1. キラキラという音
今でも、星空を見上げると思い出すのはあの子の言葉だ。目をつむって夜風を感じながら、チェラシュカはあの日のことを思い出していた。
「星の瞬きってどんな音がするのかなぁ」
そう呟いた声は、まだ少し高くて幼さが残っている。声の主は濃い桃色で長いストレートの髪を無造作に背中に流し、湖のほとりに座って夜空を見上げていた。背中には透明な羽が左右に三枚ずつ対になって生えており、時折ぱたぱたと動いている。
「やっぱりキラキラっていうのかな。どう思う? チェリ」
チェリことチェラシュカは妖精である。そして、チェラシュカをチェリと呼んだ子――ペルシュカもまた妖精である。
チェラシュカたちは、夜の散歩をしようと自分たちの住む妖精の街フロリニタスを出てすぐのところにある湖を訪れていた。しばらく湖の縁に沿って歩いたあと、草むらに腰を下ろして休憩していたところだ。
視界いっぱいに広がった湖には満点の星空が映り込み、チェラシュカたちはまるで星空の中に浮かんでいるようだった。そして、チェラシュカに話しかけるペルシュカの金色の瞳は、湖と同じように星の光を反射してキラキラと輝いていた。
星の瞬く音をぼんやりと想像しながらペルシュカに返事をしようとすると、反対側から放たれた声に遮られた。
「光ってるだけなんだから音が聞こえるわけないだろ」
そう身も蓋もない返事をしたのは、二人の幼馴染のラキュスだ。彼はこの目の前の湖に溜まった魔力が元となって生まれた妖精であるため、この湖付近は非常に居心地がいいという。
「もー!! 夢のないこと言わないでよ! ていうかラキュスに聞いてないし!!」
また始まった。昔からペルシュカとラキュスはよく喧嘩をする。かと思ったらいつの間にか普通に話しているので、二人は仲が良いなとチェラシュカは微笑ましく思っている。
とはいえ、笑っていることに気付かれるとまた二人に怒られてしまうので、チェラシュカは表情をキープしながら口を開いた。
「私もキラキラって音がするんじゃないかと思うわ、シュシュ」
「やっぱり!? チェリもそう思うよね!!」
嬉しそうに笑いながらペルシュカはチェラシュカに抱きついた。二人は周りからよく似ていると言われて育ってきたこともあり、愛称で呼び合うほど仲がよく、お互いをきょうだいか家族のように思っている。
チェラシュカが持つ桜色よりかは少し濃い色を持つサラサラの髪も、蜂蜜を固めたようなくりくりした瞳も、ストレートに感情を表してくるところも、チェラシュカにとっては全てが可愛くて愛おしかった。
いつかキラキラ聞けたらいいのにねー、というペルシュカの言葉に、チェラシュカはそうね、と返しつつペルシュカの髪を撫でていると、反対側から不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「なあ、いつまでそうしてるわけ?」
声の主を振り返ると、いかにも不機嫌ですと言わんばかりの顔をしたラキュスと目が合った。
チェラシュカとペルシュカが仲良くしていると、仲間外れにされた気分になるのか、こうして寂しがるところが可愛いとチェラシュカは密かに思っている。
するとペルシュカは抱き着く力を強め、首の位置を前にずらしてラキュスの方に顔を向けた。
「チェリはシュシュのお姉ちゃんなんだから、ただの幼馴染のラキュスにはあげないよ」
「それを言ったらペルシュカだって、実の生る木の妖精っていう大枠が同じなだけで、幼馴染のが正確だろ」
「まさか! 見た目も似てるし桃と桜で近いし、何よりチェリがそう認めてくれてるんだからそれが正しいに決まってるでしょ! それに比べてラキュスは、髪は紺色で真逆だし、元が植物ですらないじゃない」
ペルシュカの言う通り、ラキュスの髪色はその瞳と同じく夜空を閉じ込めたような濃紺だ。全体的に耳にかかるくらいの長さで、癖は無くサラリと風に靡いているが、首回りが伸びてきたのかほんの少し外側に跳ねている。
そんな気にするようなことでもないとチェラシュカは思うが、ラキュスにとっては痛いところを突かれたようで、ぐっ……と呻いていた。
妖精は、魔力を多く蓄えた植物などが意識を得て実体化した存在だ。ラキュスは先に触れたように湖、チェラシュカは桜の木、ペルシュカは桃の木が元となっている。
この世界に生まれた時点で二足歩行と日常会話が可能で、必要最低限の知識をこの世界から与えられているが、まともに生き延びるにはそれだけでは不足している。
そのため、大人の妖精たちが幼い妖精たちを庇護し養育している。森の外には危険がたくさんあるらしく、五十歳で成人を迎えるまでは外に出てはならない。妖精の寿命が数百年あるため、平均して生涯の一割ほどの期間が子供と見なされる計算だ。
そういうわけで、基本的に幼い妖精たちは血の繋がりというものがあるきょうだいを実際に目にしたことがないのだが、チェラシュカたち以外にも歳が近かったり気質が似ている妖精たちは、家族を築く他種族と同じようにきょうだいや親子のような関係性を築いている、らしい。
チェラシュカは他種族の血縁というものに思いを馳せつつ、そろそろ二人を止めようかと声をかけることにした。
「ねえ、二人とも」
かなりヒートアップしていた二人だったが、チェラシュカが声をかけるとぴたりと黙り込んだ。
「それ以上まだ喧嘩する気なの?」
「チェリ……」
「喧嘩するほど仲がいいっていうけれど、私ももっと二人と仲良くなったら喧嘩することになるのかしら」
「っ、そんなことない!! 喧嘩なんかしなくても、シュシュはラキュスなんかよりチェリとずぅーっと仲良しだよ!」
「お、俺もチェリとは喧嘩しないけど仲良いし! ペルシュカより!」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、私は二人にも喧嘩しないで仲良くしてほしいな。三人ずっと一緒に育ってきたんだから」
チェラシュカがそう伝えると、おずおずと二人はお互いの方を見て、目を合わせた途端二人とも少し俯いた。
「……ごめん」
「俺も、すまない」
二人が謝りあっている様子をチェラシュカはニコニコと眺めていた。お互いについつい言いすぎてしまうだけで、根っこのところは嫌い合っているわけではないのだ。きっと、もう少し成長すれば落ち着いてお互いを尊重し合えるようになるだろう。
――そうしたら、その頃には仲裁に入る必要もなくなるのかな。それはそれで少し寂しいかも。
でも……、それでも。ペルシュカとラキュスがずっと幸せでいてくれるならそれでいい。皆でずっと幸せな日々を過ごせますように。
そう星空に願いを込めた。
「ふふ。じゃあ二人とも、帰りましょっか」
チェラシュカが立ち上がると、ラキュスとペルシュカも立ち上がって寄り添うように両隣に立った。
右手でペルシュカの左手を握ると、ペルシュカはニコリと笑みを浮かべた。
左手でラキュスの右手を握ると、ラキュスはむっとした顔を緩め、口の端を上げて微笑んだ。
満天に輝く星空の下、三人で帰り道を歩き始める。帰路ではなんとなく誰も話そうとしなかったが、皆の心は通じ合っているような気分だった。
こんな日々がずっと続くと信じて疑わなかった十四歳の夏。あの日々はもう、帰ってこない。




