206 - そして、2人で……(1)あの場所
佐藤の部屋を確認して満足した汐見は、疲労を隠せなかったようで、佐藤と共にベッドに戻ると数分もしないうちに寝息を立てて寝付いてしまった。
佐藤の方はというと、今日1日の急転直下の出来事に胸いっぱいで。
(これ以上、汐見成分を摂取すると俺はパンクするかもしれないからな……)
思いつつ、汐見との間に遮蔽物が無くなったベッドを見て、顔がにやけてしまうのが抑えられなかった。
◇◇◇
翌朝の土曜日はあいにくの空模様だったが汐見の提案通り、あの場所に行くことになった。
当然のことながら、佐藤の車で佐藤の運転で、だ。
2人してゆっくり起きた後、気恥ずかしい気持ちになりながら遅めの朝食をとり、準備次第出よう、ということになったのだ。
実際に佐藤のアパートを出たのは10時前だった。
佐藤は久しぶりの遠出、どころか晴れて汐見と想いを遂げることができた緊張と興奮で運転中も緩んだ顔が締まらない。
運転している佐藤を見て、汐見が言う。
「オレも免許取るかなぁ」
「? 橋田の会社は電車で行けるだろう?」
「いや……お前にだけ運転させるのが悪い気がしてな」
「!! そ、そんなこと、考えなくていいぞ! 俺はお前を乗せて運転するの苦じゃないから!」
「お前が疲れたら、オレが代わりに運転できるじゃないか」
「そんなこと気にするなって! ……それ、気後するとかそういう話だったりするか?」
「……んー……そうかな……」
対等な関係でありたいと願う汐見の本音でもあった。
佐藤の車はマンションから少し離れた駐車場に駐車しており、1ヶ月に1度、大量の日用雑貨や保存食を郊外まで買い出しに行く時に使われるのが主だった。汐見がまだ独身だった頃は割と頻繁に2人で出かけていたが、この2年はそういうドライブも無くなっていた。
久々の2人っきりのドライブで緊張しているのは佐藤だけではなかった。
汐見は運転席にいる佐藤の嬉しそうな横顔を見ていると自分まで気持ちが暖かくなるのを感じている。
助手席に座る汐見の左手には浜辺が広がる海が見え始めていた。クーラーが必要なくらいには暑いため車は締め切っているが窓を開けたら海風が気持ちよさそうだな、と窓の外に広がる風景を眺めている汐見は思っていた。
信号で車が止まる。すると、太腿においていた汐見の右手に佐藤の手が触れた。
「?」
何事だ? と思って自分の手を見ると、佐藤が赤くなりながら右手でハンドルを握ったまま、左手で汐見の手に触れている。
「そ、その……手、握ってて、いいか?」
「……あぁ」
(そうか。そうだよな……恋人? になって始めてのドライブ……って、これ初デートか……)
自分が昨夜、今までと恋人同士で何が変わるのか、と聞いたその答えなのだと、ようやく佐藤の行動の意味と今の状況を理解して、汐見まで赤面が伝染する。
汐見の答えにニコニコしている佐藤の丸見えの左耳は真っ赤だ。
そのまま佐藤の手は汐見の手の甲を辿って自分の指を互い違いに組んできゅっと握った。
「……は、恥ずかしい、な」
ニヤけている佐藤の表情は恥ずかしいというより「嬉しい」と顔に書いてあったが、汐見もあえてそこには突っ込まなかった。
目的のビーチに到着し、2人とも車中でスニーカーからサンダルに履き替えてビーチの駐車場に降り立った。と同時に強い海風が吹き付けて来る。
曇ってはいるものの時折晴れ間が見えるため、海は割といい感じに青く見える。
さすがに土曜日のお昼前とあってか、海水浴客もかなり多く、砂浜まで出ると海水具を持ち歩く何組かの親子とすれ違った。それを目で追いかける汐見を横目で見ながら佐藤は胃がぎゅっと縮む感覚を自覚する。
(……お前はまだ……未練があるんだな……)
そのことを気にしていないと言えば嘘になる。自分と汐見の間に子供が望めないことを考えると、汐見には申し訳ないことをしているんじゃないかと佐藤は感じていた。
