065 - 汐見、一時帰宅
会計課に寄って精算を済ませると、久しぶりの下界に少し開放的になった汐見は思わず背伸びをしてしまった。
「った!!」
「おい?!」
「あ~~~っつつつ……」
「急に動くから……!」
「忘れてた……」
「お前な……なんで入院してたのかくらいは覚えとけよ……」
脇腹が痛みと共に自己主張してきた。
(いや、そうだよな。まったくだ……)
脇腹を押さえて前屈みになりながら痛みが去るのを待つようにじっとしてると、心配性な佐藤の声が斜め上から降ってきた。
「傷口、開いてないだろうな?」
「んー……多分大丈夫。あぁ、とにかく退院できてよかった……」
「だな」
佐藤に気遣われながら、タクシーに乗り込み、2人で汐見の家に向かった。
◇◆◇
カチャ、ガチャン!
元々硬かった鍵がさらに硬くなっていたがそれをこじ開けて、5日ぶりに家主が不在だった自宅に入ると。自分の家なのにひんやりとした空気が漂い、無機質な印象を受けた。
ふと、リビングに向かうのに若干怯んでしまう。
嫌な感覚が蘇る。
それを察したのか、勝手知ったる他人の家、と佐藤が先に入っていく。
「お前は座ってろ。んで……冷蔵庫の中、見ていいか?」
「え? あ、ああ」
佐藤が何を言い出すかと思ったら、家に入っての開口一番がそれだった。
紗妃と暮らすようになった汐見は家事一切をやることがなくなっていたから、冷蔵庫に何が入っているのか知らない。
どっこいしょ、と心の中で声をかけながら食卓の椅子を引いて汐見が座る。
冷蔵庫の中を確認していた佐藤が何かの塊を2個くらい取り出してシンクに出す。
「これとこれ、賞味期限切れてるナマものは捨てとくぞ。あと、奥にある調味料関係、みんな古いな。紗妃ちゃん料理してなかったのか?」
「いや? 一応、オレが早く帰ってくる時はちゃんと一緒に夕飯……」
ふと、アノ日のことを思い出した。
(そういや……あの食事、惣菜だったけど……いつもの夕飯と味変わらなか……)
そう思い出した瞬間、思わず吐き気が込み上げてきた。
「う、ぅぅっげ……」
「汐見!? 大丈夫か?!」
汐見の異変にすぐさま気づいた佐藤が駆け寄ってくると、肩を貸してリビングのソファまで運ぶ。汐見は突然込み上げてきた嘔気にぐったりして横になった。
(昼をまだ食べてなくてよかった。胃の中が空だったせいで、何も出なかった……おかげで汚さずに済んだな……)
「助かったよ。リビング汚すと紗妃が怒るから……」
「……汐見」
「佐藤?」
佐藤が、悲壮な顔をしていることに気づいた汐見は、佐藤の表情の意味を理解した。
(そうだ、紗妃は……いない……)
身についた習慣はなかなか抜けない。
紗妃とのピリピリした空気を感じながら過ごしていたこの家は──
(オレが帰ってくる家じゃなかったのかもしれない……最初から。……紗妃との思い出……が詰まった……家……)
思い出とは本来、人間は楽しいことの方が多く記憶に残っているはずだ。だが汐見は紗妃の怒った顔や怒られたことばかり思い出す。
(しかもこんな、病院から戻ってきたばっかりだってのに……)
心配そうに覗き込んでくる佐藤が
「コーヒーでも淹れるか? ブラックだろ?」
「……オレん家のコーヒーメーカー使いにくいぞ」
「大丈夫だよ。一回、紗妃ちゃんに教えてもらってやったことある」
高級嗜好の紗妃が、ダロンギとかいうよくわからないメーカーのソレを買った時、その購入額に驚いたがモノはよかったので汐見は何も言わなかった。ただ、汐見は未だにそのコーヒーメーカーの操作ができない。
「そうか……でも、今はいい。空腹にカフェインは良くないしな……」
「何か作るか?」
「……いや、食べに行こう。その方が気分転換に良さそうだ」
「そうか?」
「ああ」
思い出すまいとしても、無意識に思い出してしまう。
(この家では色々ありすぎたんだ……それも含めて考えないと……オレと紗妃の今後を……)
「心配させたな。とりあえず、荷物持ったらすぐ出よう。……長居したくない……」
「汐見……」
自分の家なのに長居したくない、という気持ちが湧くのが不思議だった。だが、それは今の汐見の正直な気持ちだった。
なんだったら、佐藤の家のゆったりと落ち着いた雰囲気と、常にホテルのような良い香りがして、リビングにあるでかくて座り心地の良いソファに寝そべってくつろぎたかった。
(自分の家より居心地のいい場所が友人の家、って絶対いかんやつだろ……)
外食に行くと決まると、行動を始めた。
佐藤の家に数泊するのに必要なだけの荷物をトランクに詰め込む。
明日、刑事が来る前にデータを取り出しておくための私用ノートPCとUSB、動画が転送された外付けハードディスクもノートPCのカバンにまとめて突っ込んだ。
書斎を出て玄関に向かったが、はっと思い出した汐見が、また一旦書斎に入っていく。
玄関口から様子を見ていた佐藤から声がかかった。
「汐見? 忘れ物か?」
「ああ、ちょっと。すぐ戻る」
そう言って汐見は書斎の机の上の名刺ボックスを捲って1枚の名刺を取り出し、名前を確認した。
やけに立派な菊紋様のマークが箔押しされた名刺を手に取ると、そのままズボンの尻ポケットに突っ込んだ。
(協力してもらおう。オレ1人じゃどうにもならないこともある)
3章:──── 三人称視点<1> ──── 終了
▷次章も三人称視点です
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