094 - 佐藤の気持ち(4)
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汐見は佐藤の家を出て近くのネカフェに来ていた。
佐藤の家の近くに来て佐藤の家以外で時間を過ごすことはなかったため、当然、初来店だ。
身分証明書を提示し会員証を作って中に入ると、夜中の1時前だというのに結構人がいた。ネカフェは以前の職場のときは利用していたが、今の会社に来てからは利用することは滅多にない。
会社から近いアパートを借りたことが原因だったのだが、それでも行く気が起こらなかったというのも理由の一つ。
安普請ではあったものの、狭い自分のアパートは居心地が良かったし、さらに上をいく居心地の良さで佐藤の家の方が何倍も快適だったからだ。
汐見は佐藤の家でのことを思い出して整理する。
玄関前で聞いた大きな物音──
(姿見が割れてた……スマホが落ちてたから……投げたんだろうな……)
その後、リビングで聞いた音はおそらく【あの壁板】のせいだったのだろう。汐見は現場をそのままにして佐藤の家を出た。来ていたことを知られないように。
(オレがあの部屋を見たことを知られない方が……良いだろう…………佐藤は、知られたくなかったんだろう……あの部屋を──想いが詰まった大量の写真を────)
次いで、机につっぷしたままの状態の佐藤をそのまま放置したことを思い出し
(やっぱり寝室まで運んだ方がよかったか……後で体の節々が痛む。酔ってるなら起きた後もっときついはずだし……)
こんなところまで来て佐藤の心配ばかりしていた。佐藤がストーカーまがいのことをしていたというのに。
(ストーカー、か……)
汐見はボディバッグからスマホを取り出してグゴった。明確な定義が知りたかったからだ。
『ストーカー=同一の者に対し「つきまとい等」を繰り返して行うことを「ストーカー行為」と規定して、罰則を設ける。ただし「つきまとい等」のアから工及びオ(電子メールの送受信に係る部分に限る。)までの行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われた場合に限る』とあった。その上で
『この法律では、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、その特定の者又はその家族等に対して行う以下の(ア)から(ク)を「つきまとい等」と規定し、規制する。
(ア) つきまとい・待ち伏せ・押し掛け・うろつき等
(イ) 監視していると告げる行為
(ウ) 面会や交際の要求
(エ) 乱暴な言動
(オ) 無言電話、拒否後の連続した電話・ファクシミリ・電子メール・SNSメッセージ・文書等
(カ) 汚物等の送付
(キ) 名誉を傷つける
(ク) 性的羞恥心の侵害』と箇条書きで書かれてあった。
(もし、佐藤の行為がストーカーになるとしたら(ア)になるのか? ……強要は、されていない……何も言われてない……問題があるとすれば、盗撮の方か……)
だが、汐見にも問題がある、かもしれない。
なぜなら、佐藤のあの部屋を見て……大量の【汐見】の写真を見ても……
(驚きはした……違和感も、不気味なものも感じたが──さほど……嫌だとか……嫌悪感とか……気持ち悪い、とは……思わなかったんだよ、な)
これが、汐見自身が見知らぬ相手が行っていた行動であれば話は別だっただろう。
相手のことを何も知らず、あるいは自身が存在すら感知していない相手が一方的に汐見を知っていて、想いを寄せられて、盗撮されたりなどしていたら……と、そこまで想像して、鳥肌が立つ。
しかもその相手がもし同性なら……と、そこまで考えると虫唾が走った。
だが、それが佐藤なら────
汐見が佐藤を知りすぎている、近すぎるから、というのはあるのかもしれない。だがそれ以上に──
(……アレは……佐藤の片想いの相手がオレ、ってこと、なん、だよな……)
整理しようとしているのに、処理が追いつかない。実感が湧かない。
先週から様々なことが起こりすぎて頭が回ってないのもある。それに────
(佐藤は紗妃が好きだったんじゃ…………なくて、オレのことが好きで、オレは紗妃と結婚して……お前は……)
汐見は【結婚できない相手】の既婚者で
(佐藤はオレと「結婚」したい、って?)
「……男同士って結婚できたか?」
はた、と気づいて再びグゴる。
そして、今更ながら【日本では】同性の婚姻が法的に認められていないことを確認した。
(どういう意味だったんだ……佐藤はオレに『お前が知らない人』って言ってた……めちゃくちゃオレが知ってる人間じゃないか……ていうか、【オレ】じゃないか……)
佐藤は、長く片想いだと言っていた。諦めきれないとも。
(なのにお前はそれを告げる気もないのか? なかったのか? これからも、オレに伝えるつもりはないのか?『お前が知らない人』って、どういう意味だ?)
汐見はついさっき、初めて佐藤の気持ちを知った。
しかも、本人に直接言葉で告白されたわけじゃない。
だが、告白以上の衝撃だった。
言葉で告げられた以上に、佐藤の想いがダイレクトに伝わってきた。
(あの大量の写真は……オレへの、そういう感情だ……)
あの後、あの部屋で他の写真もいろいろ見た。
巨人と小人の構図の写真。出来が良かったあの鎌倉での一枚を、汐見は持って来てしまった。
隠し撮りしながらあの構図での写真が何枚かあったからだ。
(お前の中で、オレは小人かよ……いや違うな……お前の気持ちに気づかないオレと、そういう写真でも撮らないと……片想いしてる気持ちが…………だからオレに『頓珍漢』って……)
汐見が紗妃に片想いをしていたように────
(夫婦なのに片想いってなんだよ、それ)と思っていた先刻までの気分も、汐見の中から完全に吹っ飛んでいた。
紗妃が佐藤か、あの不倫男かに片想いしていて、佐藤が、もしかしたら紗妃に片想いしてるのか? と思っていたら──
「……まさかの【オレ】かよ……」
思いも寄らないところで三角形の二辺が繋がり、2つの頂点ができて残り一つの頂点だけがぽっかり口を空けていた。
(オレ、は……)
佐藤に対して汐見が思うところは、『仲の良い友人』『知人』『同僚』……だけではない。佐藤はもう汐見の中ではなくてはならない、友人以上家族未満の人間だ。
(……恋人未満…………佐藤はオレと恋人になりたいんだろうか……なりたかったんだろう。……だがオレが気づかないせいでお前は苦しんで……)
「……片想い、って、しかも……6年以上前、から?」
どれだけ長いこと片想いしてるのだ、という話である。
汐見はそんなに長く一人の人間を想ったことなどない。好きだと思ったら告白して──結局、紗妃以外に告白したこともないが──それで振られたらおしまい、と思っていた。今でもそう思っている。
(お前はオレに告白しようとも思わなかったのか? オレに告白したら振られると思って?)
汐見は想像してみた。
もし、あの部屋を見る前に佐藤に告白されていたら、自分はどうしただろうか、と────
(……好きだ、って佐藤に言われたら…………美形イケメンのお前が? モテてモテて仕方ないお前が? 女じゃなくて男のオレに? 告白? ああ、なんだ、いつもの軽口か。友情とか親愛とか、そういうアレか……って、思っただろうな……)
微妙に座り心地の良いネカフェの1人掛けソファーに身を沈めながら思う。
(「オレも、お前のこと好きだぞ」って笑って返して……友情として受け取って終わったな。多分……)
佐藤の気持ちの100分の1もわからずに──伝わらずに「何言ってんだ、お前」って流して終わったのだろう。
(橋田の病気が移ったのかよ、とか言って……)




