神様になりたい
みんなの神様ってどんな人?
※自殺未遂の表現が含まれています。苦手な方はご注意ください。グロ描写はないです。
みんなはさ、神様って信じる?
僕はね、神様って、意外と身近に存在すると思うんだ。みんなが思う神様って、「イエス様」とか「天照大神」とか、そういうものでしょ。でもね、そういう信仰される神様って、『誰かを救える人』って思うんだ。まあ僕がそう思うようになったきっかけがあるんだ。今日はその話をするね。僕が高校三年生の時の、不思議なはなし。
東京は灰色の空に覆われて、灰色のビルに囲まれて、どうも僕にとっては窮屈な場所に思えた。「近代的」「時代の最先端」そういう言葉で形容される「ここ」は、僕にとって、ただのつまらないガラクタの塊だった。
子供の頃、東京は憧れでもあった。東京タワーが、東京スカイツリーが、東京駅が、かっこよかったのだ。上野のパンダがかわいかったのだ。そんな東京は、めったにそれを体験できない田舎者の想像で創造されている。何回も行き来していると、どうも素晴らしいようなものには思えなくなってしまった。知らなければ、きれいなままだったのかな。
ある冬の日、当然のように電車に乗って東京に行く。学校がある。授業を受ける。校門を出る。電車に乗る。塾に行く。家に帰る。繰り返しの行動ばっかりの生活に疲れてしまった。これは、東京がいけないのだろうか、それとも自分が、何かから逃げようとしている自分がいけないのだろうか。
さあ、高校三年生の僕にはわからないことがある。大学受験の「目的」、「目標」、「意識」。先輩たちは言っている。「○○大学卒だと就職活動便利だよ。」「××大学だと遊び放題だよ。人生の夏休みだぜ。」ああ、この人たちですら持っているものを、僕は何一つ持ち合わせていない。ただ志望している。行きたいではなく、「行く」でしかないのだ。
一月の下旬、センター試験が終わってすぐのことだった。普通の成績を取って国立二次入試の志望校を確定した。今まで目指していた第一志望は諦めて、一個ランクを下げた学校にした。それが悲しいわけでもなく、辛いわけでもなく、何も感じなかった。そもそも適当になんとなく選んでいたのだ。何も思うはずがない。
いつも利用する東京駅。ここからまた乗り換えて、乗り換えて、学校に行く。観光案内所の横には日本各地の旅行パンフレットがおいてある。きれいな写真だなと思い、横を過ぎ去る毎日。その中に一個僕の目に留まるものがあった。昨日はなかった場所だった。行ってみたいな。と思っても、何もなかったかのようにそのままその場を去った。
階段を下りて、しばらく歩く。地下鉄への改札口を通ろうとしたとき、目の端にふと紙が映った。券売機の下の方に、紙幣が、近くに寄ってみると一万円札が四枚落ちていた。誰かが落としたんだな。交番にでも届けようか。そう思ったその時、頭の中に少し悪い僕が出てきた。あのパンフレット。ほかの土地よりも、引き込まれるような感じがした。あの崖が僕を待っている気がしたんだ。これは、神様からの啓示じゃないのか。きっとそうだ。結局そのお金をもって逃げるようにその場から走り去った。
向かう先はさっきの改札ではなく、八重洲口だった。新幹線の乗り換えホーム、かつて修学旅行でしか利用したことがなかった。券売機に向かう。新大阪までの自由席を買った。18番線に行って、止まっていた新幹線に乗った。のぞみ号は静かに力強く東京駅を出発した。周りには会社員っぽい人が多くいた。品川を過ぎてしばらくは車窓を眺めていたが、日頃の疲れもあってか、いつのまにか僕はしまっていた。
新大阪、ずいぶん遠くまで来てしまった。何といっても都会だ。電車の量も東京と同じくらい多い。そして、東京と違うのは会話の大きさだ。会話がどこに行っても絶えない。本当に気分のいい所だな。パンフレットを眺める。「南紀白浜」、動物園で有名な観光名所だが、パンフレットの表紙には圧倒的な自然が君臨していた。乗り換え改札を通り、特急くろしおを目指して走った。
