いざ異界へ
福井県での戦いから四週間後――
「異界への行き方?」
武蔵村山市の北部、山際にある廃墟。そこはかつて夜露死苦隊がアジトにしていた場所であり、現在は漆紀と彩那が世理架との魔法練習と訓練に使っている場所である。
辰上漆紀。彼は竜王と呼ばれる絶大な力を持つ魔法使いであり、竜理教という宗教組織に御神体として狙われる存在である。
竜蛇彩那。彼女は佐渡流竜理教の司教家長女にして竜脈というエネルギーを操る竜脈の巫女である少女。
この日漆紀と彩那は学徒会からわざわざここまで来て久しぶりに世理架との魔法練習を行っていた。
そんな中、ふいに漆紀は世理架に度々語られる異界への行き方について問いかけた。
「ああ。今まで言葉だけ聞いてて気になってたから、行ってみたい」
「あ、それは私も思ってました。異界異界って言ってますが、魔法使いが住む世界だってのは聞いてますけど、情報だけでどんな場所なのか知らないんですよね」
異界。それは魔法使い達が住まう異空間であり、様々な魔法使いの組織集団がいると言う。
「漆紀君……異界に行く方法を教えても良いが、竜王の君があそこに行くのはあまりオススメしない。異界の魔法使い達は竜理教を忌んでいる。こちらの世界で魔法使いをみだりに増やす組織集団としてその信仰対象である竜王に関しても懐疑的な連中が多い」
「なるほど……でも、どんな所かちょっと見に行くぐらいは良いだろ世理架さん」
「別に良いが、急にどうしたんだ?」
「ただ気になっただけだって。それで、行き方は?」
世理架は漆紀のもとまで歩み寄ると、彼の首にかかった鉄塊の首飾りに人差し指を当てる。
「マジックアイテムさえあれば鍵となる。今から私が言う情景を思い浮かべるんだ」
「ちょっと待って下さい。今すぐそれで異界へ転移移動でもするんですか?」
彩那が世理架へ心配したのは、このままやると漆紀だけが異界へ行くのではないかという点だ。彩那は漆紀と手を繋ぐと世理架に「これで行けますか」と問う。
「触れていれば一緒に異界へ行けるさ。わたしも行こう」
世理架は漆紀の肩に触れると、先程触れた情景の詳細な内容を語り始める。
「血の様に赤い空、現代的な街並み、マジックアイテムを持ち街を行く人々」
「血の様に赤い空ってヤバいなおい……まあ、思い浮かべたよ。それが異界の風景かよ」
「ああ。あとは目を閉じ、マジックアイテムに念じ声に出せ。門よ開け、と」
「わかった……門よ開け!」
鉄塊の首飾りが発光すると、金属の門が開くような軋む音が聞こえた。
「目を開けろ、二人とも」
漆紀と彩那が目を開けると、まず目に入ったのは世理架の言葉通り血の様に真っ赤な空だった。毒々しいほどに、真っ赤な空は澄み渡っていた。
空から目を落とすと、現代的な街並みが広がっていた。道行く人々は皆目的をもって動いている。その点は外の世界と何ら変わらないものだった。
道行く人々の雑踏に漆紀と彩那は飲まれそうになるが、世理架が一言「おい」と声をかけると「ハッ」とする。
「付いて来い、連れて行きたい場所がある」
「どこに行くんだよ?」
「この街の紹介をするのにうってつけの場所があるんだよ。そこへ行く」
世理架の先導で人通りの多い道を抜けて坂道を上ること十五分。街全体を一望出来る高台へとやって来る。
「ここは……街が見渡せるな世理架さん」
「ああ。ここなら街を紹介し易いと思ったんだ」
高台で彩那は周りをぐるぐると見渡し、首を傾げる。
「世理架さん、あの小高い丘にある西洋風の城みたいな建物はなんなんですか? 凄く目立ってますけど……」
彩那が指差した方角には確かに西洋式の城のような建物が小高い丘に建っていた。
「あれは魔法学院だよ。あの西洋式の造りは明治時代の文明開化の名残だ。あそこでは日々魔法使い達が学習と研鑽を重ねている」
「へぇ~……じゃあ、遠くに見えるあの壁はなんですか?」
彩那の言葉を聞き漆紀は街の遠くを注視する。そこには街を囲うような小さく見える壁が街全体を囲っていた。
「いいかい、この街は日本の魔法使いが住まう日本街だ。その街を取り囲む城壁があの壁さ。あれは中世の頃の名残さ。かつては他国の魔法使いの街とも戦争になったことがあるのさ」
「なるほど……魔法使いの住まう異界でも国際情勢というものがあるんですね」
「それはそうさ彩那ちゃん。特にアジアの国々は竜理教のせいでみだりに外の世界に魔法使いを増やしてるからヨーロッパ諸国から奇異か白い目で見られる事がよくある」
竜理教はその宗教組織を隠れ蓑に高位の信者に魔法を教えている。そうしてみだりに魔法使いを増やす事に異界自体が疑念を抱いているのだ。
「ところで、あの城壁……昔の戦争の名残って言ったけど意味あるのか? だって魔法だろ? 城壁なんて意味ないんじゃないのか世理架さん」
