072 - 佐藤宅で2人(7)
「お前、朝それだけしか食わないのか?」
「最近はな……お前は……朝、結構食うんだな」
「そりゃそうだよ。営業は体力勝負だからな」
「オレは会社着いたらほぼ1日動かないからなぁ」
佐藤宅で食べる朝食は実に2年ぶりだったため、佐藤の食事量に汐見はびっくりした。
「前からそんなに食ってたっけ?」
「あぁ、前の彼女、つっても去年のだけど。夜食べない人で、朝ガッツリだったんだよな」
「あ……あぁ、そうだったのか」
佐藤は朝から、ブロッコリー、トマト、茹で卵2個、ハムエッグトースト(8枚切り2枚重ね)、ハチミツバタートースト(6枚切り厚いやつ1枚)、でかいマグカップにはフルーツグラノーラインヨーグルトと波波と注がれた牛乳とオレンジジュースが並べられ、横ではコーヒーメーカーがコポコポ言ってる。
1人分がその量で、佐藤が汐見にも同じ量を給仕しようとしたので
『ちょっと待て! 俺はハムエッグトーストと牛乳だけでいいから!』と断ったばかりだ。
(昔から良く食うな、と思ったけど。太らないのか……? まぁ、オレより10センチもデカければ基礎代謝カロリーも多そうだしな。それに……そうだよな、こいつ、いつも彼女がいて……でも最近はいないとかって……)
佐藤からの彼女情報の開示に、汐見は自分の中で何かに触れたのを感じた。だが、それもすぐに消え去る。
「今日は、午後から刑事さんたちの件があるから、他の予定は午前中に入れたほうがいいだろうな」
「あ、あぁ」
汐見は頭の中で昨日思い描いていた予定表を整理する。
(まずは慰謝料請求の件で相手方弁護士に連絡を……なんの準備もなく連絡したりしたらこっちに不利に働きそうな気がする……連絡する前になんらかの対策……を講じてた方が良さそうだよな……ということは)
昨夜もそうだが、退院する日にも何パターンかのシミュレーションを行った。
その結果出した結論が、請求された弁護士の方に先に連絡を入れるのは良くない気がする、ということだった。相手は弁護士だ。こちらの出方を何通りも読んだ上で、さまざまな手を既に考えていると見た方がいい。
(プログラムコードならなんの問題もないんだけどな……人の行動パターンを読むのは得意じゃない……先に相談できる弁護士に行ってからが……)
そこまで考えての【弁護士 池宮 秋彦】先生の名刺だったのだ。
披露宴で初対面の幼馴染の彼を紹介するとき『こう見えて弁護士なのよ』と小声で言った時の紗妃本人の顔と、彼の表情にちょっとした違和感を感じた。その時の違和感はすぐに消えて無くなったが、今でも思い出すことができる。
(幼馴染……本当にただの幼馴染だったんだろうか……確かオレと同い年くらいだった気が、する……)
沈思黙考してしまっている汐見を眺めていた佐藤がむぐむぐと飲み食いしながら声をかける。
「で。どうするんだ?」
「あ、あぁ……とりあえず、池宮先生に連絡してみる。事情を話して協力してもらった方がいいような気がする」
「そうだな、それがいいと思う」
向こうが弁護士を立てているのならこちらもそのように対応した方がいいだろう。ここで下手に金銭やら労力やらをケチって三千万を満額請求されたらとんでもないことになる。
(独身時代のオレ自身の貯金もあるにはあるが……こんなことで消えるなんて……)
「あの、さ」
「? なんだ?」
考えながらモソモソ食べている汐見と違って、速攻でメイン食材を食べ終わった佐藤がコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎながら話しかける。今度は一緒に残ったハニートーストを食べるつもりだろう。
「俺、実は紗妃ちゃんの話、聞いてたんだよな……」
「え?」
「言いそびれてて……その、木曜日の夜にな、俺の大学の同期から……」
そう言うと、坂田から聞いていた伝えようと、深呼吸をした佐藤が残りの句を告げた。
「『シオミ紗妃』って子が、自分の会社の取締役と不倫しててヤバイことになりそうだ、って……」
「?!」
「……だから、金曜日にお前に会って話そうとしたんだ……」
「!!」
全てのタイミングが絶妙に悪過ぎた。
過ぎたことに何を言っても仕方がないが、この話を聞いたのが1日早ければ。あるいは、内容証明がもう1日遅く到達していれば、もしくは──
(自販機で、泣き出しそうなお前の顔を見た時の……あの違和感を見過ごさなければ……)
あらゆる【タラレバ】が佐藤の中を錯綜し、駆け巡る。
後悔なんて先にすることがないから後から悔やむのだ。
だからこそ、今度はちゃんと言葉にして汐見に伝えなければならない。
(言葉にして伝えなければ、きっと汐見には何も伝わらない……察するなんて、お前に期待する方が無理なんだよな)
内心で苦笑しながらそう確信した佐藤は、思ったことをすぐに伝える努力を怠らないようにしよう、と心に決めたのだ。
「詳しい話は後でする。そいつがさ、お前に『早く別れろ』って伝えてくれ、って言ってたんだ」
「!!」
「まぁ、こうなったら逆にもう離婚も厳しいのかもしれないが……」
佐藤の不確かな知識だと、離婚は夫婦双方の同意がなければ成立しなかったはずだ。
(〈春風〉があの状態では離婚そのものが成立しないのかもしれない……そしたら……)
悲しい結論が出そうになって佐藤は不意に泣きたくなった。
離婚できないままの汐見に片想いをし続けることになるのか。
万に一つでも片想いが解消され、両想いになったところで今度は紗妃と婚姻状態の汐見と──
(今度は……【俺が】既婚者の【汐見と不倫】ってことになる……きっとそんなこと、汐見にはできない……)
膠着状態のまま、一生汐見は紗妃のもののまま佐藤の願いは叶わないのか。
そう考えると苦しくて切なくて泣きそうになる。
「……そう、か……」
「……いい奴なんだ。俺が汐見の話をしてたから覚えてたみたいでさ。それで……」
「あぁ、そうだろうな。お前が言うなら本当にそうなんだろう……」
食卓テーブルの椅子に座ったまま宙を見つめた汐見が悲しそうに笑った。
「ありがとう。佐藤。……その、こんなこと言って気を悪くしたらすまん。ちょっと1人で考え事がしたい。座卓か何かあるか?」
「?」
「……図々しいかもしれないけど、使っていいって言ってたあの部屋で作業したいんだが、テーブルとかって、あるか?」
「あぁ! あるよ! 折りたたみのテーブルと椅子!」
「じゃあ、すまんが貸してくれ」
「了解! ちょっと待ってな」
「いや、オレも手伝うし」
「いいから! 座ってろって!」
そう言うと、佐藤はリビングを出て【あの部屋】に向かう。
セットになった折りたたみのテーブルと椅子をひっぱり出したところで開けっぱなしだった部屋のドアを見ると。そこに汐見が立っていて
「!!!」
「なんか、洒落てるな、それ」
のほほんとした表情で佐藤に笑いかけた。
(っぶね~~~!! 壁! 昨日でロール元に戻しといて正解だった~~!!)
「な、なんだよ! ノックくらいしろよ!」
「あ、だったな。すまん。しかし、この部屋よりあっちの部屋のが大きいのになんで……」
「この部屋の方が俺には使い勝手がいいからだよ。気にすんなって」
(あの部屋の壁よりこっちの部屋の壁面積のがデカいからだよ!)




