005 - 大学の同期との飲み会(2)
俺は、顔面から血の気が引いていく音を聞いた。
「言いたくなかったんだが……佐藤と違ってシオミって姓はこっちでは割と珍しいだろ?」
俺は呆然と、坂田の平均的な顔面偏差値の口元から繰り出される言葉を聞いていた。
「お前が同僚にそういう名前がいて『【Sugar and Salt 】って呼ばれてネタにされた』って言ってたから覚えてたんだ」
ちょっと待ってくれ、いろいろ。
情報過多すぎて脳内で処理が追いついてない。
「だから、結婚して『シオミ紗妃』って名前になってるってことと、今でもその上司と会ってるって情報を聞いて、待てよ。って思ってさ……」
ざわつくホールとは違い、個室の会話は割と響く。
俺の脳内で──真っ暗な家の中、リビングに散らばった食器の破片を集めながら、絶望に打ちひしがれている汐見の姿が見えた。
「お前の仲がいい同僚にそういう名前がいたのを思い出して、まさか。と思って……はじめ聞いた時は、また女子特有の嫉妬がらみのネタかよ、って思ったんだけどさ」
坂田の声は耳に入ってくる。
入ってくるが、入ってきた情報が理解できない。
「その……春風って昔からイソスタやってて有名なんだけど。最近の写真でさ、日本ではその上司しか持ってないって噂の腕時計が写ってるんだ」
そういって坂田は自分のスマホをスイスイと操作して見せてくれた。
そこにはどこかのおしゃれな明るいカフェのガーデンで朗らかに笑いながら、男と共に裏ピースしている春風が写っている。
男の顔には全面スタンプが貼られていて一切わからないが、汐見がしているのを見たことがない明らかに高級そうな腕時計が写っており──
コメントのハッシュタグには【#大好きな夫と】と書かれていた……
投稿日は、4日前────
その頃、汐見所属の開発部は、突如出た大規模システムのバグ対応で全員が1週間死ぬほど詰めていた、と汐見と同じ部署にいる後輩から聞いている。
「……ショック、だよな……ってか、わざわざこんなこと言いたくなかったけどよ……」
俺は、ぐるぐるといろいろな考えを駆け巡らせながら
「……坂田、この情報知ってる人間、本当に少ないのか?」
「あ、ああ。人事の人とその上層部だけだと思う。ただ、春風のイソスタ知ってる女子は他にもいるから早めに手を打った方がいいかと思ったんだ」
それは本当に坂田の本心だろう。
「……この男はどういうヤツなんだ?」
「そう、そこなんだよ! だから急いでお前に連絡取ろうと思ったんだ」
「?」
「お前、このシオミって春風の旦那と仲良いんだろ?」
「ああ」
「なら、早く別れろ、って伝えてほしくてさ」
「なに?」
「この上司、うちの会社の取締役で、現社長の旦那なんだ」
「なっ!?」
「この上司はいわゆるいいとこのボンボンで、現女社長の婿養子でさ。お家同士の結婚て話」
俺は明かされた相手の正体に驚きを隠せなかった。
ぐびっ とビールジョッキを空にした坂田は勢いよく話し始めた。
「4年前に春風との不倫が発覚したみたいなんだけど、この時は社長である奥さんもそこまで相手にしなかったみたいなんだ」
(ありがちな話だな……)
金持ちの男女が好きでもない相手とお家同士での結婚をする。
当然、夫婦共に別のパートナーがいることもよくある話だ。
「ああ、でも今回はガチでヤバい。この上司、旧姓で三浦っつうんだけど、その実家の会社が傾きかけててさ。数ヶ月前にうちの社が資金投入開始して来月一番でかい追加融資をするって話だったんだけど……」
「旦那の不倫が続行してることがバレて、頓挫?」
俺の推察を聞いた坂田がパチンと指を弾いた。
こんなときに変にかっこつけんな。
「そう! 奥さんの社長はさ、鉄の女って呼ばれて米国の企業でGM(※)の仕事もしたことあるバリキャリなんだ。仕事の支障にならないなら、って旦那の浮気を放っておいたらしいんだけど、さすがに今回は……」
「……自社の資金を投入させておきながら同じ女性と一度ならず二度までも裏切って…………ってことか……」
無理もない話だ。当然だろう。
一度目の不倫は許したとしても、同じ女と二度目の不倫だ。
春風紗妃と別れさせたということは、実際には二度目どころじゃないかもしれない。
ヘタをすると、その上司って男は妻である女社長と結婚する前から春風と繋がっていた可能性も……昨年退職した後なら──
(だとすると、汐見との結婚はカモフラージュなんじゃないのか……水面下でずっと逢瀬を重ねていたんじゃないだろうか…… !! そうか! だから『あの時』!)
俺の中の冷酷な【オレ】が呟いていた。
「……鉄の女の逆鱗に触れたんだ。今回ばかりはタダでは済まないだろう、って話でさ。証拠はかなり掴んでるらしいし、凄腕の離婚専門弁護士も雇ってるって噂。慰謝料がとんでもない額になるんじゃないかって話で……」
居酒屋で話すような話ではないが、でもそうでもしなければ旧知の友人の同僚を救うことはできないと思って、坂田は急いで連絡をくれたんだろう。
冷静さを取り戻しつつある俺は、一応確認した。
「なぁ、春風のイソスタのアカウント、教えてくれ。あと、この件は誰にも話すなよ。俺は同僚を助ける」
「わかってるよ。おれだって珍しくお前にできた仲の良い同僚をどうにかしたくて連絡したんだからな」
「ありがたい。感謝する。今日は俺に奢らせてくれ」
「お、ありがとな! でも今回じゃなくて次にしようぜ!」
奢ってくれるとわかった瞬間、今まで悲愴だった表情が一気に明るくなる。そういう現金なところは変わってない、と安心した。
「せっかく奢りなら、休日前にしこたま飲みたいからな!」
「このやろう……」
奢りとわかったらとことん飲む気満々の坂田に一瞬、こいつ、と思ったが、でもそれ以上に俺にとって有意義な情報だったから
(まぁ、これだけの情報料としては安いくらいか……)
了承し、後日【しこたま飲む休日前の約束】をその場でスケジューリングした。
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