3. 伴侶について話します
少し重くなった空気を変えようと、チェラシュカはジェンナとトゥヴィアに話題を振ることにした。
「私のことより、二人はどうなの?」
すると、トゥヴィアは腰に手を当てて得意げな顔をした。
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました!」
「え、トゥヴィアにそんな相手いたの?」
「ちょっとジェンナ!? どういう意味よそれ!」
「別に? ただ、いつも皆仲良し! みたいな感じのあんたが特定の誰かを選ぶとは思ってなくって」
「わたしだって特別な相手くらいできるよ! なんてったって、五十年生きてますから」
「それはみんな同じよ。で、相手は誰?」
ジェンナに鋭く問われたトゥヴィアは、にんまりと笑いながらもったいぶった言い方で発表した。
「相手はなんと…………! カラエ先生です!!」
「まあ!」
「ええ!?」
カラエ……というと、チェラシュカたちが通っていた学校で料理などを教えていたにんじんの妖精である。
記憶の中の彼女は、いつも朗らかな笑顔で優しく調理方法を教えてくれていた。
ただ、調理の実践を伴う授業の際、彼女にしては珍しく圧の強い笑顔で「包丁は他の子に任せてね」と言われたことがチェラシュカの記憶に最も強く残っている。
確か同じにんじんの妖精であるロテレと仲が良かったはずだから、予め何か言われていたのかもしれない。
「カラエ先生とはいつから?」
「何がきっかけだったのかしら?」
「伴侶の決め手は何?」
「やっぱり包容力かしら。皆先生に言われたら素直に言うことを聞いていたものね」
「ちょ、ちょっと! そんないっぺんに聞かれても答えられないよ!!」
あわあわとする彼女には申し訳無いが、チェラシュカとジェンナの心は珍しく一つになっていた。
照れてはいるものの嬉しそうという今まであまり見たことのない表情をする彼女に、こちらまでなんだかほっこりしてしまう。
「えっとね……、卒業してから十年くらい経ってからなんだけど、卵が足りなくなって養鶏場に行ったら、にんじんを持ってきてた先生と久々に会ってね」
「……トゥヴィアってそんなに卵好きだった?」
「あの頃はお菓子作りにハマってたの! で、ちょうどいいから先生にもアドバイスしてもらおうと思って、お家にお招きしたの」
「確かに、カラエ先生なら的確なアドバイスをくれそうだわ」
「それで、わたしの作ったシュークリームを食べてもらってね」
「また随分と凝ったものを……」
「ねえ、真面目に聞く気ある?」
「ある」
「もちろんよ」
わざとらしくむっとした顔をしたトゥヴィアは、同じくチェラシュカたちのわざとらしい真剣な顔を見てふっと笑みをこぼし、そのまま話を続けた。
「……先生がね、物凄くひきつった顔でこう言ったの。『とっても美味しい』って」
「うわ」
「あら」
「ちょっとジェンナ、うわとか言わないの。……それでね、わたし、先生に本気で美味しいって思ってもらえるものを作りたいと思ったの」
「へぇー、なるほどね」
「それでね、そこからもっと勉強しようと、」
「ちょっと待った。この話あとどれくらいかかる?」
「え? あと……三時間くらい?」
「パーティーが終わってしまうわね」
「長すぎる。簡潔にまとめて」
ジェンナにそう言われたトゥヴィアは、「聞きたがったのは二人じゃないの!」と言いつつなんとか要点をまとめてくれた。
どうやら、再会してから料理を口実に地道に会う回数を重ね、数年前にやっと想いを伝えることができたものの、「成人してもまだ想い続けてくれていたらね」と言われたらしい。
「でね、今日帰ったらとびっきり美味しいケーキを作って、本気で美味しいって言ってもらうんだ〜!」
「まあ! なら早く帰らないといけないわね」
「ここで三時間も喋ってる場合じゃないね」
「たしかに! 伴侶にしてもいいよって言ってもらうためにも、頑張って最高のケーキを作らないと!」
「え、まだ了承してもらってないの?」
「それは……大丈夫なのかしら」
あまりにもニコニコと話すトゥヴィアに対し、カラエに受け入れる気があるのか少し不安に思ったチェラシュカは、思わずジェンナと顔を見合わせた。
すると、すっと笑みを消したトゥヴィアは、どこか遠くを見つめながらこう話し始めた。
「……先生ね、学校で教えるようになる前は、別の伴侶がいたんだって。でも、事故で亡くなったらしいの」
あまりに予想外のことに、チェラシュカたちは何も言えなかった。
言われてみれば、朧げな記憶ではあるものの、カラエの羽は色付いていたように思う。
「詳しい原因は教えてくれなかったけど、そこからは誰かと彩羽にはならないでずっと一人で生きていこうと思ってたらしくて」
「そう……」
「先生にも辛い過去があったんだね……」
「だからね、その人の代わりになることはできなくても、わたしが先生の心にぽっかり空いた穴を埋めたいの!」
……大事な人の喪失によって心に空いた穴を、別の誰かが埋めることなんてできるのかしら。
希望を持って話す彼女には悪いが、チェラシュカはついそう思ってしまった。
失ったときのことを考えると、心の内側に誰かを入れることが恐い。