だが、その思いは汐見の方がずっと深く、強い。
自分は子供を持つことすらできないことがわかっているのに、佐藤まで……と考えると暗い気分になりかける。
汐見が頭を振ってその考えを追い出していると佐藤が
「あの場所まで、行くか?」
「……そうだな……穴場だったはずだが、人がいたらちょっと……」
2人が向かおうとしている『あの場所』とは、あの写真を撮った場所だ。
あの時は夏に向かう直前だったため、今日ほど他の人間はいなかった。
(オレと紗妃と佐藤と……)
あの時──
自分に長い間片想いしていたくせに、笑顔で紗妃へのアドバイスをくれた佐藤のことを思うと苦しくなる。
(お前も……オレのそばにいた……)
佐藤の気持ちにも、自分の気持ちにも、もう蓋をするのはやめようと汐見は決意していた。
(紗妃もやり直す、と言っていた。オレも……)
もう逃げない。そう誓った。
佐藤と共に歩むために──あの時に間違った何かを正そうと、汐見は思っていた。
汐見と佐藤は、その海岸でも少し岩場になっている場所に辿り着いた。
その隠れた穴場になっている場所は、広い浜辺を区切るような岩場の向こう側にあって人いきれの場所からは四角になっている。
潮が満ちていると水深もあるため歩いて渡ることができないのだが、ちょうど干潮の時間だったため、そこまで行くことができた。
「足元、気をつけろよ」
「おう」
先陣を切って岩場を越えた佐藤がさりげなく汐見の手を取って、岩場を越えようとする汐見をサポートする。
(こいつ……こういうところだよな……)
臆面もなく、当たり前のように汐見を支えようとするその行動を今更ながらに実感する。
(そういえば、あの時も、あの時も……)
思い出すと、佐藤のそういう行動ばかり芋づる式に思いだしていく。
(ホント、なんなんだよ、お前……)
汐見が思い出す楽しいシーンにはいつも佐藤がいる。そして、その中に……紗妃の姿は見えないのだ。
そのことに思い至ると複雑になりながら、ますます赤面していく自分が恥ずかしくなった。
(どれだけ無自覚だったんだ、オレは……)
居た堪れないが、その思考が佐藤に読み取れないことは幸いだった。
岩場に囲まれた海岸に出ると、あの時と同じ風景が広がっている。
「ここだ……」
「あぁ……」
2年前にここにきた時は、汐見が珍しくはしゃぎながら波打ち際で波と戯れていた。あの時、一緒にはしゃいでいたのは紗妃だった。
遠くから見つめていた佐藤を汐見は思い出していた。
「紗妃と波打ち際にいた時、あの写真、撮ったのか」
「……うん」
おそらく、佐藤がその数ヶ月後に夫婦になる2人を見ていただろう位置に立つ。
「この辺、か?」
「……そうだ」
紗妃と2人ではしゃいだ後、佐藤のいる場所まで戻り、ピクニック気分で3人分のランチパックを広げて食べた。半分はそこに来る通りすがりのスーパーで買ったもので、きちんとした容器に入っている半分は佐藤の手作りだったのを思い出す。
(クラブハウスサンドだったよな……相変わらず手が込んでるな、と思いながら食って……買ったものより何倍もうまかった……)
回想に浸りながら、汐見はふと、思いだした。
「紗妃が……お前と約束した、って言ってた……あれ、なんだったんだ?」
「!!」
唐突に質問されて返答に詰まっていると
「オレに言いにくかったら別に……」
「! ……そうじゃない……そうじゃないんだ……ただ」
佐藤はあの日のことを思い出した。
何度も何度も思い出す。
後悔の記憶。
(あの時、俺がお前と……〈春風〉の背中を押さなければ……)
きっともっと早く、汐見と紗妃は結婚などせずに、2人は別れていたのだろうと思う。
だが、紗妃の言葉が──佐藤以上に汐見を救うのだと思ったのだ。
(俺が……お前を手放したんだ……)
譲らなければよかったと何度も後悔した。
だから今、汐見からされた質問は、いずれ聞かれるだろうとも思っていた────
「……〈春風〉は……」




