083 - 汐見宅で(9)
◇◇
パチ と目を覚ました汐見が窓を見ると、外が暗くなっていて
「え? い、今何時だ?!」
寝室のドアの上にかけられた時計を見ると7時を過ぎていた。
「や、やばい!」
(ちょっと待て! オレ何時間寝てた?!)
バタバタと寝室を出てリビングに向かうと
「おう、起きたか」
「さ、佐藤! い、池宮弁護士との!」
佐藤がキッチンに立って何かしていた。
「さっき電話した。今日は無理そうですって」
「! で、でも! 時間取れないって!」
「あぁ、だから、木曜日のもう少し早い時間にしましょう、つってた。ちょうど病院に行く日だから、帰りに寄れるだろ?」
「……」
「1週間は安静にしろって佐々木先生にも言われてるんだから、今日はもう休め」
「……」
「汐見?」
へなへなとその場にへたりこんだ汐見が、リビングの床を呆然と眺める。
「……勝手に変更して悪かった。でも、無理すんなよ……時間ないって言ってたけど大丈夫だよ。日曜が期限なんだろ? 池宮先生に言ったら、来た時になんか書類作ってくれる、つってたぞ」
「そ、れでも……」
「……なぁ、汐見……」
呆然とへたり込んだ汐見が佐藤を見上げる。その目は茫洋としていて焦点が定まっていない。
(……お前の、強面が無防備になった時の目って、かわいいんだよな……)
「これが片付いたらさ、その……」
「?」
「い、一緒に……」
ッピィィィ~~~~~!!
掛けていたヤカンが沸騰の合図をした。佐藤が慌てて台所に戻る。
「佐藤?」
「……いや、なんでもない……」
ヤカンの火を止めた佐藤が冷蔵庫の扉を開いた。
(片付いてからでいい、片付いてから……落ち着いてから、話そう……今はまだ動けないし……)
紗妃がどうなるかもわからない。自宅に帰って来る可能性もある。
なら、ここを引き払う話をするのは時期尚早だという気もした。
(でも……〈春風〉が居ないのに……独身の俺の家よりも冷たいこの家で、お前は毎日1人で過ごすのか?)
広さで言うなら佐藤の家の方が広い。だが、そういう問題じゃない。
人の気配がしない家というのは暖かさを感じないということだ。
どこまでも無機質で人を介在させない意思を感じる、そういう家は居心地が良いとは言い難い。
(どこかのモデルルームみたいだもんな……)
佐藤はそう思い、モノがあまり存在しないリビングを確認する。
(俺は一人暮らしだけど、2年前まで『1人じゃなかった』。お前には言えないけど、望遠レンズ越しにいつもお前と一緒にいた。この2年は1人で、寂しいけど仕方ないと思っていて……)
──佐藤にとって、本当の一人暮らしは2年前から始まった。
朝起きても夜帰っても、ベランダを開けて望遠レンズ越しに見ていた汐見がいない味気ない生活。
だから、汐見が入籍後の佐藤は『会社に行く』のが、ますます好きになっていた。
佐藤は元々、仕事好きな方ではない。
身体管理を兼ねて自炊をしてるのもあって、汐見に出会うまでは可能な限り定時に帰るか、その時々で付き合ってる彼女たちと会うために仕事後の時間は空けるようにしていた。
だが、汐見と出会ってからの佐藤は、仕事大好き人間の汐見が、後輩や部下の仕事の面倒を見てよく残業していたため、汐見の残業が確定したら自分も残業するようにしていた。
磯長コーポレーションでは固定残業手当が上限が決まっている。それを超過した実働の残業時間は本人の裁量制だ。
就業時間内だと注意を受けることもある他部署への出入りや雑談等は大概が残業時に行われている。そのことを管理職も黙認していた。社内での部署を超えた何気ない雑談などが人間関係を円滑にすることも多いという、暗黙の了解があるからだ。
そのため、残業しているときの佐藤は足繁く開発部に顔を出し、空いてる会議室・休憩所・喫煙ルームで汐見とよく雑談していた。
佐藤にとって会社は汐見に会うための唯一の場所で、2人っきりになりやすい残業時間帯は佐藤にとって、ご褒美だったと言える。結婚した後の汐見と会って話す回数と時間が増えるその時間帯は、佐藤にとって唯一の癒しだった。
(可愛い女の子に会いたいがために毎日休まず学校に行ってる学生と変わらないけどな……)
自分の行動を省みるとその稚拙さに呆れてしまうが仕方ない。職場が同じでもなければ、結婚した友人と2人っきりで会う口実になる機会など、そうそう無いのだから──
沸騰したやかんを確認した佐藤が台所でまた何かしている。
「何か作るのか?」
「ん~、いや、夜になるまでには帰ろうと思ったんだが……」
「……すまん、寝こけて……」
「それは謝るなって。怪我して体力削られてんだから仕方ないだろ。それより、冷蔵庫の中、昨日来た時に片付けちまったから。あ、こっちこそ、悪い。何か食べるものないか少し漁った。事後承諾だけど、大丈夫だったか?」
「それは、別に……」
(オレは台所に入ることすらなかったから……)
「保存用の食材でラーメンあったからさ。俺たちみたいな筋トレ勢には夜のラーメンはご法度だけどな」
「……」
「ま、今日はしょうがないだろ。一応、ちょ~っと萎びたレタスときゅうりと、賞味期限ギリギリのハムと3個しか残ってない卵を消費しようと思う」
「そうか……」
夜の予定がなくなったことで、ホッとすると同時に、汐見は完全に気が抜けてしまった。
「は~……」
「どうした? そんなとこで座ってないでソファかテーブルに座れよ」
「あぁ……」
(なんだったか……オレ、何か佐藤に聞かないと、って考えながら寝てたんだが……)
いそいそと180センチ超えの体でキッチンを動き回る佐藤を見ながら、ぼんやり考えていた汐見が
「……そうだ」
変な声を上げた。すると佐藤が
「? なんだ?」
キッチン越しに汐見を見ると、腑抜けた視線で佐藤を眺めていた。
「なんでお前、橋田の連絡先知ってるんだ? オレでも知らないのに」
「!!」
(そ、それは!!)
「あいつ、ひどいよな。あれだけオレと部署内でツーカーだったのに、半年前に退職してから全然連絡取れないぞ。連絡先も変わったみたいだし……オレ、もしかして橋田に嫌われてたのか?」
意気消沈する汐見を見て、佐藤は心の中で土下座した。
(す、すまん! 汐見! それ、俺のせいだ!)
「そ、そうか? い、忙しいだけなんじゃないか?」
(あいつに『絶対、汐見に連絡するな! 2人で会おうとするな! じゃないとあのバーでお前の有る事無い事バラす!』って脅して……橋田、お前のこと『お気に入り』だから……)




