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191 - 佐藤と汐見(4)ー 紗妃 - 2 -(Side:汐見)

   ──── Chapter 12 ー 汐見視点(2) ────


「……私の名前と……証人には……秋彦兄さんに……今さっき、書いて……もらった、の」

「!!!」

「……秋彦兄さんに……取りに、行ってもらって……」

「っそんな……!」


 ぼんやりした紗妃の視線はオレを見ているが、焦点はオレを透過していた。焦点の合わない紗妃の顔を覗き込むと、ほんの少しだけ目に理性を宿したみたいだった。


「……ちょっと……気を抜くと、ぼんやりしてしまって……でも、大丈夫……」


 その目元は泣いた後のようにうっすらと赤い。だがそれ以外の顔色は死人のように白く感じられた。まるで、蝋人形のように……


「秋兄さんから……聞いたわ……慰謝料の、件……」

「っ! あ、ああ! だ、大丈夫だぞ、色々なんとかなる!」


 紗妃が、ぼんやりとオレを見て、微かに口元だけで笑う。いつもの覇気も何もない、抜け殻のように感じられた。


「ご、めん、ね……私が、やったこと、なのに……」

「紗妃……」


 紗妃のうつろな瞳の奥に、理性の光が見える。だがそれは、か細くて今にも消えそうだ。


「……秋、兄さんに、ね……私が、ちゃんと……正常、じゃないと……あなた、のこと、を、覚えて、ないと……」


 切れ端のような断片で紗妃は言葉をつづる。まるで、言葉を覚えたての子供のように────


「……書いても、意、ミないから……って言われ、たから……頑張った、の……」

「? な、なに、を……」

「……あ、の子たち、が……出て、こないように……」

「!!」

「……タ、ぶん……また……」

「紗妃!」


 自分の名前で呼ばれたことで、ようやく少しだけ目の奥の光が強くなったように感じた。

 ずい、とその、緑色っぽい紙と封筒を出して


「これ……あなたの名前、を記入したら、役所に。持って行ってほしい、の」

「で、でも、これは……!」


 少しずつだが、ゆっくりと、紗妃の頬と視線に熱が灯りつつあるのをオレは確信した。

 意識が戻り始めている、というのだろうか。

 ようやく意思を持った眼差しをした紗妃が、初めてオレの脇腹を見て、そして、指差した。


「……痛かった、よね……」

「!!」


 その目と声には確かな知性が宿っていた。


「ごめん、なさい。……あの子が……あなたを…………私、上から見ていたわ……」


 ゆっくりと、紗妃の大きな瞳から綺麗な大粒の涙がポトリとこぼれた。


「でも……止められ、なかった……」


 それは、今、目の前にいる、オレが知っているはずの『紗妃』の懺悔ざんげだった。

 震える声で紗妃がオレを刺した箇所を凝視して


「……ほんと、に……ごめんなさ……」


 我知らず、紗妃を抱きしめていた。


「紗妃っ! お、オレはっ!」


 紗妃は、抱きしめるオレの体を押し戻すようにオレの胸に手をついて体を離すと


「……生きていてくれて……本当に……良かった……」


 顔を上げてオレと視線を合わせ、しゃくり上げながら、泣きながら、あの綺麗な顔で微笑んだ。


「紗妃! こんな傷、どうってことない! ちゃんと治る! っだから!」

「……ええ、でも」

「?」


 落ち着いた紗妃の声のトーンは、いつもよりも低く、静かで


「私とあなたの関係は、壊れていたわ。……もう……1年も前に……」

「!!」

「……いえ、違う……」

「紗妃?!」


 その表情は、今までに見たこともないほど大人びていた。

 それは、ついさっきまで見ていたオレが知る紗妃でもなく、子供の紗妃でも、そして暴れ出す乱暴な紗妃でもなく───


「私たち、()()()()()ね……」

「!?」

「……知ってたの……私……()()()()……」


 紗妃が、強い理性と知性の光を取り戻した視線で、オレを見た。


「知らないふりをした、の……」


 紗妃は、悲しそうな表情で、憐れむような視線でオレを見返した。


「佐藤さんの視線の意味も……あなたの、私を見る、視線にも……」

「?!」

「あなたは、きっと……」


 オレの顔面を通過して遠くを見ている紗妃には、何が見えたんだろう────


「……私じゃ、なかったの………さびしかった…………私……」


 オレの顔を見直して、紗妃は悲しそうに笑い、だが意を決したように告げた。


「世界で……()()()()()()に、()()()()()()()…………」

「!!!」


 大粒の……ダイヤのようにきらめく涙が、また、紗妃の目からポトリとこぼれ落ちる……


(世界で、一、番…………)


 呆然とその告白を聞いていたオレは、泣いている姿さえ美しい妻を……絵画のようなその美しさを、ただ眺めていた───


(サキが、セカイで、イチバン、スき……は、シオミじゃない……)


 その紗妃の言葉が、誰のことを指すのかオレにはわかった。……もう、わかっていた。その言葉にオレは……静かに、傷ついていた。


(いまさら……)


「……タイミング、って……大事、ね…………私の……上京が……決まった頃にはもう……」

「……」

「……ちゃんと約束、してなかった、から…………ちゃんと、伝えておけば、よかった……」


 かすれた声で言い募る紗妃は目を閉じて。あふこぼれる涙が、紗妃の頬を濡らしていく。


「……紗妃……」


 その想い人は、今外に出ている誰かのことだろう。

 紗妃が小学生で出会った時、彼は高校生で、7歳の年の差があった。

 彼は紗妃に恋愛感情を抱いたことはなく……それが逆に、紗妃にとっては、きっと……


(安心できる……初めての異性、だったんだ…………)


 紗妃と紗妃の母の環境は劣悪れつあくすぎて……彼女たち母娘は醜悪しゅうあくな性質を持つ人間にむしばまれすぎていたから。


「私ね……高校まで、付き合っても……そういう関係になった人、いなかった、の……」

「……!」


 泣き笑いの表情すら眩しいのに、目を開けた顔には悲哀の感情が満ち満ちていた。


「ずっと片想いしてる人がいる、って言ってた、の……最初はそれでもいい、ってみんな言ってくれた、けど……最後は、諦めて……」


 涙は何かを洗い流すのかもしれない。紗妃の顔からは、目に見えないけがれががれていくかのように……


「彼が上京して……会えない間に……()()()()()()()()()()()()が……いて……私は……何、も…………」


 他人事のように言っていた紗妃の声に涙に嗚咽おえつが交じり始め。

 紗妃はベッドの上を這ってタオルを手に取り、そのタオルごと両手で顔をおおった。


「うぅ……うぅぅ~~~~……」


(サキハ、オマエジャナイ、オトコヲオモッテ、ナク)

(サキは、シオミとケッコンした、のに……)

(オレの、妻は……)






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◆人物紹介リンク(1)

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君知るや〜 最強のΩと出会ったβの因果律 〜



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