3. 首都メリスに着きました
チェラシュカたちが進んでいる道の先に、大きな塀と立派な門が見えてきた。
チェラシュカの身長の数倍はある塀の天辺には金属でできた返しがついており、門の左右にはいかつい格好の獣人が一人ずつ立っている。
門の前には、中に入ろうとする人々や荷馬車などが並んでいた。
どうやらあの門の向こうがアウステリアの首都メリスのようだ。
国境には特に門などは設けられていないが、各都市ごとに検査場所が設置されていると聞いていた。
レオニクスはアウステリアに住んでいる証明となるカードを見せると先に通され、チェラシュカたちは門のところで簡単なボディチェックを受けた。
女性体のボディチェックは兎の女性体の獣人が、男性体には熊の男性体の獣人が担当しているようだ。
「あら、あなたは妖精? ここでは毎日多くの人々の対応をするけど、妖精は本当に珍しいのよね。あなたのような可憐な女の子は特に」
「ええ、妖精よ。そんなに珍しいのね。あなたは兎の獣人かしら? 黒いお耳がとってもふわふわで素敵ね」
「うふふ、私のトレードマークよ」
そう言った彼女は、トレードマークだという耳をぴこぴこと揺らした。
あまりの可愛さに、チェラシュカは自身の胸をそっと押さえて小さく呻いた。
メリスに来た目的を聞かれたので、食事と買い物と観光だと答えると、楽しんできてねと見送られた。チェラシュカはそれに手を振り返して門をくぐった。
市内はさすがに首都というだけあって、活気が溢れている。
今まではほとんど目にすることのなかった獣人が沢山居て、チェラシュカたちは少し圧倒された。
ぱっと見た限り、出歩く人々の人数はフロリニタスとそう変わりないが、妖精が比較的小柄なのに対し、体格の大きな獣人が視覚的に目立つからのようだ。
門をくぐって少し歩いたところで待ってくれていたレオニクスに、パタパタと駆け寄った。
「待たせたわね。お手数をかけてしまって申し訳ないのだけれど、案内してもらえるかしら? レオニクスのオススメのお店に行ってみたいわ」
「もちろん! 遠慮せず頼ってくれていいぜ。オレのオススメは肉だけど…………なあ、妖精ってオレらと同じモン食ってる?」
レオニクスは肉食動物らしくやはりお肉が好きなようだが、妖精との関わりが無さすぎて食性すら推測が立てられなかったようだ。
「安心しろ。俺らも肉は食べるし、この世界の五種族は基本的に雑食だ」
「そっか、良かった……」
妖精もお肉を食べると知って安心したらしく、レオニクスはオススメのお店への先導をし始めた。チェラシュカたちは見慣れない街並みを見回しつつ、レオニクスを見失わないように斜め後ろをついていった。
「学校で他の種族について学んだりすることはないの?」
「一応簡単には説明されっけど、五種族がいてそれぞれどの国に多いとか、獣人以外は魔法を使うとかそんな程度で、何を食べるとかは特になかったんだよな。獣人とヒトに関する内容が殆どで、あとちょっと魔女について触れられるくらいか?」
「そう。もしかしたら当たり前すぎてわざわざ説明されないのかもしれないわね」
「妖精の学校では結構細かく教えられんのか?」
「ええ、森の外で大抵の事態に適応するために、先人たちのありとあらゆる知識を教え込まれるの」
「へえ、すげえな。想像しただけで嫌になっちまいそうだぜ」
「そうか? 色んなことが知れて楽しかったぞ」
こちらを向いたレオニクスの顔にはそんなのありえないと書いてあったが、ラキュスを尊重してか「ふうん」と言うだけに留めたようだ。
念のため、教えられたことを全て覚えているわけではないのだと補足すると、どこかほっとしたようだった。
「それに、知ってはいても知識が現物と結びつかないものなんだなって思ったわ。さっきの魔界ネズミだって、教科書で絵を見たことはあったけれど、実物の方がおどろおどろしくて魔界ネズミだとは全然わからなかったもの」
「想像していたより大きかったし、凶暴だったな」
