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第92話 (80)おやすみ

 「吾輩は猫である、名前はまだない。」とでも言えば私が如何なる存在であるか、理解頂けるだろうか。夏目漱石とやらは、猫を知らぬ。吾輩などという一人称で自らを呼称する猫はいない。そもそも猫は自身を猫であるとは思っていない。それは人間が勝手につけた呼称であり、多くの猫は自身が猫であるという自覚を持たぬのだ。まったく人間という生き物は、不思議である。互いに名前をつけ、生物を種類で分け、言語を用いて区別を行っている。他者との違いなど小生にとってはどうでも良いことだ。ただ毎日想いに耽って、過ぎゆく時間を眺めるのみ、それが生き物の勤めの全てである。


ガチャ。


「ただいま〜。」


 家主が帰ってきたようだ。私は様々な場所を転々としていたのだが、この家主の女に捉えられて以降こやつの生活所に居着いている。存外居心地は悪くない。悪くないのだが。


「よぉ〜し。ヨルちゃ〜ん。ごめんね〜。寂しかった〜?」


「にゃあ〜。」


 女は私を持ち上げ、自らの胸元へと引き寄せる。不可思議な行動ではあるが、私は嫌いではない。しかし、寂しいというのは誤解である。私はそのような感情を持ち合わせてはいない。どうしてこの女はたかだか数時間家を空けていただけで私が心の中心に穴が空いたかのような気持ちになると思ったのだろう。わからぬ。全く人間というのは、わからぬ。


「今日は忙しくて疲れちゃった〜。でも、ヨルちゃんといると癒されるよぉ〜。」


 この女、外で捕まえられた際には、ビッグボスなどと呼ばれ、威厳のあるどっしりとした様であったが、自分の家では甘えた声になるのも不思議だ。私は知っている、人間はこういう声のことを“猫撫で声”と言うのだ。猫が撫でられた時に発する声のようであるから、“猫撫で声”と呼ばれるらしい。心外である。こんな間の抜けた声を私達は出さない。猫抱き女め。気高い我らを愚弄するのか。


「ヨルちゃ〜ん、最近帰りが遅くてごめんね〜。」


「にゃ〜。ごろごろごろごろ。ふにゃ〜。」


ーーやめろ!急に首元や頭を撫でるんじゃない!思わず声が緩まってしまったではないか。恥ずかしい。今私は一体どんな声を出してしまっていたのだろうか。それにしても人間の我々を撫でる技術は凄まじい。その恍惚さに何度眠りこんでしまったかわからない。


「気持ち良い〜?寝ちゃいそう〜?」


「ふにゃ〜。ごろごろごろ。にゃ〜。」


 あぁ寝てしまいそうだ…。もっと家主と戯れたいのに…。意識が遠のいていく…。


「あっ!そうだ!これ無くなってたから買ってきたよ!チュール!」


「にゃー!!にゃーー!!」


ーーわぁ!!チュールだぁ!!やったぁ!わぁ!


ペロペロペロペロ


 私は夢中でそれを舌で味わった。チュールとやら、これは美味すぎる。人間は我々を撫で、美味なる食べ物を与え、堕落させようとしてくる天使のようで悪魔の存在である。


 チュールを食べ終わった私は、その余韻に浸っていた。家主の女は風呂場へと向かい、体の匂いを落としているようだ。どうして風呂など入るのか、それについても思うことがあるが今回はやめておこう。人間の不可解な行動について語るのはキリがない。


ーーそれにしても当たりを引いたのかもしれないな。


 私には人間を見る目がある。餌を与えて、巣へと連れ帰ってくれそうな人間は見ればわかる。あの日、私に餌を与えてくれた大柄の男は間違いなくそうだった。それに、今の家主の女よりも裕福なもてなしをしてくれそうな匂いがした。私はそういう人間の匂いを日々嗅ぎ分けて生きてきた。しかし、私のアテは外れ現在の家主の元へ連れ帰られることになった。最初は外れだと思ったが、案外悪くない。居心地が良いのだ。


ガチャ


バタン


 家主の女が風呂場から出てきて、寝床に横たわる。最近こいつはいつもそうである。髪を乾かす間もなく、すやすやと寝息をたてる。やれやれ。世話のかかる家主だ。


「にゃ〜。」


「え?髪乾かしてから寝ろって?わかったー、ありがとう。」


 私が前足を女の頭に載せたところ、どうやら女に意図が伝わったようだ。女はドライヤーを使い、しっとりと濡れていた髪を乾かし始めた。私は人間が“労働”と言う行為を行なっていることを知っている。特にこの家主は激務らしく、毎日疲れ果てて帰宅してくる。私はこの女が心配である。疲れ果てるまで行動すると言うことが、私は幼少期以来全くない。それをこの女はほぼ毎日行っているのだ。毎日早朝にこの女が死んでないか心配になる。


 髪を乾かし終わった女は、すぐに寝床に入り眠り始めた。眠りは良い。生きてこそ眠れる。眠りこそ、生であると私は考えている。


「にゃあ〜。」


「ヨルちゃ〜ん、マッサージしてくれてるのー?ありがとうー。」


 私は背中を天に向けて寝転がる女の上を歩き回っていた。こうすると疲れが多少取れるらしい。寝食の世話を享受しているのだ、これくらいはするのが猫としての勤めであろう。これが私なりの“労働”なのだ。私がしばらく背中の上を動いていると、家主の女はすっかり微睡の中にいるようであった。私が家主と戯れることができるのは、朝と夜のこの僅かな時間だけである。私にとってこの時間がとても貴重で、尊いものになってきているのを感じる。この時間がもっと長ければーー、そこまで思考したところでふと一つの気づきを得た。


ーーそうか、これが寂しいということなのか。


 私はこの女と戯れる時間が短いことに寂しさを感じていたのだ。全く人間とは不思議な生き物である。どうして、私自身が寂しいと言う感情に気づく前に、私が寂しいということを知覚するに至ったのだろう。人間とは愚かなようで案外賢いのかもしれない。


「にゃ〜。」


 私はそう女に声をかけ、自分の寝床へと向かったのだった。

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