13. 法には触れていません
犀の獣人が完全に動かなくなったのを見届けたチェラシュカが二人のところに戻ると、ラキュスに手を取られた。
「チェリ、俺の言いたいこと、わかるな?」
「……ごめんなさい。我儘を言ったわ」
「いくら弱そうに見える相手でも、油断してはいけないと習っただろう」
「そうね……『格下だ! 油断大敵、侮るな』って先生が壁に貼っていたものね」
「そうだ。明らかに弱そうに見えても、何が命取りになるかわからないからな」
「ええ……。でも、どうしても雑魚相手に腕試しをしておきたかったの」
「今回は明らかに隙だらけだったし、俺もレオニクスも見ていたから一人で行かせたが、そうじゃなきゃ危ないことはさせられない」
「はあい……」
かつて学校で習った自衛の基礎は、一に逃走二も逃走である。とにかく逃げろ、逃げられる戦いなら戦うなというのが根本にあった。
今回の場合、鳥の獣人が居たことで空まで追いかけられてしまったものの、ラキュスが地面に落とすことはできたので、二人だけなら逃げられたかもしれない。
でもレオニクスが居たし、というのは言い訳だろうか。
「格下……雑魚……」
レオニクスが眉間に皺を寄せて考え込んでいるようなので、声をかけてみる。
「ねえレオニクス」
「っはい! なんでしょう」
「そんなにびっくりしなくていいのよ。ちょっと顔色が悪いようだけれど、大丈夫?」
そう問われた彼はやや気まずげな顔をして「だ、大丈夫だぜ」と言う。何かを誤魔化しているような雰囲気だ。だが、それを深く掘り下げるのは彼が話したくなった時でいい。
「そう? 無理はしないでね。あとね、これだけは言っておきたいのだけれど……」
「な、何?」
彼はどこか緊張した面持ちでこちらに目を向けた。そんな彼を安心させるように、ニッコリと笑みを作る。
「初めて獣化した姿を見たけれど、とってもかっこよかったわ!」
「……そう?」
「ええ! あなたの髪色は燃える夕焼けみたいでしょう? 全身がそんな色の大きな獅子だもの、すごく迫力があったわ! それに、あっという間に妖精狩りを倒してしまって、すっごく頼もしいなって思ったの!」
「そ、それほどでもねえって……」
「是非また見せてね!」
チェラシュカの言葉を聞いたレオニクスは、とても嬉しそうに笑っている。
何でもないときでも気軽に獣化してもらえるよう、こうして地道に彼の意識改革を試みたい。いつかあのふわふわの鬣に触れてみたい……なんて気持ちは伏せたままで。
「……それでね、とりあえずあの獣人たちを縛ったほうがいいかと思うの」
「おう……。はっ! 縛るのに植物を使うのは駄目だぜ」
「ええ、わかっているわ。それはラキュスにやってもらうのだけれど、こういう悪い人を捕まえたときってどうしたらいいのかしら?」
「あー……ここってギリ、モディトゥムに入ってるよな」
あたりを見回しながらそう口にするレオニクスに、恐らく、と返す。そうすると彼はホッとしたような様子を見せる。
「良かった、セーフ……」
そこへ獣人たちを手早く拘束し終えたラキュスが戻ってきた。
「モディトゥムだと何かあるのか?」
「というより、アウステリアだとちぃっとマズかった。オレが」
「どういうこと?」
「アウステリアでは、獣人同士の私闘が禁じられているんだ」
「へえ……」
「……こちらが襲われたのだから正当防衛にはならないの?」
「チェリちゃんたちは大丈夫だと思う。でも、獣人同士だと割と理由を問わず喧嘩両成敗になっちまうんだよな」
「まあ……」
「なかなか厳しいんだな」
そこでふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういう法律って、多数派に有利になるように作られているのではないの?」
「多数派? ……ああ、獣人にってことか。他種族から見るとそう思えんのかもな。えーっと……獣人の中にも獅子族とか犀族とか部族がいくつかあるんだけど、人口的には草食動物が多いんだよ」