フロリニタスでは、周囲に張られている結界によって魔獣は街の中には入れないようになっている。そのため、魔獣を実際に見たのはチェラシュカもラキュスも今日が初めてだった。
「……そういえば、レオニクスはなんで魔界ネズミっていうのか知っているの?」
「さあ……魔界から来てるからなんじゃねえのか?」
「けど、魔界はどこにあるのかよくわからないだろう?」
「まあなあ……」
「昔先生に聞いたのだけれど、どの魔獣もいつからオルベアに居たのか定かではないらしいのよ」
魔界ネズミを含め教科書に記載されていたどの魔獣についても、見た目と大体の大きさくらいしか載っておらず、主な生息地すら不明だった。
「ふうん……倒しても倒しても、いつの間にか増えるなとは思ってたけどよ」
「魔界って名前がついている魔獣は多いけれど、もしかしたら昔の人が、怖い生き物だからとりあえず魔界ってつけただけなのかもしれないじゃない?」
「まあ確かに、あの魔人が住んでるからって魔獣も居るとは限んねえもんな」
彼のその言い方に、なんとなく引っかかるものを感じたチェラシュカは、一つ問いを重ねた。
「……レオニクスは、魔人に会ったことはあるのかしら」
「まさか! 会うどころか、見たことも聞いたこともねえな。少なくともこの街には居ねえだろ」
「どうして居ないと言い切れるんだ?」
静かにそう尋ねたラキュスに対し、レオニクスは当然のことのようにこう言った。
「そりゃあ、やべえ奴らなんだから、もし居たらオレら普通に暮らしてらんねえだろ」
「……そうか」
そこでチェラシュカがそっとラキュスに視線を向けると、ぱち、と目が合った。フロリニタスに居た頃は意識したことがなかったが、外では魔人は強く恐れたり避けたりされるような存在らしい。
二千年以上前のオルベア全土への魔人侵攻が、今も尾を引いているのだろう。
そんな話をしつつ、しばらく歩いて辿り着いたのは、フロリニタスでも見たような洋食屋だった。
お店の前には立て看板がおいてあり、『今日の日替わりランチはこちら!』の文字と共に、ハンバーグのイラストが描いてある。
お店の前に立つと、中から美味しそうな焼けたお肉の匂いが漂ってきた。
「オレのオススメは、ここのステーキだ!」
「なんだかとっても美味しそうな匂いがするわね」
「お腹が空いてきたな」
チェラシュカたちに異論はなかったので、三人でお店の中へ入ることにした。
お店の中は多くの人で賑わっていたが、ちょうど席が空いたタイミングだったらしく、すぐにテーブル席に案内してもらえた。
手作りであろう一枚のメニュー表には、レオニクスのオススメのステーキを始めとした様々な料理名が柔らかな文字で書かれていた。
「オレはいつも通りステーキセットにするけど、チェリちゃんとラキュスはどうする?」
「せっかくだからステーキを食べてみたいけれど、食べきれるかしら?」
そのとき、向かいの席にレオニクスが頼む予定のステーキセットらしき料理が運ばれてきた。
じゅうじゅうと肉の焼ける音がして、そこから立ち上る香ばしい香りが非常に食欲をそそる。
美味しいであろうことはほぼ確定だとチェラシュカは思った。だがしかし――。
「……大きいわね」
この店の看板商品は、顧客が獣人メインだからか分厚さによるインパクトも売りにしているらしく、チェラシュカの思う厚切りの想像を遥かに超えていた。
「じゃあ、ハーフサイズもあるぜ。他の単品と合わせてもいいし」
「そうなのね。ならそれにするわ」
「俺もハーフサイズで十分だな。あの量を食べると胃もたれしそうだ」
それぞれの注文内容を店員が聞き取って厨房へ行ったところで、チェラシュカはあることを思い出した。
「あのねレオニクス。私、今気付いてしまったのだけれど……」
「なんだ?」
「私たち、小金貨しか持っていないわ」
「……マジ?」
「さっきのメニュー表を見て、思い出したの。どのメニューも単価が二千エン前後だったでしょう? 私たちの所持金って、旅の所持金総額としては十分だと思うけれど、こうやって実際に消費するときのことを考えていなかったなって」
