20. 川を渡ります
レオニクスがチェラシュカたちの仲間に加わってから、およそ一週間が経った。
早々に妖精狩りや個性的な治安維持体に出会ったときは先行きが不安になったものだが、あれから特に目立った出来事も起きていない。
その間、チェラシュカたちはいくつかの村や街を徒歩、または乗合馬車に乗って移動してきた。今のところ野宿はせずに済んでおり、坐する守護の出番もまだない。
そんな平穏な一週間を過ごしてきた三人は、現在川の近くの船着き場に居る。ここから向こう岸まで渡る船が、日が昇っている間だけ一時間に一本出ているらしい。
次の便が出発するまでにはまだ時間があるが、一本逃すよりはいいと早めに乗っておくことにした。
船着き場にある受付で乗船料をまとめて払う。片道は十五分程だそうだ。
受付で案内された場所へ向かうと、頑丈そうなつくりの思ったよりも大きな船が川岸に停泊していた。
船の長さはチェラシュカの足で十五歩分程であろうか。一見、木で出来た船体の上に横長の小屋が載っているような感じだ。
見晴らしの良さそうな船の前方のデッキには、人一人分のスペースが空いている。恐らくそこで渡し守が船を操るのだと思われる。魔法で操縦すると聞いたが、あの大きさの物体をそのまま動かすと魔力の消費が激しいため、きっと魔力を節約して操縦する方法が存在するのだろう。
その後方には、三人掛けくらいの長方形の座席が五列程並んでいた。全て進行方向を向いて座るように設置されている。座席スペースの上には屋根があり、腰ほどの高さの壁で囲われて外が見えるようになっている。
船内にはまだ誰も乗っていない。チェラシュカは逸る気持ちを抑え、船の入り口にそっと足を踏み入れる。
それに続いて、後ろからラキュスたちも船に乗り込んできた。
「まあ……! ゆらゆらしているわ……!」
「ああ、ゆらゆらしてるな」
チェラシュカは真っ直ぐ進んで腰元の壁の縁に手をつき、外を眺めてみる。陸地にいたときと景色は変わらないはずなのに、なんとなく楽しい気分になってきた。
「船ってこんな感じなのね! 初めてだからわくわくするわ」
「オレも船に乗るのは初めてだぜ」
川の流れで緩やかに揺られる船に身を任せ、弾む心のままにぴょんぴょんと跳ねてみると、少し揺れが大きくなる。自分の動きと連動して船が動くことが面白くなってきたところで、右隣に来たラキュスから声をかけられる。
「チェリ、落ちないよう気をつけろよ」
「わかったわ!」
「跳ねてる……可愛い……」
少ししてチェラシュカは跳ねるのを止めると、陽の光が反射する川面をじっと眺める。たまにぱちゃんと水飛沫が跳ねているが、魚が水面へ飛び出しているのだろうか。
「ここにいる魚って、フロリニタスの湖にいる魚とは違うのかしら?」
「上流は繋がっているから同じ魚がいてもおかしくはないと思うが、どうだろうな」
「そういえば、生きている魚を見るの久々かもしんねえ」
「そうなの?」
「前の仕事のときは川の近くに来ることもあったけど、細工師になってからはそういう場所に行く機会がねえんだよな」
「なるほどな」
そんな話をしていると、徐々に乗客がやってきた。
渡し守らしき人もやってきたため、そろそろ座っておこうかと話す。席は特に決まっていなかったので、一番後ろの座席に右からラキュス、チェラシュカ、レオニクスの順に腰掛けた。
世の中にはこれよりもっと大きな船や、何日もかけて行く船旅もあるらしい。だが、たった十五分でもチェラシュカにとってはワクワクするのに十分だった。
この船の乗客全員が、向こう岸に渡るという同じ目的を持っているということもなんだか面白く感じる。
生まれも育ちも種族も、最終的な目的地も皆違うけれど、たまたま同じ船に乗り合わせたことで一時だけ同じ時間を共にする――これからの旅路にはきっとそんな出会いがたくさんあるのだろうと予感した。
チェラシュカは前方と左右を交互に見ながら、いつ出発するのかと心待ちにしていた。
しばらくすると渡し守が今から出ると案内をし、船がゆっくりと動き始めた。一度大きく揺れたものの、すぐにその揺れは気にならない程度になった。
乗客のほとんどは、慣れているのか進み始めたことに対して特にこれといった反応を見せず思い思いに過ごしている。川を眺めている人、本を読む人、乗客同士で話に花を咲かせる人たち……。
チェラシュカはそんな彼らを見回した後、レオニクスに声をかけてみることにする。先程から胸元にちらちらと向けられる彼の視線が気になっていたのだ。
「レオニクス、もしかしてこれが気になる?」
そう言いながらケープを留めるブローチを指差した。
気付かれていないと思っていたのか、はたまた無意識だったのか、レオニクスは大袈裟なくらいビクリと肩を震わせていた。
「っわりぃ! 見過ぎてたか!?」
「時々視線を感じるなと思っていたの」
「……ごめん、気持ちわりぃよな」
「そんなことはないわ。職業病なのかなとは思ったけれど。良かったら見てみる?」
「いいのか!?」
もちろん、と頷いたチェラシュカは、ブローチの金具を外してレオニクスに手渡した。
中心には親指の先ほどのローズクォーツが、周りには花びらに見立てた白蝶貝がいくつもあしらわれている。八重桜をモチーフとしたそのブローチは、チェラシュカのお気に入りだ。
