197 - 佐藤と汐見(10)幸せの形(Side:汐見)
──── Chapter 12 ー 汐見視点(5) ────
佐藤が、オレを見つめたまま、何かを考えている。
そう言うと、掘り座卓から立ち上がって移動し
「……その……気持ち悪いと思ったら言ってくれ」
「?」
そのまま空いていたオレの右隣に座った。
「なっ!? さ、佐藤?!」
それも、接触するくらい、近くに。
「近すぎて嫌だったら……言ってくれ。でも……そうじゃないなら……その……触れても、いいか?」
「?」
オレが何のことか分からずに返答を迷っていると。
佐藤が、テーブルの上に出ていたオレの右手に自分の左手を下から差し入れ、互い違いに指を差し込んでキュッと握った。
「!!」
「……いや、か?」
「……」
一瞬、声にならなかったオレは、右隣の佐藤の視線に促され、首を横に振った。
「よかった……」
ほぅっ、と聞こえるほど大きな安堵の声を出した佐藤が──恋人繋ぎにした──オレの右手を軽く握りしめる。
その手を見て幸せそうに微笑みながら。
真横に来た佐藤は、オレに少し体を傾けて何かを考えているようだった。
自分の気持ちを自覚したからか、至近距離で見る佐藤の斜め45度の顔面は何ルクスあるんだと思うくらい光って見えた。
(佐藤、が……近い……)
自分の体温が急激に上昇していく感覚を感じたのは気のせいじゃなかった。滅多に顔が熱くなることがないオレでも、自分の顔が赤くなっていることを自覚している。
そして、佐藤は静かに話し始めた。
「お前が思う、俺の幸せ? って何? 俺が結婚して、子供を作って……って、それで?」
その声は落ち着いて小さくて、対面だと聞き取りづらかったかもしれない。だから隣に来たのか、とオレは納得して
「……そ、うだ……子供、を……」
「……それが、お前の思う【幸せ】か?」
佐藤の質問に答える。
「そう……だろう? 普通は、そう、だ……」
ばあちゃんに言われたことを思い出す。
『結婚して、子供を作って……そうだねぇ、1人でもひ孫の顔を見てから死にたいねぇ』
(ばあちゃん……ごめん……オレ、子供ができる体じゃなかったよ……)
検査結果を受け取った時に感じた罪悪感を、もう一度思い出す。オレはまだあの衝撃を引きずっていた。
これまでにないくらい、佐藤の身体がオレに近い。体温まで感じるほど。
それだけでも勘弁して欲しいのに、佐藤は徐々に、オレに体全体を傾けてきて。そして、
「……なぁ、汐見。お前が何に囚われてるか俺はわからない。だけど、普通って、なんだ?」
「?」
握ってる手を再度、キュッと握られた。
「普通って常識って意味か?」
「……」
「……男の俺が、男のお前を好き、それが常識じゃないって言いたいのか?」
「……そう、だろう……」
答えにくいことをオレに答えさせようとする、佐藤の意図を感じる。
「じゃあ、お前が俺を……俺と同じように好きって思うのも普通じゃないってことか?」
「……そ、うだ……」
肩が触れるほど近い佐藤の、熱のこもったその目に射抜かれて、オレはしどろもどろになる。
(……近い、し……苦、しい……)
「……俺は……男を好きになったのは、汐見が初めてだけど……」
「!」
「普通とか普通じゃないとか、関係ないと思ってる……」
佐藤のその顔には、穏やかな微笑みが浮かんで
「誰が誰を好きになるかなんて……自分が誰を好きになるのかすら予想できないのに、普通ってどうやって決めるんだ?」
脳内に、若き日の自分の、【内なる声】が木霊した。
(好きになった相手が異性だろうと同性だろうとなんの問題が、どこに問題があるって言うんだ!)
(同じ人間同士で好きになることに、愛し合いたいと思うことのどこに問題があるって言うんだ!)
(誰かを好きだと思う気持ちや感情を、例え実の親であろうと、自分以外の何者にも否定する権利はないのに!)
「男だったら女を、女だったら男を、好きにならないといけないって……それ、破ったら死ぬってルールか?」
「ルール……じゃなくて、……一般的、な……常識、として……」
「常識……お前の、常識か?」
「!!」
『あんたの常識は、あんた個人の偏見だ! 自分の偏見を【常識】だなんて堂々と言えるあんたの方がおかしい!』
(……あの日、叫んだのは……オレ、だった……)
「俺は……汐見。俺も、悩んだよ……俺が本当に、お前のことを……恋愛対象として、好きなのか……」
「!!」
佐藤は、正面の壁を見つめながら、オレに言い含めるように
「悩んで、悩んで……何度もその考えを、頭から追いだそうとして……」
語る。そして、
「でも、ダメだった」
「!」
「結局……お前だけだって、思い知るだけだった」
(オレだけ、って……!)
