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第3話【4】『不協和音の聖域』

 ライブまで、あと七日。

 地下四階の練習場に、もはや「日常」の入り込む余地はなかった。

 かつてのカビ臭い空気は、少女たちの焦げ付くような情念と、影山が放ち続ける不協和音の干渉波によって、物理的な熱を帯びた「霊的な圧力」へと変質している。鏡は真っ白に曇り、結露した雫が涙のように壁を伝い落ちる。その不気味な静寂の中に、影山仁は独り、四人の少女たちの中心でタクトを振るっていた。


「――聞こえるか。この静寂こそが、君たちの『完成』へのカウントダウンだ」


 影山の声は、低く、鼓膜を直接撫でるような不可思議な響きを帯びていた。

 異世界において、彼は「声」という情報の最小単位を操作することで、一国の王の判断を狂わせ、民衆を暴徒に変えてきた。今、彼はその呪術的理論を、現代のデジタル音響解析に置換し、四人の少女たちの声帯に直接「デバフ(呪詛)」を書き込みつつあった。


「神楽ほむら。君の喉は、もはや人間の歌を歌うための器官ではない。……世界という巨大な調和に対する、致命的な『バグ』そのものだ」


 影山はほむらの目の前に立ち、その顎を冷たい指先で持ち上げた。

 ほむらの瞳は、極限の疲労と飢餓、そして「何か」への狂信によって、どす黒く、だが宝石のような硬質な輝きを放っている。彼女の脳内では、もはや既存の音楽理論は崩壊していた。残っているのは、影山が与えた琥珀色の液体の熱と、自分を蔑んだ世界への、底知れない復讐心だけだ。


「……あたしは、歌わない。……あたしは、あいつらを……殺す。この声で、あいつらの耳を……腐らせてやる」


「いい心がけだ。……その憎悪を、周波数デバフに変換しろ」


 影山は四人の周囲を回遊しながら、タブレットの画面を激しく操作した。

 画面上には、四人の声の「干渉パターン」が複雑な幾何学模様として描かれている。

 本来、グループアイドルとは、個々の声を重ねて「厚み」を出すものだ。だが影山が作ろうとしているのは、その逆だ。個々の声が互いの波形を削り合い、特定の「負の空白(デバフ領域)」を作り出す。その空白に触れた観客は、原因不明の不安感と、自らの心の奥底に隠した汚い感情を、強制的に引きずり出されることになる。


「氷室凛。君の臆病さは、観客の『共感』をデバフ(遮断)する壁になる。一之瀬紬、君の不幸体質は、会場全体の確率を歪める触媒だ。猫宮るな、君の空虚な承認欲求は、観客の正気を吸い込むブラックホールになる。……そして神楽ほむら。君の『音痴』が、それらすべての毒をまとめ上げ、指向性を持った『弾丸』として放たれる」


 影山は練習場の隅に置かれた、古びた銀のペンダントを手に取った。

 それは、前世で彼が守れなかった聖女の遺品だ。

 かつての彼は、愛という名の過剰なバフによって壊れていく彼女を、ただ見ていることしかできなかった。

 だが、今度は違う。

 彼は、彼女たちが「愛される」ことを徹底的に拒絶する。

 世界に嫌われ、恐れられ、それでも目を逸らせない「怪物」に仕立て上げることで、彼女たちを救い出すのだ。それが、彼なりの、歪んだ「贖罪」だった。


「……影山さん。一つだけ、聞いていい?」


 ほむらが、掠れた声で尋ねた。

 影山は手を止め、無機質な視線を彼女に向けた。


「……あたしたちが勝ったら。あの『ステラ』のあいつらは、どうなるの?」


「……決まっているだろう。彼女たちは、君たちの影に飲み込まれ、二度と表舞台には立てなくなる。……光が強ければ強いほど、その影に落ちた時の絶望は深い。それが、この世界の等価交換だ」


 影山は冷酷に告げた。

 その瞳に、迷いの色は一欠片もない。


「……そう。だったら、もっと……もっと酷い呪いを教えて。あたし、あいつらが泣いて許しを乞う姿を、一番前で見たいの」


 ほむらの口元に、残酷な笑みが浮かぶ。

 その瞬間、練習場のスピーカーが物理的な限界を超え、火花を散らして爆ぜた。

 

 一方、地上では。

 Gプロダクションの肥後が、くるみから得た「生声ライブ」の情報を使い、着々と罠を仕掛けていた。

 彼は、ライブ会場『アーク』の音響スタッフを買収し、当日のマイクの感度をさらに下げ、バックトラックの音量を最大にするように命じていた。

 

「……楽しみだよ、影山。君の育てた『欠陥品』たちが、音の洪水に飲み込まれて、一言の叫びも届かずに消えていく様がね」


 肥後は、くるみの震える肩を抱き寄せ、勝利を確信していた。

 だが、彼は知らなかった。

 影山が仕掛けた「生声」という情報のデバフは、単なる攪乱ではない。

 

 人間の声には、機械を通すと削ぎ落とされてしまう「特殊な倍音」が存在する。

 影山は、四人の少女たちに、その「機械では捉えられない呪いの周波数」を、数万回の反復練習デバフ・トレーニングによって叩き込んでいたのだ。

 マイクを通さないのではない。マイクを「通せない」ほどの、密度の濃い音波。

 

 それは、近代的なライブハウスの設備そのものを「逆利用」し、会場全体を巨大な共鳴箱デッドルームに変えてしまう、前代未聞のテロリズムだった。


「……準備は整った。……さあ、葬列の時間だ」


 影山は、真っ暗な練習場の中で、独り、勝利の確信に満ちた笑みを浮かべた。

 

 七日後。

 そこは、アイドル史において最も「美しく、凄惨な」公開処刑の場となるはずだった。

 だが、実際にその場所に現れたのは、天使などではなかった。

 地獄の底から這い上がってきた、四人の「復讐者」と、彼女たちを操る一人の「死神」だった。


 第3話、完。


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