「ふうん……まあそうなるのか」
「そこでだ。人型同士ならともかく、獣化した状態で戦った場合、一対一ならまず肉食動物、次点で身体の大きい方が勝つ。そこで負けが多い方はどうするかっつうと、」
「……数を増やすわね」
「そう。それで、その戦いに加わるやつがどっち側にも増えてって泥沼化しちまうってことで、そう決まったらしい」
「そうなのね。それなら……草食動物の方が有利になっているのね」
少し考えてからそう言うと、レオニクスは驚いたようにこちらを見た。
「そう、そうなんだよ! チェリちゃんすげえな!」
すごいかしら……と思ったもののここは曖昧に微笑んでおくことにした。
「ん……? どういうことだ?」
ラキュスはピンときていなかったようなので、簡単に説明することにする。
「元々この私闘を禁じる法律がなければ、草食動物は弱い立場だったわけよね?」
「まあ、そうみたいだな」
「数を増やせば勝てるかもしれないけれど、肉食動物の方も数を増やしてきたらやっぱり負けてしまうわよね?」
「そうだな」
「なら、この法律は肉食動物から草食動物を守っているという時点で草食動物にとって有利じゃない? 本来持っている優位性をなくさせて、強制的にお互いを話し合いのテーブルにつかせるのだから」
「なるほど……」
ふと気付くと、レオニクスは隣でキラキラした目をこちらに向けていた。
「オレ、何回親から言われてもなかなかわかんなかったのに……!」
「そうなの?」
「おう。多分獣人はみんな言われてっと思うけど、肉食動物は特に、昔っから親からも学校でも口酸っぱく言われてんだ。草食動物には手を出すなって」
そう聞いたラキュスの濃紺の瞳が、興味深そうに煌めいた。確かに、チェラシュカとしても気になる話題ではある。
「肉食動物同士なら、なんつうか拳でわかり合うっての? じゃれ合いの延長線みたいな感じで、なんかあっても最終的にはなあなあで終わるんだけど、草食動物相手だとこっちが一方的に悪者みたいな感じになってよ」
「確かに、栗鼠や兎の子を殴ったりしていたら圧倒的に悪く見られそうね……」
そう言いながら、カスティナや門でボディチェックをしていた兎の獣人を思い出す。
贔屓は良くない。良くないが、もし獣人同士の争いを収める機会があったら、ふわふわなお耳やもふもふの尻尾を視界に入れないようにする必要があるだろう。
「しかも、自分も裁かれるんだから黙ってりゃいいのに、そういう奴ってなんとしてでも肉食動物を無傷のままでいさせるものかって精神が強くてよ」
呆れ混じりにそう言う彼に対し、ラキュスが揶揄うようにこう言った。
「レオニクス、それは経験談か?」
「ばっ……、オレじゃねえよ! 昔仕事でそういうやつを見たんだよ」
「ふうん」
「信じてねえな?」
チェラシュカはぱちんと両手を合わせると、二人に声をかけた。
「まあまあ二人とも。アウステリアの法はよくわかったわ。もしここがアウステリアで、かつボコボコにしたことがバレてしまったら、レオニクスの旅が終わっていたということね」
「そうなんだよ、いやあ危なかった」
「わかってたなら気をつけろ」
「ならここで話を戻すけれど、悪い人を捕まえた場合はどうするのがいいかしら? いっそ放置してしまう?」
そういえば、といった表情でラキュスたちが顔を見合わせた。
「こいつらは妖精狩りのようだし、他の犠牲を出さないためにも然るべき対応をすべきだとは思うが……」
「治安維持隊が居そうなところから遠いんだよな……」
「治安維持隊?」
聞きなれない言葉だったので尋ねてみると、レオニクスが説明してくれた。
今チェラシュカたちが居るような国を跨ぐ道の安全を守る組織がどの国にもあり、そのメンバーが定期的に巡回しているという。国境付近は人が少ないため、何かと荒れがちなんだとか。
