189 - 佐藤と汐見(2)罪と罰
──── Chapter 12 ー 三人称視点(2) ────
驚愕の表情で汐見を見つめている佐藤の表情に汐見は苦笑いで返す。
その表情だけでは欲しい情報が砂粒ほどしかわからない。
「ここで話すか?」
「!!」
まだ会社のビルから出て遊歩道を歩き始めたばかりだ。帰宅に向かう人が多く行き交う往来で、今この近くに知り合いがいる可能性だってある。
「わ、わかった! ちょっと、待って」
そう言うと、佐藤は急いでスマホを取り出すと、どこかに電話を掛けた。
「あ、すみません! 今すぐなんですが、その、予約とかって…………あ、はい。2名です。はい、10分くらいで着きます。はい……はい。あ、佐藤で。はい。お願いします」
ぼーっと佐藤の電話のやりとりを眺めていた汐見に、少しが赤味が薄らいできた顔で佐藤が微笑み返した。
「い、行こう。その、最近見つけた個人のお店なんだけど穴場でさ。個室があるから……そ、それで、いいよな?」
汐見の表情を探るように様子を窺ってる佐藤の表情を見て、汐見は苦笑する。
「すまん。じゃあ、そうしよう」
「っあ、あぁ……」
嬉しそうに笑う佐藤に釣られて汐見も微かに笑った。
(なんか……今日の汐見……よく笑ってる……よな? 俺の気のせいじゃない、よな?)
無表情と言われ、強面と言われる希少な汐見の笑顔の遭遇率が高いのは絶対に自分だ、という気持ちが湧いてきて、じわじわと暖かい何かが佐藤の胸の裡に広がっていく。
先導する佐藤に従って汐見はいつものノートPCが入ってるカバンと、さっき佐藤からもらった誕生日プレゼントが入っているキレイめな細長い紙袋を持って斜め後ろを歩く。
佐藤は汐見より一回り小さなカバンを持って、夕暮れのせいだけじゃない赤い耳を後ろから汐見に見られながら、2人でオフィス街を歩いて抜けて行った。
到着したその店は、少し年季が入っているこじんまりした店構えで、立て看板だけがやけに新しい。
中は純和風という感じだが店の奥にいくつかの個室があり、2人はそこに通された。個室の部屋はギリギリ6人が座れるような広さで、部屋のど真ん中を占領している1畳ほどの掘り座卓に、佐藤と汐見は対面して座った。
「も、元々、ここは個人の家だったらしくてさ。改造してこんな造りに……その、こういう所で……よかったよな?」
「? こういうところ以外に候補があったのか?」
「い、いや、そうじゃなくて……その……こ、個室で良かったのかなぁ……と……」
色白の顔を真っ赤にして言い募る佐藤の表情で、汐見には佐藤が何を考えているのかがわかってしまった。
(あぁ……あんなことがあって、2人っきりで大丈夫か、ってことか……)
「なんだよ、今更」
「!」
小さな笑いを含んだ汐見の声で少し安心した佐藤が
「え、っと……その、ちゅ、注文してから、な!」
「ああ。オレ、生で」
「お、俺も!」
ひとしきり食事やら飲み物を注文した後。2人の間に、沈黙が流れ────
「これ、開けてもいいか?」
「?」
「オレの誕生日プレゼント、なんだろ?」
「ああ! もちろん!!」
言って、汐見がその紙袋から細長い箱を取り出し、開けてみると……
「これ!!」
「うん……欲しがってたろ。それ」
汐見が目を輝かせて、物と佐藤の顔を見比べる。
久しぶりの喜色満面の表情を浮かべた汐見に、佐藤は蕩けそうな笑顔を見せた。
「名入れキャンペーン中って言ってたから、名前も入ってる」
「マジか!!」
それは──汐見が気になると言っていた文具専門店で散々逡巡して諦めた、ロイヤルブルーの高級万年筆だった。
「……いいのか? これ、相当高かった……」
「遠慮するなって。お前に似合うな、と思ったし、俺も……お前が言ってた『デジタルばかり扱ってると、アナログのものってなんか安心するよな』って感覚、わかるから」
佐藤が照れ臭そうに、だが、嬉しそうな顔をして汐見に笑いかける。
それを見た汐見は胸の中で何かが絞られていく。
「……オレ、お前に何も返せないと思うんだが……」