だからこそ、その距離感の存在を許したカラエを凄いと思うし、そうあろうとしているトゥヴィアが眩しく見えた。
「そっか。なら応援するよ」
「……私も応援するわ。また話を聞かせてね」
「ありがとう! もちろんだよ!」
複雑な心境を隠しつつ三人で談笑していると、ラキュスたちが戻ってきた。
なんとなくニヤニヤしているコピと、少し気まずげなヘリス、ほんのり不機嫌さが混じりつつ真顔を作ろうとしているラキュスに、何かあったのかと不思議に思う。
「おーチェラシュカ、お前相変わらずさっぱりしてるよな! っておい、ラキュス! 足踏むなよ!」
「コピはおかしなことを言うな」
「ふ、二人とも、喧嘩はやめようよ……」
戻ってきて早々、よくわからない話をしだしたコピたちに目を瞬かせつつ、少しぬるくなったノンアルコールワインを飲み干した。
テーブルにあったチーズを包んだ生ハムをゆっくりと咀嚼していると、ジェンナが男性陣に何やら文句を言い始めた。
「あんたらさ、チェラシュカに気があるならもっとわかりやすく押さなきゃダメなのわかってる?」
「は?」
「な、何言ってんだお前」
「え!? ……僕は別にそんなことは」
ラキュスは不機嫌さを露わにし、コピとヘリスはなんだか動揺しているように見える。
「ほら! この子ったら、あんたの話に興味なさすぎてご飯食べてるでしょ!」
コピを指差したジェンナは、チェラシュカの右肩に左手を置いてぐいっと引き寄せた。
三人の視線が集まったチェラシュカは、咀嚼しながら順に一人ずつ目を合わせると、口の中身を飲み込んだ。
「急すぎてよくわからないのだけれど、ジェンナは確実に一つ間違っているわ」
「どこがよ? チェラシュカが鈍すぎるだけでしょ?」
「だってコピは……、」
そこで言葉を区切って、隣のジェンナに視線だけを向ける。不思議そうな顔をしている彼女に、鈍すぎると言われる筋合いはない、とチェラシュカは思う。
もう一度コピに視線を戻すと、トマトの妖精であると誰が見てもわかるような顔色をしていた。チェラシュカが何を言うのかと、はらはらしながら様子をうかがっているのがわかる。
ちょっと面白いなと思い、ジェンナに向かって口を開いた。
「コピの気があるのってね、」
「わーー! わーわー!」
「え、なに?うるさいんだけど」
チェラシュカの言葉を遮るように大声を上げ始めたコピに、ジェンナは眉を寄せていた。
「言うなよ!? チェラシュカ! 聞いてんのか!?」
「ふふ。変わってなかったのね」
「頼むってマジで……!」
彼はこんなにもわかりやすいのに、どうして彼女は気付かないのか。
学生時代、何かとチェラシュカに話しかけに来ていたコピの目当ては、チェラシュカを庇って表に出てくるジェンナである。
チェラシュカに話しかけながらも、コピはちらちらと彼女の位置を確認し、彼女がやってきたらあからさまに嬉しそうな顔で怒られているのだ。
それに慣れてしまったので、コピから話しかけられてもどうせジェンナ待ちだとスルーしがちになっていた。
「私から何か言ったりしないわ。ただ、トゥヴィア曰く、五十年生きれば誰だって大切な相手が見つかるそうよ。ジェンナもそうかしらね」
「え!?」
コピから驚愕の眼差しを向けられたジェンナは、よくわかっていないようできょとんとしていた。
その横で、トゥヴィアがコピとジェンナを順に見て、目をまんまるにしていた。
「えー! そうだったのー!? ぜんっぜん気付かなかった!!」
「わあ、トゥヴィアちゃん、言っちゃダメだよ!」
「ねえ! ヘリスとラキュスは知ってたの?」
「……何が?」
「うん、まあ……。ラキュスくん、気付いてなかったんだね……」
「だから何に?」
「そうか。ラキュスくんは、チェラシュカちゃん以外視界に入ってないんだね……」
「それもそっかー! あはは!」
ラキュスに怪訝な目を向けられたが、ここで説明するわけにもいかないので、チェラシュカは曖昧に微笑んでおいた。
コピはジェンナの追及を受けているらしく、彼の気持ちがばれるのも時間の問題だろう。次に二人に会うときには、もしかしたら二人の羽が色付いているかもしれないと思うと、成人したことを実感するのだった。
そんなことを考えていると、会場内にそろそろ終了する旨のアナウンスが流れた。
「お開きだって!」
「久々に皆に会えて楽しかったわ」
「……まあな」
「僕も楽しかったよ」
「あたしも! 近いうちにまた皆で集まろうよ」
「いいな、それ」
「賛成ー!」
ジェンナの声掛けにコピたちが賛同する中、チェラシュカは言葉に詰まってしまった。
皆はこれからもここで暮らしていくのだから、当然会おうと思えばいつでも会える距離に居続けられるのだろう。友達や優しい大人に囲まれた暖かな空気に浸りながら暮らすのも、決して悪い選択ではないはずだ。
ただ、ここでこれまでと変わらない暮らしを続けるのなら。
傷付いた空虚な心に蓋をして、いずれ時間が解決するはずだ、と見て見ぬふりをしながら生きていくくらいなら――。
そこでふと、あの子の言葉を思い出す。
『シュシュね、いつか森の外に行って色んなものを見てみたいよ』
このときにはもう、チェラシュカの心は決まっていた。




