、ステージに向かって呪詛を吐き散らしている。その圧倒的な不条理に、彼女たちのプライドは粉々に砕け散った。
センターに立つほむらが、最後の一音を、肺が破れんばかりの勢いで吐き出した。
その瞬間、会場の照明システムが過負荷に耐えきれず、一斉に爆ぜた。
火花が散り、完全な闇が訪れる。
沈黙。
だがそれは、ステラの時の「期待」に満ちた沈黙ではない。
自分たちの魂を、完膚なきまでにデバフ(破壊)された者たちの、死のような静寂だった。
闇の中から、影山がゆっくりとステージ中央へ歩み寄る。
彼の手には、予備のスポットライトが握られ、四人の少女たちを、下から突き上げるような禍々しい光で照らし出した。
「……葬列は、終わった。……さあ、選ぶがいい」
影山は、暗闇に沈む八百人の観客、そして震える肥後とステラに向かって、死神の宣告を下した。
「偽りの光に焼かれて死ぬか。それとも、この泥の中で、俺と共に世界を呪うか」
その言葉を合図に、一人の客が、ふらふらと立ち上がった。
続いて二人、三人。
彼らが向けたのは、ペンライトではない。
ただ、祈るように重ねられた、血の滲む両手だった。
Lumina 4。
死体だった彼女たちは、この夜、八百人の精神を道連れにして、真の意味で「怪物」として産声を上げたのである。




