089 - 汐見宅で(15)
佐藤は目を閉じて回想しながら汐見に話し始めた。
「まぁ、出会いがそもそもおかしかったんだけどさ。最初は俺自身、その人にそういう気持ちはなかったんだ。噂を聞いてるだけだったし、初めて話した時に普通に良い人だな、って思っただけだったから……」
(顔を見ながら話すと、また泣きそうになるから、そこはもう勘弁して欲しい…………俺たち、出会いがアレだったもんな……)
あの頃の佐藤は、汐見の噂をそれとなく聞きながら、転職するための情報を漁っては引き継ぎ資料を作成する日々を送っていた。
自分が【顔だけ男】と陰口を叩かれているのは入社の早い時期から気づいていた佐藤は、自分とは正反対の評価を得ている汐見に対して『会社辞める前に、その人と会って直接話してみたい』と思っていた。
佐藤自身は「容姿がいいだけ」と評価されていることに対して何か思ったことはあまりない。
自分に関係ない他人に何を言われても特に何も感じなかったからだ。それは児童期のキモオタハーフデブ時代に培われた信念のようなものだった。
「……色々あった時に……精神的に支えてもらったんだ。それまでは……適当に付き合ってればそれとなく世間を渡れると思ってたし、実際そうだったからさ……」
女性遍歴を重ねれば重ねるほど虚しさが募っていった。
周りの同性たちからは佐藤に対する評価には『イケメンだから』という枕詞が捨て台詞に付く。その言葉にどれだけ佐藤が傷ついているか理解していた人間はいないだろう。
好きでイケメンに生まれたわけじゃない。
たまたまそう生まれただけなのに、どれだけ内面を磨いて努力しようと、佐藤自身の中身を見てくれる人間はいなかった。見てくれが良いだけで、それ以外に価値はない、という烙印を押されているも同然だった。
でも佐藤は、頭のどこかで、世の中そんなもんなんだろうな、と思っている自分がいるのも自覚していた。
「俺は、その人のどこが好きかって思ったことはあまりなくて……でも一緒にいて安心するし……居心地が良かったから一緒にいたいと思って……そう自覚した頃にはもう……そういう意味で、好きだったんだと思う」
(告白してれば良かったのか? でもお前はきっと……俺と同じ熱量で応えてはくれなかっただろう?)
「けど、向こうはそうは思ってなかったみたいで……」
先に30の誕生日を迎えた汐見が『オレ、結婚できるのかなぁ……』と漏らした一言に佐藤は驚いた。
汐見に懸想する人間を、それこそ1人ずつ潰して回っているのが佐藤だとバレるのは時間の問題だと思っていたからだ。でも結局、汐見は気づかなかった。
(俺が『……汐見は結婚願望強そうだよな』って笑いながら何気なく聴いた時、お前はこう答えたよな。『やっぱり男は所帯を持って一人前だろ? それに……家族っていいよな……』ってさ……)
家族のことを語らなかった汐見のその、羨望を滲ませたセリフに佐藤はまた心臓が引き攣れた。佐藤自身は家族のことがあまり好きではない。
(だけど……俺が話す家族の話をお前はいつも目を眇めながら聴いていたな。あれ、今思うと……自分に家族がいなかったからだったのか、って思って……)
佐藤に結婚願望はなかった。女性と結婚する自分をイメージできなかったからだ。
過去付き合ってきた彼女達の中には、結婚できるかもしれない、と思った女性はいても、結婚したいと積極的に思ったことはない。
汐見に出会った頃にあんなことがあったため、本当に気を許せる女性、という存在が現れるのかどうかすら疑問だったのだ。
「俺自身は、その人と付き合いたいと思っていたけど……結婚できるかどうかまでは……」
男同士で結婚できない現実を佐藤は呪った。
(お前が家族が欲しいと言うならどうにかして【家族】になろう。と思ってたけどさ……)
『紗妃とならかわいい子が生まれるんだろうな……』
そう言った汐見の顔を見た佐藤はもう、何も言えなかった。
今度は自分が汐見の子供を産める体じゃないことを呪った。
(お前の中では【男同士で付き合う】ってことすら頭にないことを知って、俺は何度も苦しんだ……)
「なんとか意識してもらおうと思って色々やってたけど……通じてなかったな……」
汐見が、いっそ清々しいほど汐見で。
(でも、お前が結婚しないなら、俺も結婚しなければ良いだけだって思ってた。お互いずっと独り身のまま、そのうち歳取って枯れてお前が嫁をとる気も失せた頃に「お互い独り身だったらいざと言うときのために一緒に暮らそぷぜ?」とかなんとか言って、なし崩しに同居し始めようって計画してたし……)
「結婚相手として見てくれてなかったから、俺なんか眼中になかったんだな、って気づいて……」
汐見が『オレはお前みたいにモテないから……もし今度彼女ができたら、結婚するつもりで付き合うよ』と言っていたのを聞いて。
(お前の中では結婚イコール家族って理想像がすでに出来上がってて、汐見のそばにいる相手は絶対に異性で、結婚したいから付き合うのか、って思って……)
「その人に……結婚したい相手ができて……俺の片想いはそこで終了したと思った……」
結婚式に出席した日の夜から3日3晩、佐藤は苦しんだ。
(でも、諦めきれなかった……)
人のものになった汐見でも、毎日職場に行けば会える。職場なら〈春風〉より長い時間一緒にいられる。佐藤はそう思うことで明日生きる力をなんとか維持していた。
(お前に一目惚れされた〈春風〉が羨ましくて妬ましかった……なのに〈春風〉は最初の頃、お前じゃなくて俺にモーションを掛けてきたんだぜ……正直、鬱陶しくて仕方なかった……そんなことにすら気づかない鈍感なお前に、俺は悲しくなったけどな……)
「諦めきれなくてさ……結婚してるけど、まだ片想いのままだけど、それでもいいや、って思って……」
簡潔ではあるものの、あらかた話し終えた佐藤は、汐見の顔を見るのが怖くなった。
(これ以上話すと俺がヤバい。目を開けてちゃんと汐見を見ないと……帰ったら……結婚式の時みたいに暴れそうだな……)
目を開けた佐藤が汐見を見やると──眉根を寄せて苦しそうな顔をしていた。
(よかった。まだ俺のことを気にかけてくれるんだな……)
「俺の話はこれで終わり。さて。俺は帰るわ」
立ち上がった佐藤が、カップ麺の残り汁をシンクに捨ててカップをゴミ箱に放り込み、リビングのソファに転がしてた自分の財布からスペアキーを取り出す。
「これ、俺の家の鍵。俺は帰るけど、今夜はゆっくり休めよ。あまり無理すんな。なんだったら明日は1日家に籠ってたほうがいいと思うぞ。……ここでも……俺の家でもいいから」
「あ、あぁ……」
「……大丈夫か? 一応、俺の家来るときは前もってLIMEしろよ?」
「わかった……」
これ以上、汐見といると変なことを口走りそうだ、と思った佐藤は玄関まで見送ってくれた心配そうな汐見の顔を目に焼き付けて、汐見の家を出た。
汐見のマンションを出る頃には9時前で。
「っあーー……とりあえず、一旦帰るとするか」
今夜は荒れそうだな、と自覚しながら帰路についた。




