一
足を踏み出すたびに鳴るシューズの音。
ドリブルするたびに鳴るボールの音。
ボールがリングに入るたびに鳴る風を切ったような音。
「流唯、ナイスシュート!」
ゴールの下から叫ぶ大河の声。
バスケをしている間、体育館には色々な音が溢れている。
俺はこの音を聞きながら、バスケをする時間が好きだ。
でも、この時間は永遠ではない。
試合が終われば、音は止んでしまう。
「流唯が無双してたおかげで、一回戦突破できたな。やっぱ流唯はすげぇよ。さすがだよ」
「急になんだよ」
「ミニバスの時からずば抜けてシュートが上手かったけどさ、高校に入ってからもっと上手くなったし、なんか流唯の成長に感動しちゃって……!」
「お前、父親かよ。つか、試合中タイちゃんの声すごく目立ってたよ」
「ははっ、気合い入っちゃってさ。だって、今年で高校最後なのに、一回戦で敗退するわけにはいかねぇだろ? 今年の目標は、K高バスケ部初のインターハイ出場ってな!」
タイちゃん――大河は大きな身体を揺らして笑った。
今日からインターハイの予選が始まった。
俺たちK高校のバスケ部は一回戦に勝利し、試合を終えた俺たちは帰路についていた。
高校のそばにはコンビニや飲食店があるが、家に向かって歩くにつれて民家が少なくなり、周りの風景が田畑に変わっていく。
五月の田畑はすっかり初夏の緑に染まっている。田んぼに植えられたばかりの小さな稲は等間隔に並び、太陽の下で光を帯びていた。
「そういえば、最近、佐藤さんがよそよそしい気がするんだよなぁ。前まではよくバスケ部の応援に来てくれてたし、俺のこと好きなのかもとか思ってたけど……やっぱ気のせいだったのかな! ははっ」
「ああ。あの子、タイちゃんに告白しようか悩んでるって言ってたから、断っておいた」
ぼそっとつぶやくと、大河は目と口を大きく開いて固まった。
「えっ……ええっ!? 断ったって、何で!?」
「なんとなく」
「そんなぁ! 流唯ファンだらけのこの世界の中で、唯一の俺ファンだったのに……!」
「……あの子のこと好きなの?」
「そういうわけじゃねぇけど……俺は流唯と違ってイケメンじゃねぇし、モテねぇし、告白とかされたことないんだぞ!? 女子となら誰とでも付き合いたいに決まってんだろ!」
「ふうん」
女子となら、だ。
大河の言う「誰とでも」の中に俺は含まれていない。
「そんなに告白を断られるのが嫌なら、もう俺と一緒にいるのやめたら?」
俺はふいっと大河から顔を背けた。
素直になれない俺はいつも思ってもいないことをつい口にしてしまう。
友達じゃなくなって本当に困るのは、俺の方なのに。
急に身体が右に傾いた。俺の肩に大河が腕を回してきたからだ。
K高校のロゴが入った白いジャージから覗く腕は、色素の薄い俺とは対照的に色黒でこんがり日に焼けている。
「何すねてんだよ。ずっと一緒にいるって約束しただろ?」
「おい、歩きにくいって。つか、すねてないし」
大河は白い歯を見せて笑いながら、俺の髪をわさわさ撫でた。大河の動きに合わせて俺の肩も揺れる。
「流唯はかわいいな。子犬みたいで」
「……言っとくけど、俺が子犬に見えるのはお前くらいだから」
大河はいつも俺を子犬に喩えるが、俺は身長180センチと平均より背が高い方だし、顔も全然かわいいタイプではない。
だけど、身長が190センチあり俺より身体の大きい大河には、きっと小動物のように見えているのだろう。
「流唯の勘って、昔から当たるよな。ほら、小五の時、山にカブトムシを探しに行ったら道に迷って、お前がこっちだと思うって言った方に行ったら帰れただろ? だから、告白を断ったのも、きっと何か思うことがあったんだろうな。お前の言うことはいつも正しいし」
大河は俺が告白を断ったことを勝手にそう解釈して、一人で納得したように頷いている。
俺は正しくないし、これはただの嫉妬だ。
俺と大河は小学生の頃からの幼馴染。
クラスも所属するミニバスケットボールのチームも同じで、俺たちはいつも一緒にいた。
だけど、中学に入って大河とクラスが別れると、俺は同じクラスの不良グループと行動を共にするようになった。
別にそいつらと一緒にいたかったわけじゃなくて、グループの中にしつこく声をかけてくるヤツがいて断るのが面倒だったから。
本当は大河と一緒にいたかったけど、大河は俺がいなくても新しいクラスで友達を作って馴染んでいた。
そんなある日、俺を心配したバスケ部の顧問に呼び出されて、面談が開かれた。
「三上、お前はアイツらとつるむようなヤツじゃないだろ? お前、本当は誰と一緒にいたいんだ?」
と、先生が言った時、教室のドアの窓から大河の顔がちらりと見えた。隠れているつもりなのかもしれないが、普通に頭が見えていた。
それがおかしくて、俺は廊下にいる大河に聞こえるように言った。
「……タイちゃんと、一緒にいたい」
その瞬間、ガラリと勢いよくドアが開いて、
「俺も流唯と一緒にいたい! 俺、お前とずっと一緒にいるって約束するよ!」
と、大河は言った。
俺の目にはその時の大河の姿が、ヒーローのように輝いて見えた。
この胸の高鳴りは、大河と一緒にいたいという気持ちは、憧れでも友情でもなく、恋なのだと気がついた。
あの日、俺は男が好きなのだと――大河のことが好きなのだと自覚した。
大河は盗み聞きしていたことを先生に咎められたが、あの約束をした日から、本当に一緒にいてくれるようになった。
クラスが違うのに休み時間のたびに俺に会いに来るようになり、自然と不良グループから距離ができた。
高校も同じ学校に進学してバスケ部に入って、今も俺と一緒にいてくれる。
本当の気持ちを隠して『友達』のままでいれば、きっと大河はこれからも一緒にいてくれる。
「流唯、どうした?」
大河に顔を覗き込まれて、ぼんやりしていたことに気がついた。
あまりの顔の近さに思わず目を見開く。
「お前、顔近いって」
「ごめん、ごめん。流唯は表情が分かりにくいから、ちゃんと観察しねぇとって思って。昔、具合が悪いのに隠してた時があっただろ?」
大河は両手で俺の顔を掴んで、まじまじと見つめてくる。
少しでも背伸びをしたら唇が触れ合いそうな距離に、頬が熱くなって目をそらした。
「なんか少し顔が熱いような気がする。もしかして、熱中症か? 自販機でスポドリ買って帰るか」
「いや、大丈夫だから」
大河は過保護だ。
過保護な上に、俺に対する距離が友達にしては近すぎる。子供の頃から一緒にいるから、きっと兄弟くらいの感覚でいるのだろう。
そのおかげで、俺の心臓はいつも騒がしい。
「……明日、練習休みだから母さんに会いに行くんだけど、タイちゃんも行く?」
「いいの? 俺、邪魔にならねぇかな」
「大丈夫。タイちゃんは連れて来ないのかって、この前聞かれたから。それに、明日連れてっていいか確認したし」
「じゃあ、俺も行くよ。最近、流唯の母さんに全然会えてなかったもんな」
大河は俺から手を離すと、「楽しみだなぁ」と鼻歌を歌いながら歩き出した。
やっと離れてくれて安堵のため息を吐く。
だけど、頬に感じていた手のひらの温度が消えたことに、少しの寂しさも感じた。