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第3話【3】『不協和音の聖域』

 くるみが地下練習場から姿を消してから、その空間の空気は「絶望」という段階を通り越し、一種の「狂信」に近い、ねっとりとした熱を帯び始めていた。

 残された四人の少女たちにかかる物理的・精神的な負荷は、影山の冷徹な宣言通り、単純計算で一点二五倍へと跳ね上がった。だが、疲弊しきり、悲鳴を上げ続ける肉体とは裏腹に、彼女たちのパフォーマンスは、恐ろしいまでの精度で「人間離れ」した領域へと踏み込みつつあった。


「……はぁ、はぁ、はぁ……っ! ……まだ、まだいける……。影山さん、次のセットを……っ!」


 センターに立つほむらの全身から、視認できるほどの白い湯気が立ち上る。

 暖房など一切入っていない、冬の冷気が染み出すコンクリートの地下室。それなのに、彼女たちが発する異様な熱量と、影山がスピーカーから絶え間なく出力し続ける不協和音の「摩擦」が、室温を熱帯のような不快な温度へと押し上げていた。壁には結露が滴り、鏡は彼女たちの荒い吐息で真っ白に曇り、視界を遮っている。


 影山は、四人の周囲を死神のように音もなく回遊しながら、手元のタブレットで絶え間なく音響データの波形を書き換えていく。その指先は、まるで一国の運命をチェス盤の上で操作するかのように、精密で、かつ慈悲がない。


「神楽ほむら。右へ三センチ。氷室凛、一歩後退し、骨盤の角度を五度外側へ。一之瀬紬、君の浅い呼吸が猫宮るなの拍動に干渉してノイズを弱めている。……もっと自分という『個』をデバフ(消去)しろ。隣に立つ人間を仲間だと思うな。君を喰い破ろうと隙を窺う、飢えた獣だと思え。殺される前に、その喉笛を食い千切るつもりで声を張れ」


 影山の指示は、もはや一般的なアイドルのダンス振付や歌唱指導の範疇を完全に逸脱していた。それは、空気の振動を効率的に、かつ致命的な「殺傷圏」へと収束させるための、物理学的・解剖学的な配置換えだった。

 異世界において彼が編み出した禁忌の呪法『沈黙の円陣』。本来は数千の軍勢の声を物理的に奪い、肺胞を破裂させて窒息させるための大量殺戮呪術。それを彼は、四人の立ち位置と、声帯の個体差が生む周波数の干渉を利用して、現代のステージという限定された空間で再現しようとしていたのだ。


「……不思議。くるみちゃんがいなくなって、音が……確かに軽くなった。でも、その分だけ、氷の刃みたいに鋭くなった気がする。……世界が、透けて見えるの」


 凛が、陶酔したような、どこか焦点の合わない瞳で呟いた。

 かつての彼女なら、仲間の欠員という事態に怯え、責任を感じて震えていただろう。だが今の彼女は、恐怖や不安という「人間としてのノイズ」すらも、影山の冷徹な指先によって「デバフ(切除)」されていた。彼女の脳内に残っているのは、影山が刻み込んだ完璧なリズムを刻むための、極低温の計算回路だけだ。


「それでいい。欠けた場所を温情で埋める必要はない。……その穴こそが、地獄の風を呼び込むための最良の吸気口だ。そこから世界の悪意を吸い込み、呪いとして吐き戻せ」


 影山は、スピーカーの出力を、鼓膜が物理的に悲鳴を上げる限界値にまで引き上げた。

 同時に、彼は自身のスマートフォンの画面を無造作に四人の眼前に突きつけた。そこには、インターネットという広大な匿名空間に拡散され、発酵し続ける無数の毒々しい書き込みが、滝のように流れていた。


『Lumina 5、公開処刑確定ライブのチケットが二次流通で暴落中。一円でもいらねえ』

『最新の練習リーク動画見たけど、これ歌か? ただの断末魔。ゴミ以下、公害レベル』

『ステラの美しさを汚すな。あんな欠陥品、ステージに立たせること自体が冒涜だ』

『負けたら引退じゃなくて、そのまま消えてほしい。誰も望んでないよ』


「……ひどい。あたしたち、まだ本番を何も見せてないのに。なんで、こんなに……」


 るなが、血の気が引いた唇を強く噛み締める。あまりの悔しさに、爪が手のひらに食い込み、細い血の筋が流れた。だが、影山はその画面を冷酷にスクロールし、さらに正視に耐えない人格否定の言葉を、逃げ場のない至近距離で彼女たちの眼球に叩きつけた。