車内放送が流れる。新大阪を過ぎて、しばらくすると他の路線と合流した。東京と同じようなビルが並び、東京とは違う小さな建物もあり、不思議な気持ちだった。東京も大阪も都会なのに、東京のような付加一環はそんなに感じなかった。まあ、幼いころ東京を思っていたのと同じ原理だろう。
しばらくつまらないことをかんがえていると、電車は天王寺、日根野とどんどん市街地を走るようになり、ついに畑が見え出した。そして険しい山を突っ切って、紀ノ川を渡り、和歌山駅に到着した。意外と都会な風景に少し驚いた。
和歌山を出発して、次々と小さなコンクリートの駅を過ぎていく。人影はほとんどない。駅と駅の間隔がすごく長い。海難を過ぎてすぐ、一分ほど海が見えた。迫力は十分にあった。目の前の景色に釘付けになるのと同時に、和歌山一番の絶景と評された南紀の自然はこれよりもすごいのかと、すごく興奮した。ただ、海が見える時間は少しだけで、山の中を度々通っていた。
岩にぶつかる波、漁港の船、荒れ地に捨てられた路線バス、倒れかけている家、荒れ地を走る犬、山の上の風力発電、遠くにかすかに見える水平線、海岸沿いのヤシの木、一面のオーシャンビュー、海に削られた白い巨岩……見れば見るほどまた見たいと思う、同時に僕が嫌になる。しばらくすると終点の白浜に着いた。
降りたが、目の前には山。地図を見ると、絶景スポットはかなり離れているらしい。僕は白浜の街を走った。空港にはたまに飛行機が飛んできて、去って行った。
海岸沿いを走って、走って、走った。参考書で埋まった鞄が軽く感じた。いつもはよっこいしょと言って持ち上げるのに。途中、地元の中学生っぽい少年たちとすれ違った。なんて眩しい笑顔なんだろうか。幼いだけじゃない。僕とは対極にいるようで、純粋で眩しかった。いつからだっただろうか。僕はただ生きるようになった。特に何もせず、特段幸せを感じず、いや、感じようとすらしてこなかった。ただ目の前のことに取り組んで、来るかわからない「いつか幸せになる日」に期待して、日々無駄にしてきた。あの頃に、笑っていたあの僕に戻りたいと思っても、戻って何をするのかと言われたら、「わからない」そう答えてしまうのだろう。
「あなたは何のために生きていますか」
「将来の目標は何ですか」
「この大学に入って学びたいこと、やりたいことは何ですか」
思い浮かべるだけで涙が出てくる。考えたくもない。何も考えたくない。そう思うだけで自分は逃げている。そうわかってしまうのだ。自覚してしまうのだ。すべてを社会のせいにして、こんな社会だから僕はダメになったんだと言い聞かせて。幸せになろうとする努力をしなかった。今は夢すら持っていない。打ち付ける波の音に、すべて消してしまえと願う僕は、間違っているね。自嘲しちゃうよ。
走り疲れたころには断崖絶壁の景色を見ていた。看板には「三段壁」と書いてある。パンフレットの表紙の写真の場所。名勝だけど自殺の名所だ。毎年数人がここで身を投げ出しているという。ああ、もうどうでもいいや。僕がいて社会に何のメリットがあるだろうか。ただ働いて、税金を納めて、社会の厄介になって、社会に嫌われて死んでいくだけの普通の人間。これが一個いなくなったって、社会は平然と回っていく。何を目指しても、何に頑張っても、安心して頑張り続けられる世の中じゃないんだ。すべてはこの世がいけないんだ。本当に絶景だよな。怖くない。きれいだ。真下に打ち付ける波が、なんと迫力のあることか。人工物で囲まれた世界では味わえないな。あんなもの、壊れてしまえばいいんだ。ロープをまたいで小さな獣道を進む。あと三歩。あと二歩。一歩。
……あ。
「もしもーし」
目を開けると、法衣をまとった老人が一人立っていた。
「わたしは空海。君も聞いたことあるやろうな。」
「真言宗の開祖。総本山は高野山金剛峰寺。」
「そうそう。よく勉強しているね。偉い偉い。学問は大切やで。」
