32. 流されてみます
ストラメルの『みんな裸』という衝撃的な発言に、部屋の空気が固まった。
レオニクス一人のでも脳の容量を超過しているのに、これ以上たくさんの他人の身体を見てしまったら頭が爆発してしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、チェラシュカは彼の言葉の続きを待つことにする。
「オレ自体を忘れられたら困んだけど……。つーかみんな裸ってなんだよ」
レオニクスが戸惑うのも当然のことだろう。少なくともフロリニタスではありえない光景だ。ラキュスだって……やはり、唖然とした表情をしている。
「あ、全裸じゃねっすよ、流石に。水着を着るんっすよ」
「水着……ってどこ行くつもりだよ」
「プールっす」
ストラメルの言葉に、レオニクスは「プールがあんのか」と納得しているようだ。しかし、チェラシュカには端的に伝えられたそれがよくわからず、聞き返した声がラキュスと被った。
『プール?』
「え、知らねっすか?」
「何をするところなの?」
「泳ぐんすよ」
「わざわざ泳ぎに行くの……?」
首を捻りながらそう言うと、逆にストラメルたちは不思議そうな顔をしている。
そんな彼らに対し、ラキュスが更に質問を重ねた。
「そもそも水着ってなんだ」
「何って……泳ぐための服っすよ」
「泳ぐための服があるの?」
「……え、そりゃ普通の服のままだと泳ぎにくいだろ?」
レオニクスもストラメルも、何を聞かれているのだろう? と思っていそうだ。
確かに水の中に普通の服を着て入れば、濡れて動きにくいのだろう。だがそもそも――。
「妖精は泳がないからな」
「羽が濡れるものね」
ラキュスに続けてそう言うと、レオニクスたちは目を大きく見開いた。
「……マジ?」
「え! 泳がないんっすか!? てか雨降ったら濡れるっすよね?」
「小雨なら然程気にならないけれど、雨避けの結界を貼ることのほうが多いわね」
「そこまで……あ、なあ、ラキュスは湖の妖精なんだろ? 湖で遊んだりしなかったのかよ」
「水際で手足を浸す程度ならあるが、水が冷たいし足首より上を浸けることは無いな。それに、水圧で羽が自由に動かしづらい状況は、想像するだけでちょっと……」
「そうね、そわそわするわね」
湖の中に手を差し込んでパチャパチャするのは、程よく冷えて気持ちがいいし楽しかった。水を押し出すと逆に水から押し返される感覚も、自然と触れ合っている感じで面白い。
だが、あの感覚が自分の羽で生じたとなると話は別だ。
大きな雨粒が羽につくだけでも気になってしまうくらいだ。水の塊の中に羽を入れるとなると、水に纏わりつかれて拘束されているようなイメージが浮かんでしまう。羽ごと背中まで水に浸かろうとする妖精は、かなりの物好きだと言えよう。
「マジっすか! 日差しあっつ! プールに飛び込みてーってならないっすか!?」
「そもそもプールとやらが無いからな」
「フロリニタスはそんなに暑くなることはないわ」
「へぇー、羨ましいっす! あ、でもクソ暑い中で冷たい水に飛び込むのもなかなかいいんすよねー」
水の中に飛び込みたくなるほどの暑さとは、一体どれ程のものなのだろう。
チェラシュカたちの生まれたフロリニタスは、森に囲まれていることもあってか年中穏やかで過ごしやすい気候だった。四季の移り変わりで見られる草花が変わりはするものの、比較的暖かい、または涼しい程度の変化である。
「行ったことないんなら余計に丁度いいっす! 折角なんでみんなで行かないっすか?」
「……なんでそんなに行きたがんだよ」
「そりゃもちろん、この国を出る前に一泳ぎしときたいんすよ!」
「……ふーん」
やや納得のいっていないような声を出すレオニクス。何か気になることでもあるのだろうか。
「まさかいくら猫だからって、水に濡れるのが嫌とは言わないっすよね?」
「オレは猫じゃねえ! つか動物と一緒くたにすんな」
「似たようなものじゃないっすか〜」
「ちげえっつの」
不満げにそう漏らすのを聞くと、以前セルヴィエルが彼のことを"大きな猫ちゃん"と称していたのを聞かれていなくてよかったなと思う。
物音が聞こえる方へ耳が向いたり、興味のあるものを見たときに瞳孔が真ん丸に開いたり、飛行魔法を使わなくても脚力だけで高く跳べたり――そういった様子を見ると「図鑑で見た猫科の動きそのものだわ」と思っていた。
だが、彼は動物ではなく獣人なのだ。きっと妖精にはわからない別種の生き物としての矜持があるのだろう。うっかり彼や他の獣人に失礼な態度を取らないよう気を付けなくては。
◇◇◇
レオニクスを部屋に呼んで謝罪をした次の日。
結局チェラシュカの記憶に関する対応に関しては有耶無耶になってしまった。
いずれなんとかしなくてはと思いつつ、チェラシュカはストラメルの案内で、プール近くの水着を販売しているお店に来ている。
ストラメルが色々と話すのを聞いているうちにプールに興味が湧いてしまったため、全員で行ってみることになったのだ。
なお、ラキュスたちは男性体向けのお店に行くとのことで一時的に別行動である。
「お姉さんにはこれが似合うと思うんだよねー」
そう言いながらヒトの店員が布を渡してくる。
男性体厳禁の店内には数名の女性客がおり、皆一様に似たような布を手にしている。水着初心者はチェラシュカだけなのか、店員が張り付いている客は他には居なかった。
彼女たちはそれぞれ迷いない目つきで水着を選んでは、身体に当てたり試着室へと向かったりしている。
チェラシュカは店員から受け取ったそれをピラ、と広げてみる。面積の小ささが何とも心許ない。
「これが水着?」
「そうだよー! 一番オーソドックスな形! そして一番人気!」
彼女曰くビキニタイプというそれは、下着とほぼ変わらない見た目をしている。
――これを人前で着るの? 本当に?
