070 - 佐藤宅で2人(5)
その名刺に書かれた名前には佐藤も聞き覚えがあった。
(それって、〈春風〉が呟いてた……『あきにいちゃん』と……面談の会話に出た『池宮親子』……)
これらを総合するに、その名前が出来上がるだろうことは部外者である佐藤にも理解できる。
「オレも一度しか会ったことはない。紗妃の知り合いってことで、披露宴で初めて会って、帰り際に挨拶された時に渡されたんだ。何かあれば、って……」
その名刺を見つめながら独り言のように汐見が呟く。
汐見のうろ覚えだが、自分と背格好が似ているものの顔はそれほど似ているとは言い難い風貌だった。
顔の下半分が髭で覆われていて、クマのような容貌だった。ただ、目つきの鋭さには自分と共通するものがあったような気がする。
名刺に太字で書かれた住所は東京だったが、小さく横に「月1回第4金曜日は当弁護士法人リーガルリザルトの◯◯出張所におります」と書かれており、そこは紗妃の地元だった。
汐見は気持ちがざわつくのを抑えられなかった。
(紗妃とその母親と旧来の仲である当人が、祝いの席でわざわざ直接名刺を渡すだろうか? 何らかの事情を知ってた? いや、何かあったのか?)
わざわざ握手する機会を待って、汐見本人に手渡すのが目的だったのか。
時計は夜の8時を過ぎた頃を指している。
「とりあえず……電話してみる」
「……もう営業終了してるぞ、多分……」
「だとしても。とりあえず、だ。とりあえず……」
そう言うと、汐見は急いでスマホを取り出して名刺にある電話番号にかけてみた。が。案の定、繋がらない。
「……そりゃそうだろう。明日、改めてかけ直せよ。……ってか、紗妃ちゃん、弁護士の知り合いがいるのか……」
「あぁ……」
池宮秋彦にも色々な経緯があっただろう。
夫婦であるはずの汐見が知らない、紗妃の過去を知っている男。
だが、紗妃は汐見と結婚し、その弁護士もすでに結婚して妻がいる。そんな二組の夫婦。
(何かが……ズレている気がする……)
汐見が物思いに耽っているのをソファの横で見ていた佐藤が声をかける。
「俺、先に風呂に入ってくる。お前も着替え準備しておけよ。明日、やることいっぱいあるだろ」
「あ、あぁ……」
「……今日はあまり考え込むな。明日は刑事さんたちもお前の家に来るんだから出ないといけないし」
「わかってる」
真摯な目でお互いを見やると、佐藤の方がクシャっと相好を崩した。
「生真面目すぎるのも考えものだよな」
「……なんだよ……」
「いや、お前らしいよな、ってこと」
そう言って、ひらひらと手を振って風呂場に向かった佐藤を見送ると、汐見は頭の中で今日あったこと、昨日あったことを少し整理してみた。だが……
(何か……欠けて、いないか?)
その違和感は、紗妃と一緒にいるようになってからずっと感じていたものだ。
小さな棘となって汐見の心臓あたりをチクチクと刺し続けているが、その正体が何なのか汐見は未だにわからなかった。
風呂から上がると佐藤は極力、汐見の脇腹に視線を集中するように防水処理を施してやった。
(あっぶね~……汐見のこんなのでいちいちドキマギして……俺あと数日大丈夫かよ……また土曜日みたいなことがあったら……俺はもう自分が止められない気がする……!)
「ありがとな」
そう言いながら、風呂場に向かう汐見に佐藤は
「し、汐見!その、湯冷めするとまずいから……その、脱衣所でちゃんと服着てから出てこいよ?」
「あ? あぁ、わかった」
自分の理性の力を過信しないようにしよう、と心に決めた。
(……お前はオレのお母さんか……)
双方がズレた感覚で受け答えしている中、事態が思わぬ方向に転がり始めているのを2人は知らなかった。
 