「それくらい誰でも知ってるよ。てか、僕は死んだの?」
「知らん。わたしは神様でも仏様でもないから、君の生死はわからんよ。まあ、今会話しているのは君の心や。心と話しているんや。体は喋っておらん。」
「はあ……」
「そもそも、あのフェンスを乗り越えてくるなんて、よっぽど死にたかったんかい?」
「いや、別に死にたいわけではなかったんだけど。なんか、気づいたら死んでた。」
「まあええわ。一緒に行きたいところあるんやけど、もう動けそうかい?」
「動けるも何も、死んでんのか生きてんのかわからないんでしょ?動けるわけないじゃん。」
「心や。強く思え。動けって。」
念じると、まるで蝶のように軽やかに、浮かんだ。夢だ。そう確信したのは言うまでもない。ふと、最近見た夢って、どんなものだったかと思い返った。白い道を、制服のままただ歩き続ける。そんな夢だった気がする。その時感じた虚無感は、この風景で払拭された。夢って、面白い。自由だ。太陽光が海に反射していたせいもあるだろうが、こんなにキラキラした夢は、いつ以来だろうか。僕は久しぶりの美しさに胸が高鳴っていた。
「せっかくやし、海沿いを行こうや。」
そう言って先先と飛んでいく空海を追いかけるように僕も飛んだ。点々と存在する町がいくつも過ぎて行った。大きな町もあった。海岸はゴツゴツの岩石で、打ち付ける波は高い水しぶきを上げていた。その自然に魅了されたのは言うまでもない。
潮岬を過ぎて、少しばかり。岩が点在している浅瀬の海に空海と僕は降り立った。波は僕らの足元を透けていく。実体は無いようだ。
「ここは『橋杭岩』と言われている場所や。昔ここにそれは偉いお坊さんが一晩で橋を架けたんやって。」
空海から見るそれは偉いお坊さん、間違いない、橋を架けたのはこの人だ。だってすごく笑顔をこらえている顔をしている。
「で、『その偉いお坊さん』の橋はどうしたの」
「さあ、荒波にでも壊されたんやないかなあ。知らんけど。」
知らんのかい。そうツッコミを入れたくなった。
「それって本当に架けたの、それともただの作り話?」
どうせ作り話、ただの伝説に決まっている。そう思いながらも一応聞いてみた。
「どっちゃでもええよ。今の人はそういっても信じやんけど、昔の人はそれを信じた。人は信じたもんが正しいと思い込む癖がある。それがあっとるんか間違っとるんか、もしくはその真偽を追求すんのか、そない気にすることちゃうんよ。まあ、信仰ってそういうもんや。苦しいことがある。誰かに何かを求める。神様、わたしの場合は仏様を信じとるんや。」
空海は僕を見る。僕は下を向く。それが作り話か否かに焦点を置いた僕が情けなく感じた。
「君かて、何か信じとるもんがあるんやろ。昔の記憶をたどってみ。小学生、幼稚園でもええ。今の君は、年には合わんほど大人になってしもたんや。大人になるっちゅうんはなあ、そない凄いことやない。逆に、夢をもってるってだけで、幸せになれる、いいかえりゃ大人よりもすごいんや。そんな凄かった君が、それを捨てて大人になってしまった。その意味が分からないから命を投げ出した。そこまで賢い頭持っとるのに、もったいないなあ。」
顔を上げることができない。涙があふれているのを、見られたくない。昔の僕を思い出す。小さかった、幼稚園の時の僕。歌が好きだった。みんなに僕の歌声を聴いてもらうのが、好きだった。小学生の時も。道徳の時間にやった内容。『あなたの将来の夢は何ですか。その夢をかなえた自分に何を伝えますか。』この質問に僕はこう答えた。
「僕の将来の夢は歌手になることです。もし将来僕が歌手になって、みんなが僕の声を好きって言ってくれるようになったら、今の僕は将来の僕にありがとうって伝えます。僕の夢をかなえてくれて、ありがとうって言います。」
「いい夢だね。」
「ええ夢やな。」
