201 - 佐藤宅で(2)
夕方頃降っていた雨のせいで、蒸し暑い熱帯夜の空気がまとわりつく屋外をコンビニまで急いで往復したため、佐藤はかなり汗をかいていた。
(店では空調効いてたからな……)
汐見を先に部屋に向かわせた佐藤は今、ロビーを抜けて自分の部屋の玄関に向かっている。
(今、俺の家に、汐見がいる……それも……そういう、意味で……)
夢に見ていたことが現実になっていくのを見ていて、まだ夢の中なんじゃないかと思って落ち着かない。
店にいた時は、料理が出揃って、もうこれ以上料理が来ないのをわかっていて、佐藤は汐見を抱きしめた。
抱きしめたいと思った瞬間、気づいたら抱きしめていた。
(……あったかくって……いい匂いした……)
30過ぎの、しかもやがてアラフォーになるおじさんがいい匂いがするわけがないの。だが、実際、佐藤にとって汐見はいい匂いのする存在だった。
その匂いは、佐藤が汐見に恋煩いしているが故のフィルターがかかっているのは間違いない。
(あの体、を……)
しっかりと抱きしめて。
初めて見た泣き顔も泣き声も、泣き腫らした顔も全部が
(愛しい……)
なにもかもひっくるめて、汐見の存在全てをその体ごと受け止めたいと思っている。
それを伝えたい。
だから、玄関のチャイムを鳴らして、自分の家のインターホンから汐見が「開いてる」と返事をした時は心底震えた。
(ほ、本当に、汐見がいるんだよな……夢じゃなくて……しかも、さっき『わかってるよ』って……!)
コンビニまでの往復で何度反芻したかわからないその汐見の言葉を噛み締めながら玄関に入ると、汐見はリビングの定位置のソファに座っていた。
「勝手に冷蔵庫開けて飲んでるが、よかったか?」
「あ、ああ! だ、大丈夫だ! 何かあった?」
「ビールくらいしかなかったから、それだけ」
「な、何か作るか?」
「……いや、いい」
「……」
それほど遠くないコンビニとの往復で結構息切れしている佐藤が
「そ、その、俺、ちょっとシャワー浴びてきていいか?」
「?」
「っあ! っそ、んなっ、変な、意味じゃなくって!」
「? 変な?」
「あ、汗流したい、っては、話っでっ!」
「……ああ、……いや、別に、お前の家なんだから、オレに断る必要は……」
「そっ、そうだっ、なっ! ちょ、っと、入ってくる!」
佐藤は寝室に入るとバタバタと自分の着替えを引っ掴んで、風呂場に駆け込んだ。その慌てぶりを眺めながら汐見は内心、苦笑していた。
(焦りすぎだろ……ってか……そうか……そう、なるかぁ……)
シャワーに入るのに断ったのは、佐藤なりの気遣いだったんだろう、ということにようやく思い至った汐見は佐藤の言動の怪しさに破顔してしまう。
(あぁ……あの感じだと、やっぱり……オレが、下……だろう、なぁ……)
改めて、自分の股間を眺めやる。
佐藤に店で抱きしめられた時、びっくりすると同時に、佐藤の暖かさに触れてホッとした。
二度目だったから、というのもあるのかもしれない。
それでも──
紗妃から渡された引導で、汐見はぼんやりした感覚の中、市役所まで離婚届を提出し、あまりにもあっさり離婚できた事実に放心していた。
呆気なさすぎる自分と紗妃との夫婦関係の終止符に、涙さえ出なかった。
だから、佐藤に説明しながら自分の目元から流れて出ていく液体を、自分の中にいる誰かから冴え冴えとした言葉をかけられながら見ているだけだった。
一度目は……暗く寒い場所に1人でいる感覚だったとき、佐藤に後ろから抱きしめられた。
二度目の今日は……同じように孤独を感じて闇に堕ちていく感覚を──真正面から抱き止められた。
直接、心に降りてくる言葉をかけられて。
どれだけ佐藤が自分を温かく包み込んでくれるのか自覚してしまった。
(どれだけ、お前がオレを……欲しがってるのか、も…………それに、オレがどれだけ応えられるのか……)
佐藤の気持ちが本物なら──
(オレの気持ちも、本物なら、きっと……)
互いの想いが重なるのならきっと、自分たちが求め合って、体温を重ね合って。
(やっぱり、違う……なら、その時に答えを出せばいい)
そう素直に思えた。だから
「上がった」
考え事をしていて周囲の音が聞こえなくなっていたところに、佐藤の声が頭上から降ってきて
「! は、早かったな」
「あ、ああ……っと、し……汐見は? どう……する?」
汐見に風呂に入るかどうか質問すると
「オレも、もらうわ。……って着替え……」
「お、俺のでよければ、貸す!」
「……じゃあ、甘えとく」
「わ、わかった! ちょっと待って!」
髪も乾かさずにまた寝室に行って戻ってくると、佐藤が着ている薄いカーキ色のと若干色違いの灰色のスウェットを持って出てきた。
「そ、その……下着は、ゆるい、かもしれない、けど……」
「……まぁ、気にしないから、じゃあ、借りるな」
「う、うん!!」
(っあー、こいつのこの顔見たら、なぁ……)
喜色満面の佐藤の顔を見てしまうと、何も言えなくなる。
今の佐藤が自分に何を期待しているのか汐見には手にとるようにわかる。
そしてそれに応えてやりたいと、素直に思っている自分がいる。
(男同士のアレ、の前……って……まぁ、風呂に入りながらでも大丈夫か……)
佐藤に持たされた着替えとスマホを持って、今度は汐見が風呂場に向かった。