「いいか。これが君たちという存在に対する、現在の世界の客観的な評価だ。そして、君たちに注がれる『純粋な悪意』という名の、膨大なエネルギーの塊だ。……彼らは君たちが無様に泣き叫び、プライドを粉々に砕かれて再起不能になる姿を、ポップコーンを片手に見物することを期待している。その『期待バフ』を、今この瞬間にすべて喰らい尽くせ。……彼らの嘲笑をデバフ(変換)し、君たちの歌声の燃料へと昇華させるんだ。怒れ。そして、その怒りで世界を焼き尽くせ」


 影山は、四人の中心に、支配者としての重厚な歩みで歩み寄った。

 その体から発せられる圧倒的な威圧感と、前世で数多の戦場を支配した死の気配が、少女たちの退路を完全に断つ。


「……世界は君たちを嫌い、拒絶し、泥に塗れることを望んでいる。だが、俺だけは君たちの『真価』を正確に把握している。……この世で唯一、君たちの汚れた魂の行く末に興味を持ち、期待しているのは、俺だけだ。俺が与えた呪いだけを信じろ」


 影山の言葉は、極限まで肉体と精神を追い詰められた彼女たちの心に、救済という名の猛毒として深く、深く染み渡った。

 もはや彼女たちにとって、道徳的な正解も不正解もない。

 ただ、この冷酷な飼い主が指し示す方向に、その鋭く研ぎ澄まされた牙を剥き出しにするだけだ。


「……やってやるよ。あたしたちを笑った奴ら全員、その耳から血を流して、二度と笑えなくしてやる」


 ほむらが、口内に溜まった血の混じった唾を、曇った鏡に向かって吐き捨て、前を見据えた。その瞳に宿っているのは、もはやアイドルの清廉さなどではない。自分を裏切った世界への、底知れない復讐心だ。

 

 同じ頃。

 Gプロダクションの、豪華絢爛な調度品に囲まれた応接室では、肥後が満足げに高級ワイングラスを傾けていた。

 彼の正面のソファには、影の差した青白い顔をしたくるみが、借りてきた猫のように座っている。彼女の背後には、最新のトレンドを反映したステラの豪華な衣装が、まるで勝利を予告するように飾られていた。


「……実によく話してくれたね、くるみちゃん。Lumina 5は生声で、マイクも通さず勝負する……か。ふん、影山という男も、追い詰められて焼きが回ったな。あんな広い会場で電子音響という文明の利器を捨てた歌など、最前列の客にすら微かな羽音としてしか届かない。……自爆の演出としては満点だよ。滑稽すぎて、逆に話題になるかもしれないな」


 肥後は、くるみの震える肩を親しげに、だが所有物を確認するような手つきで抱き寄せた。その指先が、彼女の首筋に這う。


「君は実に賢い選択をしたよ。……ステラの追加メンバー、四人目の星として、君をこれ以上なく華々しくデビューさせてあげよう。……二週間後、君は最高の特等席から、かつての仲間たちが泥に塗れて消えていく、その哀れな最期を高みの見物をするんだ。それが、勝者の特権だからね」


 くるみは、肥後の腕の中で、感情を去勢された無機質な人形のように小さく頷いた。

 だが、彼女のポケットの中にある指先は、影山が無理やり握らせた、あのひび割れたスマートフォンの冷たい感触を、今も狂おしいほどに忘れられずにいた。

 影山が仕掛けた「情報のデバフ」。

 その本当の狙いが、自分という駒を囮にした、敵への致命的な「油断の構築」であることに、彼女はまだ、半分しか気づいていなかった。


 影山仁という男の策略。

 それは、裏切り者の良心や恐怖さえも、最後の一滴まで絞り取って、敵の喉元を掻き切るための、冷徹極まりない『呪い』だったのである。


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