「……お腹を出すのははしたないわ」
「ノンノン! 妖精の街出身者はみんな保守的すぎる! 水着なんて肩出してへそ出して足出してなんぼ!」
今彼女のしている格好がまさにそうなのだろう。オフショルダーのトップスで肩をむき出しにし、ショートパンツを履いて少し日焼けした足を惜しげもなく晒している。
しかしここでまた聞き馴染みのない単語が出てきた。
「……へそ?」
「あ、妖精には無いんだっけ?」
「多分無いと思うわ」
「ふんふん、胎生じゃないもんね。へそってのはお腹の真ん中にある凹みのことだよ」
「凹み」
ピンと来ないチェラシュカは、そのまま彼女の言葉を繰り返す。
すると彼女は自身の腹部に手をやり、なんの躊躇いもなく丈の短いトップスの裾を胸の下まで捲りあげる。
確かにそこには、親指の先ほどの大きさの謎の凹みが見えた。自身ののっぺりとしたお腹とは違うようだ。
ただそんなことより、他人から腹部をあっさり見せられてしまったことでつい視線が左右に泳いでしまう。
「そ、それがへそなのね……」
「そっ! ま、へそがなくてもお腹を出せばいいんよ! 水着なんだから!」
「なるほど……」
「そういうわけで、こういうのかこういうのがオススメかなっ!」
更に渡された布を広げてみると、最初のよりは幾分かましだが、それでも普段着ている服と比べると面積が半分以下だった。何より気になるのは、セパレートタイプで上部分が胸元しか覆っていないということだ。
「やっぱり私、お腹を出すのは……」
「えー、もったいない!」
何がもったいないのかはわからないが、そう言われても……と困惑する。一方、彼女はうーんと唸りながら何かを考えている。
「じゃあさじゃあさー、背中は出してもいいよね?」
「背中は構わないわ」
「じゃあこれはどーお?」
そう言いながら渡されたのは、黒地に白い大きめの花柄が描かれたワンピースタイプの水着だった。丈は短めではあるがスカート部分もあり、太ももの半分くらいは隠れそうだ。
「ホルターネックで背中から脇腹まで空いてるけど、お腹は覆ってるからこれならいいでしょ?」
「そうね、可愛いわ」
ここまでに渡された水着よりかは大分安心感がある。そう思い返事をすると、彼女に背中を押された。
「はい決まりー! 早速試着してみて!」
「え、あっ」
「下はこのインナーを履いてから着てね。一回着たら見せてねーっ!」
森の外の服屋の店員は押しが強いな、と思いつつ仕方なく着替えることにする。
試着室は店内の販売スペースから見えないような位置にあり、二重になったカーテンで外と隔てられている。だが、他にも人が居るのにここで脱ぐのはやはり躊躇われるな……と思っていると外から声がかかった。
「もし着にくかったら手伝うからねー」
「一人で着られるわ!」
万が一中途半端な着替え途中で入ってこられると困る! と慌てて返事をした。
そうしてのろのろと着替えたチェラシュカは、試着室内の鏡を見る。濃い地の色と白い大きな花柄とのコントラストが強く、それによって可愛らしさと大人っぽさが両立しており、自分でもよく似合っているように思えた。
その場で半回転し、振り向いて再度鏡を見る。いつもの服は羽のある肩甲骨までの露出であるのに対し、この水着は背中の七割程が見えている……が、許容範囲内だ。
ただ、実際に身に着けるとスカート丈が思いの外短く、これは守りが薄すぎるのではないかしら……と眉を寄せる。
そこへ「失礼しまーす」という声と共に後ろのカーテンから先程の店員が入ってきた。着替え終わったと伝えたからではあるが、それでも少しドキリとする。
「ええー! めっちゃ可愛いー! 妖精の子ってみんな胸元が寂しいから予めパッドで盛っといたけど、丁度いいね!」
「それはどうも……?」
胸元が寂しいとは? と思ったがそれを聞く前に彼女の言葉がシャワーのように降ってきた。
「足細ーい! 肌も白くてすべすべ! 黒い水着だから余計に映えるね! 背中もすっごく綺麗だし、これはアップスタイルのほうが良さそー。よし、これでいっぱい悩殺しちゃおー!」
「おー……?」
よくわからないままに相槌を打つ。
彼女からは更に「うちの水着の中で一番似合ってる」や「これでも露出は少ない方」などと言われ、そんなものなのかと思ってしまう。
「日焼け止めだけじゃなくて物理的な日除けもあるほうがいいし……何より、最初から全部見せてるよりちらっと見える方がたまんなかったりするもんねー! ほら、これも着てみて」