再びオレに視線を戻すと、誰も拒否できないあの顔で佐藤が笑った。
「……オレは……お前に、そこまで思われる人間じゃない……オレに、そんな価値なんかない……」
小さく、呟くように言ったオレは、握られた右手が汗ばむのを感じて離そうと動いて。
それに気づいた佐藤に、ぎゅうぅ、と握り返された。
「!」
視線を合わせてくる佐藤は、無言でオレに訴えていた。 (俺を見ろ) と。
「……人ってさ、孤独を感じる時と……一番、醜態を晒してる時……寄り添ってくれる人に……惹かれる、らしい」
「……」
何を言い出したのかわからず、オレが黙って聞いていると
「……汐見は……俺がそういう時、いつも側にいた」
「?」
「最初の忘年会、と……1年前の東北。覚えてる、だろう?」
「!!」
出会った当初、佐藤の孤独に寄り添った。
1年前、危機に瀕した佐藤の醜態を処理して、羞恥に震える佐藤を笑い飛ばした。
それが……異常なくらいモテる佐藤が、強面で人を安易に寄せ付けないオレを恋い慕う、理由────
「『お前の幸せ』は、家族を作る事、かもしれない。……けど、『俺の幸せ』は違う」
佐藤は、静かに、自分にも言い聞かせるようにオレに伝えようとしていた。
「俺の夢は……俺の……1番の幸せは……お前と一緒にいること、だよ」
「!!」
佐藤のその顔には笑みだけじゃない決意が、漲っていた。
「『俺の幸せ』は俺が決める。お前じゃない」
「!!」
その言葉は、オレに対する非難ではなく……オレの中の、凝り固まった何かを突き崩そうとしていた。
「……『お前の幸せ』もお前が決めるんだ。決めていいんだ、汐見。……『お前の幸せ』は、お前のものだろう?」
それは、最近木霊するあの言葉。
『あんたの人生だってあんたのものだろう?』
佐藤の言葉が、その意味を包み込んで、握られた手から伝わってくる。
その気持ちが……オレの心に、降りてくる。
オレの顔を見ながら、言ってくれる。伝えてくれる。佐藤は────
(言葉で──視線で──熱量、で────)
「……俺の将来も、〈春風〉への罪悪感も……全部、置いたとして……お前は、どうしたいんだ?」
(オレは……佐藤、が……)
(サトウが、スき)
(サトウノジンセイヲクルワセルノカ?)
(違う、ちがう……だが、佐藤は……)
佐藤は、オレに伝えようとしている。
オレが、目を背けようとしていることも全部。丸ごと。呑み込んで。
「自己犠牲なんて……お前らしいよ。けど……俺は……」
握っている手から、オレに──佐藤から、何かが流し込まれている。
(オレは……)
(オマエハ、バツヲウケルベキダ)
(シオミ、チガうよ、ちゃんと、ココロのコエを! キいて!)
「『お前の幸せ』と『俺の幸せ』が重なるなら。俺は、それを選びたい」
「!!」
オレの、心に触れようとしている、佐藤のその声に────
(オレは……)
「同性愛、とか……そんなの、本当にどうでも良いんだ。とにかく…………」
佐藤の声と視線に、火傷しそうなほどの熱量を感じる。
「子供なんかいらない。俺が……一緒にいたいと思うのは、お前だけだから」
「!!」
脳裏にまた、別の声が響く。
『結婚して子供を持つことだけが人生でもない』
新たに頬を伝うオレの涙を見て、佐藤は微かに笑いながら、言い募る。
「『言葉を尽くせよ』って、お前、こないだ言ったよな」
(……言った……あれは……お前が、ずっと片想いしてる人がいるって……オレが『知らない人』だって……なのに、オレの……)
「だから俺はお前にそうする。お前に言葉を尽くして言ってやる」
すう、と呼吸を整えた佐藤が完全に体をオレの方に向けて、熱量を持ってオレに訴えてくる。
オレの右手を握ったまま持ち上げた佐藤は、両手で、愛おしそうに包み込み────
「お前といたい。汐見。ずっと、ずっと…………死ぬまで」
(あぁ……佐藤、本当に、お前……)
その言葉を、オレは半ば予想していた。
「……なんだよ、それ……」
一瞬、佐藤が黙った。
半泣き、半笑いになっているだろうオレの顔を、じっと見つめて。
ジワり とまた目頭が熱くなるのを感じて、鼻を啜る。
(お前は……こんな、オレに……)
(サトウヲ、ヒキズリコムノカ)
(チガう! サトウもシオミも、オナじ!)
佐藤に視線を固定したまま動くことができなくなったオレに、渡したハンカチとは別のハンカチをどこからか取り出した佐藤が、オレの涙を拭ってくれた。
「お前の残りの人生……お前のそばにいる権利を、俺にくれ」
「はは…………プロポーズ、かよ……」
「そうだよ、汐見」
これ以上ないくらい眩しい笑顔で、佐藤はオレに笑いかけた。
「1人で生きて行こうとするお前の隣に立っていたい。何かある時にこそ、お前を支えたい。そして……俺に何かあった時は、お前が俺を支えて欲しい」
頬を濡らすほど滂沱しているのはオレだ。
だが、佐藤の目にもうっすらと───
「お前に全身で寄り掛かってくる〈春風〉を支えていたのに、お前は孤独だった……お前自身は〈春風〉に支えられたりしていなかったはずなのに……お前は自分の荷物だけで手一杯だったはずなのに……」
佐藤の言葉の影に、追随する言葉の破片がオレの脳内で反響する。
『たとえ奥さんだろうと……夫婦だろうと家族だろうと……自分以外の荷物を勝手に背負っちゃいけないと、俺は思うけどね』
(オレは……紗妃を、救いたくて…………また、救えなかった……)
(チガうよ、シオミ。サキは、ジブンから……)
「俺は寄り掛からない。その代わり、何かあればお互いに助け合って、支え合いたい。そうやってお前の隣で、笑いながら……生きていきたい」
「長い……プロポーズだな……」
「伝わった、だろう?」
嬉しそうに、照れ臭そうに目元を紅くして笑う佐藤の表情に嘘偽りは欠片も見当たらなくて────
「……さとぅ……お、お前……う……ぅゔゔぅぅーーーっ……」
オレは……今いる場所も考えられず、とうとう……声を上げて泣いた────




