074 - 佐藤宅で2人(9)
「ふふ……」
「なんだ、変な笑い声出して」
「いやー、まさか汐見さまが俺の手を揉んでくれるなんてな~と思ってさ」
「汐見【さま】ってなんだよ」
「いや、塩のじ……王様って呼ばれてるからな~」
「知ってるよ。なんだよ、女王様って……オレは男だろうが」
「んー……」
(突っ込むところそこかよ……)
汐見本人は自覚してないが、社内の男性同僚から『塩の女王様』と呼ばれている所以はまぁ、要するに──エロい身体のせいだ。特に社員旅行の後の新入社員の反応はすごい。
『見たか? しおみん先輩! あの胸筋、もはやおっぱい……あんな胸筋で尻までなんか……あ~あの体型、女だったらヤっバイだろ~』『いや、男でもあれはエロい』という話が毎年出て、佐藤はその話題をどこかで聞く度にその話の輪にいる若手社員を一睨みして牽制する、ということを繰り返していた。
思い出すとイラつくが、今は余計な考えを払拭して、幸せな時間を堪能することに努めよう、と佐藤は決めた。
アロマオイルを使ったハンドマッサージされながら、遠慮なく汐見を鑑賞していた。ただし、じっと見つめるのではなく、あくまでも平静を装ってチラチラ見る感じではあるが。
「痛くないか?」
「んー。あまりさ、揉み込むもんじゃないって言ってたな。そういえば」
「? どういう意味だ?」
「なんか、俺もよく知らないけど『アロママッサージはアロマの効能を届けるだけ』とかなんとかで、普通のマッサージみたいに強くしなくていいんだって」
「……マッサージにならないんじゃ……」
「それでいいって言ってたぞ」
「ふ~ん……」
そう言うとさっきまで押し込むように佐藤の肌を揉んでいた汐見の指の力がゆるっと弛緩し、摩るような動きに変わり
(あ、ヤバい! かも……!)
ゾワり、と何かが腰から這い上がってくる感覚があった。佐藤が驚いて汐見を見ると相変わらず無表情だった。
「ちょ、っと、タイム!」
「ん? どうした?」
「と、トイレ行ってくるわ」
「お前、最近トイレ近いな?」
汐見が不審そうな顔をしたので
「は、はは……」
(誰のせいだと思ってんだよ!)
佐藤は内心で激しく突っ込んだ。
今回の【汐見とのドキドキ同棲初体験!生活】は、自分自身の【7年間耐えた強靭な理性が試される最大級の試練の期間】だと佐藤は思うことにした。
少し休憩して部屋に戻った汐見は、書き殴ったメモをかざしながらスマホから架電した。
『はい。おはようございます。弁護士法人リーガルリザルトでございます』
2回目のコールで出るとは、と汐見は驚いた。
「おはようございます。えっと、すみません池宮弁護士はいらっしゃいますか?」
『申し訳ありません。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
「あ、失礼しました。私、汐見潮と申します。あの、ご相談したいことがありまして……」
『池宮はただいま出廷のため席を外しております。よろしければ、こちらから折り返しご連絡差し上げたいと思います。汐見様のお電話番号をいただけますでしょうか?』
「あ、はい。じゃあ、お願いします。電話番号は~~~~」
『かしこまりました。伝言などがありましたらそちらも承りますが、いかがなさいますか?』
「え~っと……」
そこまでやり取りして、紗妃に関する話を弁護士事務所の事務員に話しても良いものかどうか一瞬、躊躇した。
『……申し上げにくいことであれば、池宮から折り返しのお電話で直接お話しされた方が良いかと思われます。池宮には「汐見様からお電話があった」とお伝えすればよろしいでしょうか?』
「あ、はい、じゃあそれで」
『かしこまりました。では、池宮が戻り次第、折り返しお電話差し上げます。しばらくお待ちくださいませ。お電話は事務員の大塚が承りました』
「はい、よろしくお願いします」
『はい。では、失礼いたします』
「はい……」
そう言って事務員との事務的な会話は終了した。
あとは伝言を受けた池宮弁護士からの折り返しを待つしかない。
「っは~。緊張した……」
弁護士に連絡することなんてそうそうあるもんじゃない。日本は元々訴訟社会ではないから、一生のうちに裁判を経験する人間はほとんどいない。
(裁判の経験者は1パーセントもいない、って聞いたこともあるしな……)
裁判になるかどうかはわからないが、少なくとも準備をして、吉永隆の妻には備えなければならないだろう。
(佐藤からも……木曜日に同期から聞いたって話、もう少し詳しく聞いておいた方がいいかもな……)
そう考え、心の準備をすることにした。
ギリギリまで先延ばしにするのはよくない。
(こういうのは短期決戦が吉だ。早めに仕掛けて終わらせよう)