ラキュスもはっとした顔で「確かに……」と同意した。どうやら彼も気づいていなかったようだ。
オルベアでの通貨は五カ国共通で、銅貨と銀貨と金貨がそれぞれ大小二種類ずつある。
小銅貨の十倍が大銅貨、その十倍が小銀貨、という風に、大きさが変わると十倍、銅、銀、金の順に種類が変わるときも十倍になる仕様だ。
小銀貨一枚で千エンなので、今回の私たち全員の食事代なら大銀貨一枚でもお釣りが来るだろう。
「え、普段そんなに大金しか使わねえ生活をしてたってこと?」
「ええと……私たちの生活は基本的に物々交換で成り立つのよ」
「…………マジ?」
「マジよ」
「じゃあ……逆になんでそんな大金持ってんだ?」
「他の妖精たちの街はどうか知らないけれど、フロリニタスでは嗜好品はお金で買うから、それを調達するための働き口があるの」
「へえー……」
「私はいずれ外へ出ようと思っていたから、三十年ほどコツコツ貯めていたのよ」
「俺もそんなところだな」
カフェで働いていたときは、もちろん銅貨や銀貨を扱っていた。
しかし、普段自分が必要としていたものは物々交換で手に入るものばかりだった。
あと、やたら色んなところでおまけしてもらったり、周囲の大人や友達から差し入れをもらうことが多かったりして、チェラシュカ自身が硬貨で支払うという経験が極端に少なかった。
そんなこんなで、旅へ出るときにキリのいい数字でいこうと端数を持ってこなかったのが、今回仇になってしまったらしい。
「ごめんなさい、すぐに気が付かなくて。さすがに小金貨で支払ったら迷惑よね……」
「うーーーん……そうだな……」
「俺たちから言い出した手前言いにくいんだが、後でどこかで崩してから渡してもいいだろうか。いっそ食事じゃなくて別の何かを奢らせてくれたら助かる」
ラキュスと二人で気まずそうにしていると、その様子を見たレオニクスが苦笑いを浮かべた。
「…………正直さ、お礼とか別にどうだっていいんだよな。ただ、なんかもうちょい二人と話してみたくなったっつーか」
照れ臭そうに笑うレオニクスを見て、チェラシュカはラキュスと顔を見合わせた。
「私もよ。もっとレオニクスとお話ししたいわ」
「……まあ、そうだな」
「なら、この後のレオニクスの買い物についていってもいい? 私たちもまだ足りないものがあると思うし、どちらにしろこれからも銀貨は必要になると思うから、どこかで調達したいわ」
「ああ、そうさせてもらえるとありがたい」
「おう! ぜひ一緒に来てくれ。オレも手持ちはそこそこあるからとりあえず今回は支払うぜ」
「ごめんなさい……ありがとう、レオニクス」
「すまない、ありがとう」
「気にすんなって」
そう話しているうちに、料理が到着した。このお店の看板メニューである厚切りステーキは、熱々の鉄板の上でまだ焼ける音がしており、食べると口の中を火傷しそうな温度であることが察せられた。
サラダとスープがセットでついてきているので、そちらを食べて少し冷まそうと思う。
「では、いただきます」
ラキュスたちもいただきますと言うとステーキにとりかかっていた。
チェラシュカはまずサラダを口にした。
瑞々しいレタスとさっぱりとしたドレッシングがよくマッチしていて美味しい。プチトマトや紫キャベツが彩りを添えていて、クルトンのサクサクさが食感に変化を与えていた。
スープはコンソメスープのようだ。透き通った琥珀色の液体から湯気がたっている。
ふーっと冷まして一口口に含むと、お肉や野菜の旨みが複雑に調和していて、自然ともう一口、と味わいたくなる一品だった。
そうするとステーキの焼ける音が落ち着いてきたので、切り分け始めることにした。
いつもなら口に入るサイズにするところだが、今回は敢えて肉厚さを楽しんでみるべく、端から指二本分くらいを切り分けて口に運ぶ。
あぐ、と齧り付くとお肉の旨みが口の中に広がった。