そんな言葉と共に白いレースの羽織物を広げられたので、言われるがままに腕を通す。
丈は膝より上だが水着をすっぽりと覆うくらいの長さなので、これならスカートの丈の短さもあまり気にならない。
あまり悩んだところで決めきれないし、他の文化に少しくらい歩み寄るべきかも、と思った部分もある。
そういう流れで、あれよあれよというまに水着と羽織物を買うことに。
ついでに、飲むタイプの日焼け止めなど必要なそうなものを共に買っておく。この錠剤タイプの日焼け止めは飲むだけで効果が半日持続するらしく、チェラシュカは開封して一つ飲んでおいた。
このまますぐそこのプールに行くからとタグを切ってもらったところ、ついでだからと髪をツインテールにされた。
それから元々着ていた服を畳んで携帯型金庫に仕舞っていると。
「チェリ!」
声がした出入り口の方を振り向くと、ラキュスが扉の向こう側に居た。
彼も水着を買ってそのまま着てきたらしく、ひらっとした半ズボンに、珍しく大きなTシャツを身に着けている。
「お迎えが来たみたいだねー」
「ええ」
お礼を告げて店の外に出ると、ラキュスが難しい顔でこちらを眺めていた。その視線は羽織の隙間から覗く足元に固定されている。
「短すぎじゃないか」
「……やっぱりそう思う?」
「ああ。眩しさで目が焼ける奴が出てくる」
「……目が焼ける?」
「やはり俺がもっと丈が長いのを探しに、」
「待って、これでも露出は少ない方って言われたわ」
チェラシュカはそう言って、お店の方へ向かおうとするラキュスの腕を掴んで止める。
『男性厳禁』と店の扉に書いてあるのだ。店からは少し離れているのでこちらの声は聞こえないはずだが、店内から店員がこちらを窺っているのが見える。
一見にこやかにしているけれども、きっとラキュスが足を踏み入れようとしたら容赦なく追い返すのだろう。
目の前のラキュスは信じがたいと言いたげな顔をしている。チェラシュカとしても、これが露出が少ない方だというのが疑わしい気持ちはわかるが、ざっと店内を見た感じどれも似たような丈ばかりだったのは事実だ。
「最初に渡されたのなんて、お腹も出るしスカートも無かったの」
「そんなのをあの店員はチェリに勧めたのか?」
「ここではそれが普通みたい。でも私が流石にそれはって言ったら、これを出してくれたの」
そう言いながら店員が言っていた言葉を思い出す。
「えっと……丈が長いのもあるけれど、水に濡れると脚にまとわりついて動きにくいし、ここでは人気が無いから種類も少なくて全然可愛くないし、そういう格好の人は少なくて逆に人目を惹いてしまうから、ちょっと危ないかもって言っていたわ」
「…………」
とにかく長いのはオススメしない、という店員の言葉にはところどころよくわからない内容もあったが、それほどまでに勧められない水着を選ぶほどの強い意思は無かった。
険しい顔で黙り込んでしまったラキュス。
少し不安になり、チェラシュカはこう問いかけた。
「もしかして、似合っていない?」
「チェリに似合わない服なんてない。それも世界一似合ってる。その髪型もピッタリだと思う」
「うふふ、ありがとう」
彼が即答で褒めてくれたので思わず笑みを零した。彼の言葉を疑いはしないが、チェラシュカが身に着けるものに対しいつでも何でも過剰なまでに褒めてくれるので、彼に審美眼や好みという概念はあるのかとほんの少し疑問に思う。
すると、ラキュスがぐっと目を瞑って眉を寄せる。そして心底苦しそうな声でこんなことを言い出した。
「本当は露出が少ない方がいい。ただ……」
「ただ?」
「可愛くないと言われている服をチェリに着せるわけにはいかない……」
まるで究極の二択を選ばされているかのような――例えばとびきり苦いお薬を飲むか、とびきり痛い注射を打つか――そんな苦渋の決断を迫られているような声に、チェラシュカの微笑みが苦笑に変わる。
一応彼なりに美醜の判断基準はあるらしい。
「なら、これでいいわよね。無駄遣いはしたくないし、みんな似たような格好だから目立たないって」
自分でそう口にしてからはっとした。
――これ以上に防御力の低い薄着の人が、プールにはたくさんいるということよね……?
「仕方無い。もしものときはその羽織を大きくして全身を包もう」
「え、ええ……」
「行こう」
ラキュスがプールのある区画の入口まで歩きはじめた。チェラシュカは思わず彼のTシャツの裾を掴み、共に足を動かす。そして、そわそわと落ち着かない心を宥めるように反対の手で胸元をそっと押さえるのだった。




