079 - 汐見宅で(4)
「あ、あの……精神の先生に診てもらって、その、色々問題があるとのことで当分は入院することになりそうです……」
「そうか……」
「その……刑事さん、は……解離性の人と面識があったり、するんですか?」
「「……」」
米山と村岡は顔を見合わせた。
「まぁ……現場の当事者には色んな人間がいる。普通の人間も、そうじゃない人間も。でも普通の人間が普通じゃなくなって事件を起こすってのが多いわな……」
「……」
それは過去に大量の事件を見聞きし、捜査してきた米山の本音だろう。
「多分、普通じゃなくなるきっかけは人によるんだろう。他の人間なら些細なことがきっかけになることもあれば……そうじゃないことだってある……」
手元にあるコップの水滴を触りながら米山は話す。そして、顔をあげて汐見と視線を合わせた。
「人間ってのぁ、存外弱い生き物なんだなぁ、って思うよ、汐見さん」
「?」
「あんたの奥さんもさ、きっと何かあったんだろう。自分で処理できないことがあると、そういう、あー、なんだ。解離性とかになりやすいってな、言ってたんだわ。知り合いの先生が」
佐藤は先日の原口医師の言葉を思い出していた。
『逃げ場所を作らなければならないほど彼女は精神的に追い詰められていた』と。
そして、それを受けた汐見が言っていた、あの言葉。
『オレが、紗妃の【逃げ場所】にならなくなったきっかけが……』
ICUを出た後の病室で汐見が言っていたことを思い出しながら佐藤は汐見の横顔を見た。刑事たちに向き合う汐見の凛とした男らしい横顔はいつも通りで、思わず見惚れてしまいそうになる。
だが、その表情だけでは汐見が何を考えているかまではわからない。
(でも……)
汐見が何を考えているか、汐見に何があったのか、汐見がどういう来歴でこれまでを生きてきたのか。
(全部知りたい……)
その望みが叶うことがあるのか、あるとすればいつなのか、それすらわからないが、汐見にどんな過去があろうと佐藤は汐見を丸ごと受け止めたいと思っていた。
(足りない……俺には汐見が足りない……)
もっと頼って欲しい、なんだったら全身で寄りかかられて、自分がいなければ生きられないくらい自分という存在に依存して欲しい。そしたら汐見は自分から離れて行ったりしないはずだから。
(でもきっと、お前はそういうことはしない……いや、できないよな……)
祖母が亡くなった大学卒業したての頃から、天涯孤独の身になった、と言っていた。
おそらく、その後からの汐見は自分の足だけで立つこと、自分の力だけで生きていくことを至上命題として生きている。そんな男にそれを望むのは不可能だろう。
今まで汐見は、自分で解決できることを他人の力を借りて解決しようとはしてこなかった。だからこそ、妻である紗妃と警察が介入するほどの事件になるまで動けずにいたのだから───
「まぁ、人間てのは心の中まで広げて見せることはできないからな……うちらが採ってきた事実と本人が吐いた自白から真実を探るのが生業の一つでよ……まぁ、自白つっても本当にヤってる奴が最初から本当のことを言うってのは少ないからさ」
ぼりぼりと頭を掻く米山が何かを思い出したのか、呆れた顔で話す。それを横目で村岡が黙って聞いている。
「自白でも嘘つくやツァとことん嘘つくし、中にはその嘘が自分の中で【本当】になっちまってる奴もいる。どっちがいいとか悪いとかよりも……嘘が自分の中で【本当】になっちまう奴ぁさ、現実からどんどん違う世界に行っちまうんじゃねぇかな、と俺は思うんだよな」
「……米山さんお得意の【嘘つきは犯罪の始まり】ですか?」
黙っていた村岡が米山を見遣りつつ、2人しかわからない話をする。
「そうだな」
「「?」」
それに応えた米山と、対照的によくわからない表情をする佐藤と汐見。
「嘘ってのはさ、一つ二つならまだなんとかなるんだ。けどな、嘘を取り繕うためにまた嘘をつくとず~~~っと嘘をつき続けなきゃぁならん。すると、最後の最後に嘘を暴かれようとした時、犯罪に走っちまう人間、てのが多いんだよな」
「……」
「あんたの奥さんも……なんだろな、なんかあったんだろう……自分に何か嘘ついてたかもしんねぇな……」
「……」
自分に嘘をつくのはおそらく無意識の防衛本能だ。傷つきたくない何かから、自分を守るために。
米山はじっと汐見を見て、その目の奥にある何かを覗こうとした。だが、それは失敗に終わった。
「俺はな、事件の通報を受けてこの部屋の隣の兄ちゃんに話を聞いた時、あんたが嫁を殴ったと思ってた。でも違ったな。……まぁ、聴取してるうちに、こりゃあもっと根が深そうだな、とは思ったが……」
はーっと一つため息をつくと、米山が内ポケットから名刺入れを取り出し、その中から一枚の名刺をテーブルの汐見の前に差し出した。
「これぁよ、俺がさっき言ってた心理の先生って人だ。その、まぁ、なんだ。恥ずかしい話、離婚話が突然出た時は俺も荒れてよ……家の中で家内に手を挙げたこともねぇのになんでいきなり、と思ったんだ。息子も娘も大学まで卒業させて、あと数年で退職だってのに……」
ぽりぽりと頬を掻いて米山が続ける。
「……って、まぁ、俺の話はいい。そんときにさ、夫婦カウンセリングとかいうので世話になった人なんだ。男の、俺より10くらい上のじいさんなんだが、色々、力になってくれるんじゃねえかな、と思ってな」
「あ、あの……」
それまで沈黙して聞いていた汐見が米山の顔を見る。
「でしたらこの名刺はどうやって返却すれば……」
「あぁ、大丈夫。もらった名刺は写メってちゃんとデータで保管してあっからよ。それはあんたにやるよ。まぁ……さっき村岡にくれたアレと交換な。あっちの方が高そうだけど」
「……わかりました。お名刺は、ありがたくいただきます」
「あ、じゃあ、私も。そのままメモリの方は頂戴します。上に確認して問題があれば郵送で返却します」
村岡がメモリの件について言及すると、汐見がにっこり笑って答えた。
「はい」
その表情に一瞬、村岡は固まったが
「じゃぁ、俺たちは引き上げるとするかね」
米山に声をかけられて
「ですね」
答えると、刑事2人はそろって椅子から立ち上がった。
ふと、思いついたように米山が汐見に視線を投げて、ニヤッと笑った。
「汐見さん、今後、あんたと会うことがなければいいな」
「……そうですね」
「時間取らせて悪かったな。でも、またなんかあったら連絡してくれ」
「はい」
でかい村岡の先に立った米山が腹を揺すって動き出す。
「じゃ、けえるか」
「はい」
佐藤と汐見も立ち上がり、汐見が佐藤を制して
「玄関までですが送ります」
「あぁ……腹の傷、早く治るといいな」
「ですね」
玄関のドアが閉じられるまで見送った汐見は、はーっとため息をついて後ろを振り向いた。
「うぉ! な、なんだよ」
思いがけず佐藤が真後ろに立っていたので驚く。
「ん……心配してくれてたんだな、と思ってさ」
「……そうだな」
佐藤と2人で刑事2人が出て行った玄関を見やる。すると突然 プルルルルと、食卓に置いてある汐見のスマホが鳴った。
慌てて佐藤を尻目に汐見がリビングに戻ってスマホの着信を確認すると、震えている画面には【弁護士法人リーガルリザルト】と表示されていた。
 