ゆっくりと顔を上げた。空海はニコッと笑っていた。小学校の担任の先生と空海の姿が重なる。優しかった先生の声、歌を聴いてくれたクラスメイトの顔。全部、捨ててしまっていたのか。忘れてしまっていたのか。当時、僕はお母さんに相談した。歌手になりたいと。お母さんはいい夢だねと言いつつも、かなえるのは難しいよ、と正しい現実を言った。「なりたい」ばっかり考えて、具体的にどうすればいいのか、全く考えていなかった僕は、歌手になりたいとは言わなくなった。当時の僕には、自信と勇気が足りなかったんだ。
「わたしの夢は、とにかくこの世を皆が安寧に暮らせるようにお祈りできる坊主になることやった。どんなにつらくても、貴族らがどんなに酷くても、どんなに周りから批判されても、決して信念は曲げなかった。とにかく、この世を救いたかったんや。後にどう評価されとるかは知りたくもないが、一応今でもわたしに続く者はいる。わたしがやってきたことは間違ってない。そう確信できるだけでわたしは幸せもんやな。君も将来、幸せやったって断言できるくらい、ええ生き方をせえよ。」
はい。そういうと、高い波が押し寄せて、目の前が真っ白になった。
「さあ、おかえり。何を選ぶか、今から何ができるんか、よく考えて。」
「はい!」
遠くに飛び去って行く空海に届くように、大きな声を出した。空海はもう見えない。
目が覚めると日は暮れかけていた。僕は三段壁の上、ロープをまたぐ前の、石像の真下に倒れていた。猫が像の水入れから水を飲んでいた。ふと、空海がその猫のようにも思えた。少し微笑んだんだろう。自覚はないが、微妙に嬉しい気持ちが心の中に存在していた。そして、生きていてよかったと思えたのだ。
三段壁まで走っている途中、過去の自分に戻れたら何をするのかという自問。夢があったかつての僕。でも自信がなかったから「わからない」と答えた。今の僕なら、胸を張ってこたえられる。そんな自信がわいていた。
冷たい、強い風が僕の体を襲う。風邪をひいてしまいそうだ。受験どころじゃないな。でも、太陽の暖かさは、すごく伝わった。空海の頭を眩しく照らしていたあの太陽は、今僕の心まで照らしている。体がすけたみたいだ。陰にすら温かみが伝わるのではないかと思ってしまった。
誰かを照らすものが希望なのだとしたら、結果はいつも影の中にあるのかもしれない。僕の影を見て、そう思った。時には自信を無くしてしまうほど、暗くてよく見えない、一寸先は闇の世界で、望む結果をつかみ取るのは難しい。でも、希望によってつくられた影を、もしつかむことができたなら。そう考えると自然と力がみなぎってくる。心の底からやりたいと、そう思えてくるのだ。
僕は歌手になりたい。歌手として、誰かを救う存在になりたい。誰かの神様になりたい。まずは、かつての僕に自信を与えた。その少年にとって、今の僕は神様であるといいな。
そういう輝かしい夢を、〈現実〉を見た。
君がもし、自信を無くして立ち止まってしまったなら、誰か「君の神様になってくれる人」を探すといい。家族、友人、恋人、推し、誰でもいいよ。見つけてごらん。人間は支えあわないと生きていけない。僕は、今リスナーの君たちがいるから、こうやって歌っていられる。空海がいたから、今もこうして生きている。究極を言えば、東京駅でお金を落としていった誰かがいなかったら、歌い手にはなってなかったね。
僕の歌を聴いて、僕のことを好きでいてくれる人がいる。幸せだったって断言できることって、これだよね。空海。
僕の小説を読んでいただき、ありがとうございます。受験を終えたからこそ、色々と学ぶことが多かったです。学歴ばっかり重視される世の中は終わりました。といいたいところですが、そうでもないのが現状の社会ですね。正直いい大学に入ったって、その中で腐敗していてはくだらない社会の歯車になって使い古されるだけ。僕はこういうネットの世界だからこそ、本当の隠しごとのないありのままの自分でいようと思います。みんなも、(他人に迷惑をかけない範囲で)一番好きな自分でいましょう!!