美味しい……。お料理のことはよくわからないけれど、とっても美味しいことだけは間違いないわ。レオニクスがオススメするだけあるわね。
そう考えながら只管黙々と咀嚼しつつ、ふと顔を上げるとこちらを見るレオニクスと目があった。
「美味い?」
あ、と思ってごくりと口の中身を飲み込み空にする。
「ええ、美味しいわ! せっかく案内してもらったのに、感想も言わずに黙々と食べてしまっていたわね。こんなに美味しいものを紹介してくれてありがとう、レオニクス」
「それは良かった! すげえ美味そうに食ってたからオレも安心したぜ」
「……そんなに顔に出ていた?」
ちら、と隣のラキュスに視線をやると軽く頷かれた。
「俺たちが話してるのにも気付かず黙って食べてたから、チェリは気に入ったんだろうなと思ってた」
「まあ……」
「チェリちゃんが気に入ってくれたなら、オレも連れてきた甲斐があったぜ。熱いうちに食いな?」
「ええ、そうするわ。ありがとう」
ちなみに、オルベアの生き物にとって、食事は単なる栄養補給以外にも重要な役割がある。
まず、オルベアの空気中には魔力が含まれており、妖精も獣人も呼吸によって少量ずつ魔力を摂取している。そうすることで、自身の魔力の器の上限まで蓄えることができる。
さらに、食事でも同様に魔力を摂取することができる。あらゆる物質に魔力が蓄積されているため、野菜や家畜などが蓄えていた魔力を食事によって直接取り込めるのだ。
つまり、寝ている間にも呼吸での魔力の回復が見込めるが、大幅に消費した場合は食事で回復するのが手っ取り早い。
獣人は常時身体能力の強化に魔力が使われているらしく、また獣化の魔力消費量も大きいため、その分他の種族に比べてたくさん食べるのだとか。
念のためレオニクスにも確認してみたところ、間違っていないようだった。むしろ、妖精の学校ではそんなことまで教えているのかと驚かれた。
「獣化のときに人型のときより身体が大きくなるほど、消費する魔力が多くなるみてえだな。オレや他の肉食動物系統のやつは、結構消費が激しいんだ」
「へえ、そういう違いがあるんだな」
「まだまだ知らないことばかりで興味深いわね」
食べ終わった三人は会計へとレジへ向かった。
なお、チェラシュカはゆっくり食べてと言われたこともあって食べ終わるのは一番最後だったが、倍の量を短時間で食べ終わったレオニクスに感嘆の眼差しを向けた。
「あ、待って」
三人分の会計を済ませたレオニクスがお店を出たところで、チェラシュカは彼の服の裾をそっと掴んで引き止めた。
「なんだ?」
「これ、レオニクスに預けておくわ」
「ん? ……これって」
「私のイヤリングよ。立て替えてもらったから、私たちがその分を支払うまで質として持っていてほしいの」
人差し指と親指でつまんだそれを彼に見えるようにかざす。コロンと丸い淡水パールがメインのイヤリングだ。それが何か認識した彼は、目を大きく見開いて手を身体の前で勢いよく振った。
「え!? いやいやいらねえし! あ、いらねってそういう意味じゃねえけど、チェリちゃんの大切なモンだろ? オレが持ってたら失くしそうだし、預かれねえよ」
「チェリ、チェリの物を差し出す必要はない。そういうのは俺がやる」
「……そう?」
「ラキュスまでなんだよ……」
「これを持っておけ。指輪なら落とさないだろう」
チェラシュカは受け取ってもらえなかったイヤリングをつけ直す。その間にラキュスがレオニクスの手を取り、自身の人差し指から外した指輪を彼の小指に嵌めていた。
「オレ、男に指輪を嵌められる日が来るなんて思ってなかったんだけど……」
「安心しろ。現金を調達したらすぐ返させてやる」
「そうしてくれ……」
少し項垂れた様子のレオニクスは、指輪の嵌められた自身の手を複雑そうに見ている。だが、しばらくすると様々な角度からまじまじと眺め始めた。彼は結構装飾品にも興味があるのかもしれない、とチェラシュカは思うのだった。