漆紀の疑問も最もだった。魔法という超常現象の前では城壁など何の意味もなさないのではないかという疑問は至極当然であった。
「意味はある。初弾を防ぎ、反撃に出れるのだ。魔法使い全員が君の様に強力な魔法を使えるわけじゃないんだ。渋い戦いってヤツさ」
「へぇ……あと、城壁の先にあるあの開拓地は何なんだ?」
「あれは農耕地だよ。異界だって農作はやってるんだ。城壁の先では農業をやってるんだ、魔法を駆使してな」
街を囲う城壁の先には農耕地が広がっている。様々な作物を育てているのが一目でわかる景色であった。
「それと……街中で魔法学院に次いでデカイ建物があるだろう?」
世理架の指摘通り、街の中央付近に大きな西洋式の建物が目に付く。
「あれは魔法ギルドだ。様々な仕事や物流を担っている役所のような場所だ」
「ギルドねぇ……まんまファンタジーみたいな感じっすね世理架さん」
漆紀は漫画で見たような光景に僅かに心躍らせ、彩那は「なるほど」と頷く。
「まあ特徴的なのはそれだけだ」
「いやいや、もっと他にあるだろ世理架さん。なんでこの異界の空って赤いんだよ」
漆紀が至極当然の疑問を投げかけると、世理架は顔を歪まして答える。
「この異界を創った者が設定したからだ。そいつこそ、ブラッド・E・ブラッツだ」
ブラッド・E・ブラッツ。それは悪神にしてキリストに次ぎ人間の身から神になった存在である。全魔法使いが忌み、なにより世理架の思い人であった醍醐を殺した神である。
「ヤツか……ふざけた野郎め。真っ赤な空の何が良いと言うんだ」
漆紀には空を真っ赤に染め上げるセンスが全く理解出来なかった。
「わからないが、彼にはこの色が心地良かったんだろうな。とにかく、異界について説明出来るのはこの程度だ」
「いやいや他にもっとあるだろ。例えば……そうだアレだ。あの建物」
漆紀が指差したのは楕円形のドーム状の建物だった。
「ああ。あれは闘技場だ。魔法使い達が勝負をする場所だな。それだけ」
「それだけ……?」
「そんなもんだ。あとは現代的な街並みが広がってるのが異界という空間だ」
異界というからにはもっと非日常な光景が広がっていると漆紀も彩那も思っていたが、蓋を開けて見てみれば異様なのは赤い空だけでそのほかはごく普通である。
「なんかつまんねーの」
「ちょ、感想が雑過ぎますよ!」
「異界に来ても見せるものなんてこの程度だ。戻るかい?」
「いや、せっかくだし闘技場見に行ってみようぜ。魔法使いが対戦やってるんだろ?」
「そうだが……まあ、見物には丁度いいか。付いて来い、道案内してやる」
世理架の先導に付いて行き、漆紀と彩那は坂道を降りて魔法使い達が闊歩する街中を歩き抜けていく。
しばらく歩いていると、楕円形のドーム状の建物が再び見えて来た。
「ほら、あそこだ。適当に入ってみるか。歓声もないから今日は何もやってないみたいだし」
闘技場の正面入り口から入ると、そこは受付があるが特に人だかりはなくて疎らである。
「へえ……でも誰かは闘技場を使ってるんだろ?」
「ああ。今日はイベントじゃないから観客席はフリーだな。見に行ってみるか?」
「世理架さん、闘技場の利用方法って基本は対戦なんですか?」
「ああ。模擬戦をやってるのはいつものことだ。こっちの通路だ、付いて来い」
漆紀と彩那は世理架に付いて歩き、エレベーターに乗る。エレベーターで上へと上がると観客席に到着する。
「結構広いな観客席。これどこ座っても良いのか?」
「出来るだけ下かつ試合場に近い方が見やすいからこっちに来い」
三人は下段の方の観客席に座ると、試合場の方を見る。
試合場では一人の男が大きな蜘蛛と戦っていた。
男は蜘蛛に一撃右拳をぶち当て一歩退かせる。それを隙と見て男は後方へと飛び退き、腰のポーチから小さな瓶を取り出す。瓶を開封し、中に入っている液体を男は飲み込む。
「ふぅ! 行くぜぇ!」
男の体の動きが人間のそれとは思えないものとなる。一足で跳躍し、蜘蛛の頭胸部へと右拳を叩き込み、そのまま激しく左右交互に拳を打ち込む。
「あれは……錬金術で作った薬を飲んだんだな。身体強化ってところか。まあ、あんな感じで模擬戦をやったりしてるんだよ」
「へぇ……」
「他に行きたい所はあるかい」
「彩那、どっか行きたいとこあるか? 俺はもういいやって感じだけど」
彩那は額に指を当てて「うーん……」と唸り声を上げて考え込む。
「うん、ないですね! 観光名所とかそういうのは無いんですか?」
「ないな。魔法使い達が住んでる街ってだけで観光地の面はないからな」
「えぇ……それでいいのか異界」
「とりあえず戻ろうか。さて、また魔法の練習だぞ漆紀君」
異界に意外性や面白味を期待していたが、その期待は悉く裏切られた。