旅人同士での諍いだけでなく、凶暴な野生生物や魔獣などが出た場合にも対処しているらしい。
そういえば、森を抜けるときにも魔界ネズミに出会ったものね……と昨日のことなのに懐かしく思う。
「ここまでの道でそれらしき奴って見かけなかっただろ? てことは入れ違いなんじゃねえかな……」
「妖精狩りの為にわざわざメリスまで戻るのも癪だし、かといってメディオンはまだまだ遠いしな」
三人がどうしたものかと頭を悩ませていたとき、地面を駆ける軽やかな複数の音が聞こえてきた。
その音が近くで止まったので振り返ると、三頭の馬が目に入った。そこから一人降りて、こちらへ向かってくるようだった。
「やあ君たち。こんなところで何をしているんだい」
肩までで切り揃えられた新緑の髪を靡かせたその人は、ツンと尖った頭上の耳をぴこぴこ動かしながら話しかけてきた。
細い銀縁の眼鏡の向こうに見える灰色の瞳からは、理知的な印象を受ける。だが、それ以上にインパクトが大きいのは。
――なんて大きな角なのかしら。
ぴこぴこ動く耳の近くに生えている、枝状に分かれた立派な二本の角を、無意識にじっと見つめる。それに気がついた彼は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、チェラシュカにニコリと笑みを向けた。
「なんだいお嬢さん。そんなに熱烈に見つめられると角が伸びそうだな」
「まあ……不躾に見てしまってごめんなさい。そんなに立派な角を持っている人を見たのは初めてだったの。それ以上に更に伸びてしまうの?」
「あっはっは! オレのジョークに真面目に返されたのは初めてだ。これでお互いに初めてを貰ってしまったというわけだね」
「おいっ」
レオニクスが鋭い声を上げてチェラシュカの前に出てきた。
ラキュスもいつの間にか隣に居て、じっと彼に厳しい視線を送っている。
「やれやれ、二人の騎士はお姫様を守るのだけは熱心だな。だけど、君たちはアレの処理に困っていたんじゃないのかな?」
そう言った彼は、握りこんだ手の親指で縛られた獣人を指し示した。
「そうなの! あいつらは妖精狩りで……」
「ああ。襲って来たやつを捕まえたはいいが、どうしたものかと思っていたところだ」
「お兄さん、服装からして治安維持隊だろ? 丁度困ってたんだ、あいつら連れてってくれよ」
ラキュスとレオニクスに言葉を被せられ、チェラシュカは閉口する。
あの人は敵ではないようなのだから、前に出る必要はないのではないか。
――ラキュスに続けてレオニクスまで過保護になっちゃったのかしら。私にだって意思はあるのに、困ったものだわ。
「ふうん、そうかい。確かにオレは治安維持隊だからな、悪い奴は捕まえるのが仕事だ。だが……お前たちが悪い奴でない証拠はどこにある?」
彼が急に底冷えのするような声を出したため、思わずぞくりと震えた。ラキュスとレオニクスも同じだったようで、ピシリと固まっている。
「居るんだよなあ。お前たちみたいに正義ぶって、ただ憎いだけの相手を悪者にするやつがよお」
さっきまでの気安いお兄さんみたいなキャラはどこへ行ってしまったのか。実は魔界の門番だと言われても信じてしまうくらいには、彼は恐ろしい目つきでこちらを睥睨していた。
「ほら、さっきの勢いはどこへ行った? 騎士気取りの坊っちゃんがよ。あれだけ反抗的な目を向けていたくせに、己の非を突きつけられるとだんまりか?」
彼は懐から取り出した細長い棒をしならせて、ピシャリ! と音を立てた。
「おいおい、そんなんでお姫様守れんのか? それとも実はどこかから攫ってきたのか? お前らがホントは悪い奴でしたってか」
あっはっはと笑い声を上げる彼だったが、目は全く笑っていなかった。本当にさっきとは別人になってしまったようだ。
ラキュスたちに再度視線を向けるが、変わらず彫像のような状態である。
仕方がない、と思ったチェラシュカは「あの!」と大きな声を出した。




