第138話 (126)月
「カッピー、またチョウチョの胸を…」
「見てません!やめてください!」
すっきりした顔をしたハナさんが僕をからかってくる。それにしてもチョウチョさんのこととなると胸の話しかしないな、ハナさんは。
ハナさんはにっこりと笑って空を見上げている。ここ最近の影を感じさせる表情から一変して、出会った頃のハナさんを感じるカラッとした表情である。
「ハナさん。すごかったです。ダンス、感動しました」
「そうだろう、そうだろう。惚れちゃってもいいんだよ?」
「いやぁもう。ガチ惚れです!見惚れちゃいましたよ」
「ふふ。そう?」
いやぁ照れるねぇ、モテる女はツラいよー。と照れながら話すハナさん。足をバタバタとさせながら、鼻歌まじりに夜空を眺めていた。そしてポツリと呟くのだった。
「ありがとうね」
「え?何がですか?」
「今日、心配して来てくれたろう?心配かけてすまなかったね。『アレ』もあったし、カッピーに頼りすぎて迷惑かけたくなくてさ」
「迷惑だなんて、そんな。本当に心配だっただけというか…」
「ふふ。いい奴だね、カッピーは。ほれ、ヨシヨシしてやろう。ヨシヨシ〜」
そう言いながらハナさんは僕の頭をむんずと掴んでくる。そして、こいつーと言いながら、ガシガシと力強く撫でてくるハナさん。僕のことを大型犬か何かだと思っているのだろうか。
「あーーー!!色々あったけど、すっっっきりしたぁぁあ!!」
海賊王に俺はなる!とでも言い出しそうな、両手をグーっと上に伸ばしたポーズでハナさんが解放されたかの如く叫んでいた。ここ最近のハナさんは何を思って過ごしていたのだろうか。今日起こった出来事を反芻しながら、ふと言葉が口をついて出てしまった。
「それにしてもトラブル続きですね。明日からどうなっちゃうんでしょう。ビッグボスもまた頭抱えますよ」
そう口にしながら、脳裏に先ほどのビッグボスが浮かび上がる。ゾンビナイトが進むにつれて、どんどんと心労が募り、最近では本当に歴戦を乗り越えたビッグボスのような風格を漂わせている。
「はっはー!カッピーは心配性だなぁ!」
僕の心配を軽快に笑い飛ばすハナさん。
「ビッグボスには悩ませるだけ悩ませればいいのさ!それがあいつの仕事だろう?カッピーの気にすることじゃないよ」
今の言葉をビッグボスが聞いていたら、また怒り出すであろう。誰のせいで仕事が増えてると思ってるのよ!と。そう言って笑った後、ハナさんは僕の方へごろりと身体を向ける。そして、いつになく真剣な表情になった。
「私達は唯のテーマパークのダンサーだよ。何があろうと明日も明後日も、変わらずにゾンビのように漂ってダンスをするだけさ。ずっとそうだろ?」
そう言って、じーっと見つめてくる真剣な目に吸い込まれそうになる。確かにその通りだ。あれこれ気に病んでも事態は好転しない。やるべきことをやるしかないのだ。
時々真剣になるハナさんを見ると、いつものハナさんとどちらが本当の彼女なのだろうと思ってしまう。いや、どちらもハナさんそのものなのだろう。あんな事があっても尚、ハナさんにとっては唯のダンサーとしての日常の一コマなのだ。
そして、頬にコツンと拳をあてられ、カッピーも考えすぎるなよ、ビッグボスみたいに白髪増えちゃうぞ、と言って笑いながら夜空を見上げるのだった。つられて僕も視線を上に上げる。
「カッピー、ちょっとそっちに寄ってもいい?」
そう言うとハナさんは僕の方にグッと近づいてきた。肩と肩が密着する。ハナさんの温度を感じる。ドキッとしながら、僕はどうしようもなく夜空を眺めていた。
「綺麗だね。満月だ」
「そうですね。綺麗です」
ぼそっと耳元で呟くように話すハナさんにドキッとした。本当は満月は昨日で、今日の月は少し欠けてるんですよ、といつもなら茶化すのだが、何だか今日は言える雰囲気ではないように感じた。
そのまましばらく2人で夜に浮かぶ月をじーっと眺めていた。あの日と違ってハナさんと僕にはおんなじ月が見えている、ような気がした。
「別に欠けててもいいじゃないか」
「え?何て言いました?今?」
「何でもないさ。大したことじゃないよ」
「え?気になります!何て言ったんですか!」
「だから!大したことじゃないって!」
「じゃあ言ってくれてもいいじゃないですか!」
「そんな態度ならもう言いません!」
「んなっ!!」
結局ハナさんは何と言ったのか教えてはくれなかった。それにしても、おい、月よ。空気の読めないやつだな。どうせなら今日を満月にしてくれればいいのに。気の利かない月だな、と思う僕だった。