「えっ?」
「……っあー……」
ぐしゃぐしゃっ とテーブルに肘をついままの右手で汐見は自分の前髪をかき回すと、佐藤に視線を合わせて、言った。
「オレ、離婚した」
「!! っそ、それ、って!?」
「あと……会社、辞める」
「え? えぇええぇっ?!」
佐藤のその驚きように汐見はどう反応したらいいのか少し戸惑う。佐藤は目を白黒させながら汐見の顔面を凝視して
「お、お前……そ、……」
「辞める、ってのはちょっと語弊があるな。だが……まぁ似たようなもんだ」
二の句を告げられずにいる佐藤を見ながら、汐見はどこから話せば良いのか考えていた。だが、正確に全部伝えようと思っていた。
「お前のLIME、ずっと無視してて、すまん」
「汐見!」
「通知が来てるのは知ってた……だが……あの時、お前に返信すると何言い出すか自分でもわからなかった……」
「……汐見……」
佐藤のLIMEを見てしまうと、佐藤に労られたいと感じてしまう自分を汐見は自覚していた。
LIMEを開いて既読になり、佐藤から「大丈夫か?」と言われて慰められることを、汐見は自分自身に禁じた。
(……お前を……解放、しないと……佐藤がオレに……オレが、佐藤を絡め取ることで……佐藤、が……)
自分はもういい。
もう、1人で生きていく、と覚悟を決めたから。
だが、佐藤は違う。
佐藤にはまだ、引き返せる【道】がある。
(オレも、ようやく……引き返した……だから……)
自分と同じ道に引き摺り込むことはできないと悟ってしまった。
(カトウのトキとオナじ? ニげる?)
(違う。これは……佐藤にとって、オレのこの選択は……)
(ソウダ。オマエハ、サトウヲ、セオエナイ)
佐藤を選び、佐藤と生きる道を選んだ先に、何も残せないのなら。
(オレが……お前の人生を狂わせるわけにはいかないんだ……)
汐見は佐藤には分からないような微妙な表情をした。
「全部……片付いてから、お前には返信しようと思って……」
口元を引き結んで佐藤に向き合う。
結局、いくつかの懸念事項は残ってしまった。
だが、汐見なりに精一杯、できる限りのことはしたと思っている。
(多分、現時点で、これ以上は無理だろう……)
紗妃の不倫を知って慰謝料を請求され、その紗妃に刺されて、紗妃まで入院して。
怪我とは別の理由で紗妃は病院に入院することになり、慰謝料の件では別の協力者も得て解決した。できた。
(紗妃と……結婚していなければ、実現できただろうことも、今……実現しようとしている……)
残っているただ一つの──そして最大の懸念事項が────
今、この目の前にいる、7年来の親友との関係性だ。
変えようと、変えたいと望んでいる親友に対して、変容している自分の気持ちにも気づきながら、でも。
(お前の……告白、を……)
自分が応えることで、佐藤がどうなるのか、もうわかってしまった。
(こいつは、きっと……)
自分に対する接し方が、他の人間と違うことには薄々感づいていた。否、気づかないふりをしていた。ずっと。
(蓋、が……)
長いこと放置していた【感情への蓋】のせいで、ますます鈍磨していく自分の気持ちにも──気づかないふりをした。
1年前の出張の時に感じた感情すら、小骨のような違和感すら、紗妃の母の死をきっかけに────
(お前にはわからないだろう。伝えたところで理解されない……だが……これは……オレの、罰だ……)
罪を認識して初めて、佐藤への想いをようやく自覚した。
だから────
(……わけには、いかない……佐藤……オレは……)
伝えるべきことと、今もって伝えられることと伝えられないことを仕分けながら、汐見はそれでも佐藤に、これだけは言うべきだと思った。
「紗妃が、さ……」
「……」
汐見の脳裏に、先日行った療養棟で1年ぶりに穏やかな表情を見せた妻《紗妃》の顔が浮かんだ。
「……『私たち、間違ってたね』って、言ったんだ……」
「!!」
「ハハッ……間違い、ってなんだよ、って……はは、は……」
汐見の頬を、一筋の涙が伝った。