ありがとうと言って丁寧な手つきでそれを受け取った彼は、上下左右から見回して、たまに光に透かしたりしている。一気に真剣な眼差しになった彼に、仕事中もきっとこんな感じなのだろうなと思った。
そんな様子を目にしつつ、チェラシュカは肩にかかっているだけになったケープを畳んで膝の上に置く。万が一飛んでいってしまっては困るのと、風が気持ち良いのでたまには直接当たるのも良いかと思ったのだ。
「最初に見たときから思ってたけど、やっぱこれすげえいいもんだな」
「ありがとう。私が成人を迎えたときにロテレさん……私を育ててくれた大人の人がくれたの」
「へぇ、大事にされてたんだな」
「うふふ。私のお気に入りだから、レオニクスに褒めてもらえると嬉しいわ」
彼は手元のブローチをじっと眺めたまま、穏やかな笑顔を浮かべていた。彼もこういうものを作ったりするのかな、なんて考えていると、ラキュスから声がかかった。
「チェリ、あそこで今魚が跳ねたぞ」
「え、本当? どこかしら」
「あのあたりだ。結構大きかった」
「まあ、見てみたいわ」
ラキュスが指さす右手側にチェラシュカは身体ごと向けた。じっと川面を見つめるが、なかなか魚が見つからない。少しラキュスの方へと前のめりになって、何処だろうと目を凝らしていると。
「チェリちゃんありが……。……!? 待って待ってチェリちゃん、え!? 背中……!?」
「うるさいぞ」
「背中? 何かついてるかしら」
何事かと思いチェラシュカがくるっとレオニクスの方を振り向くと、彼は何故か視線をあちこちに彷徨わせて慌てふためいている。
「いや、だっ、あ、空いてる……」
彼の言葉に目を瞬かせる。心地良い風も吹いているため、恐らく髪の隙間からチェラシュカの背中が見えたのだろう。
「……もしかして、背中が剥き出しなのが気になる? 妖精の服はみんなこうだからあまり気にしていなかったけれど、レオニクスから見たら変わっているかしら」
妖精は背中に羽があるため、服の背中側は大別して二パターンに分かれる。
一つはラキュスの服のように羽の部分がくり抜かれたパターンで、もう一つはチェラシュカの服のように羽より上に布がないパターンだ。
いつもはケープで覆われているから見えにくいが、チェラシュカの服のトップスはどれも鎖骨が見えるくらいには襟ぐりが大きく空いているし、背中側は肩甲骨の下あたりまでが覆われる形となっている。その上にジャンパースカートを身に付けるのが、普段のチェラシュカの装いだ。
「いや、変わってるっつーか……ドキドキするっつーか……」
どうにも歯切れの悪いレオニクスの物言いに、よくある妖精の服装はフロリニタスの外では歓迎されないのかと考える。
「たまには涼しくていいかと思ったのだけれど……気になるようならケープを羽織ったままにするわ」
ほんの少ししゅん、とした顔でケープを広げようとしたところ、「いや! 全然大丈夫だから!」と遮られた。目をぎゅっとつむりながらも手を真っ直ぐ突き出して止める彼の姿に、チェラシュカは小首を傾げた。
「私に気を使わなくていいのよ? 他種族から見て非常識なこととかがあれば、遠慮なく教えてほしいわ」
「非常識なんかじゃねえよ! ちょ、ちょっと予想外だっただけ……」
彼はそう言いながらそろりと目を開くと、チェラシュカの顔、服、景色、たまにラキュス、と忙しなく視線を動かしている。
本当に大丈夫か、と不思議に思いつつも、とりあえずは彼の言葉を深堀りせず表面を撫でるだけにする。
「なら、しばらくこのままでいるわね」
「お、おう」
「……なるほど、普段着も注意しないといけないのか」
ラキュスは何やら真剣な顔で考えていたようだが、ふとこちらを向いて口を開いた。
「チェリ。知らない奴の前でケープは脱がないほうがいい」
「? わかったわ、ラキュス」
「そうだな……他の奴の前でって考えるとオレも落ち着かねえ……」
やはり色々な面でフロリニタスの外は勝手が違うようだ。言われてみれば、旅に出てからすれ違った人々の服装を思い返すと、手や足は露出していても背中を出している人はあまり居なかった気がする。
お腹を出した服装を見たときはチェラシュカもびっくりしたので、きっとレオニクスも見慣れない背中の露出した服を見てびっくりしたのだろう。
当初はラキュス以外に旅を共にする仲間ができることは想定していなかったが、こうして異なる常識や価値観を教えてくれる友人ができてとても良かったなと思う。
外の景色を見ながらお喋りをしていたら、いつの間にか到着していたようだ。
ブローチを返してもらったチェラシュカはケープを羽織りなおすと、ラキュス、レオニクスに続いて船を降りた。
肩越しに振り返ってみると、向こう岸にうっすらと自分たちが受付をした港が見える。この距離を船で移動したのかと思うと、なんだか感慨深い。
ここでもし船ではなく吊り橋で川を渡っていたとしたら……、そう考えて背筋がぞわりとする。旅へ出る前にラキュスが言っていた吊り橋は、もっと上流の方で川幅はここより狭いとのことだったが、それでもそこそこの距離がある。崖から伸びる吊り橋の上を渡るのは、到底不可能だっただろう。
いつか足が竦まなくなる日は来るのだろうか――。
チェラシュカはそう思いながら、船着き場を後にするのだった。




