181 - 出社(1)佐藤と汐見(Side:汐見)
【同名】エピソードの(Side:佐藤)と(Side:汐見)は同一時系列.
──── 三人称視点<5> ────
佐藤が橋田と、汐見が北川専務と飲みに行った翌週の金曜、7月15日。
まさに3週間ぶりに汐見は会社に出社した。
(こんなに長いこと休むのなんて……会社人生始まって以来だな……)
久しぶりに来た会社のビルは、なぜだか他人の会社のように見えた。
(とりあえず、仕事を片付けてからだ……)
自分がいない間に仕事は溜まっているはずだ。それを片付けてから、諸々──主に佐藤とのこと──をどうにかしようと思っていた。
(先週も結局、あっという間に時間が過ぎた……)
北川に退職の意思を伝え、それから色々あって、橋田とも話し合った。
その結果というか、その成果というか、そういった諸々を含め、今後のことを考えて動かなければならない。
(紗妃のことも……)
久しぶりの開発部に顔を出すと、開口一番、下北沢が
「汐見先輩! 休みすぎっすよ! ってか、髪、切りました? めっちゃさっぱりしてますね」
相変わらずの軽さと明るさで声をかけてきた。
「いや、本当にすまん。」
そのお陰か、部内に変な空気が流れることもなく穏やかだった。
「髪はな……ちょっと長くなってきてたし、暑かったからな。ところで……オレの休暇中に何かあったか?」
「や、特に問題になるようなことは。奥さんと旅行にでも行ってたんすか?」
「ははは……そんなんじゃないよ……」
言いながら汐見はカバンを持っていた右手はそのままに、左手をさりげなくズボンのポケットに入れて自分のデスクに着いた。
「汐見先輩~! お休み、長かったですね~! みんな、何があったの?! って社内でずっと噂でしたよ~!」
「そうそう! 先週なんか、佐藤さん、毎日顔出してましたよ!」
「そう~! びっくりしちゃうよね。あんなイケメンが毎日うちの部署に来ると目の保養というか、清涼剤というか!」
「なんだよ、それ。俺ら開発部内の男はそうじゃないのかよ?」
「そりゃ、まぁ……」
「ねえ~」
(そうか……佐藤、会社にはちゃんと来てたんだな)
そう思って汐見はほっとした。
(まぁ、オレとあいつは部署も違うからな……かえってそれが良かったのかもな……)
あんなことがあって佐藤とは結局、連絡を取らないまま2週間が過ぎていた。
(顔を合わせづらいってのもあるしな……なんて言……)
すると ププププっ と、デスクの上にある内線が着信した。
電話機の表示部を見ると、315番。営業部からだ。
(……間違いない。佐藤、だろうな……仕方ない)
会社に来てまで逃げ回るわけにはいかない。
それくらい、覚悟して今日は出勤している。というより、金曜日には出社するよう、北川専務からの業務命令もあった。
受話器を取り上げて
「はい。汐見です」
『汐見ッ?! 本当に?!』
「……おう。お疲れ」
『ちょ、ちょっと今からそっち、行っていいかッ?!』
「……あー、打ち合わせは後にしよう。またこっちから連絡する」
『汐見?!』
「ちゃんと見ておけよ?」
『どっ、どういう』
「まだ詰めてない部分があるから、それも含めて、な」
『はっ?! 何の話だよ!』
「じゃっ、後でな」
部署内の人間が汐見の内線に聞き耳を立てているのがわかってる状態で、佐藤とまともに話ができるはずがない。だから、汐見の会話をそば耳を立てて聞いてる人間に、あくまでも『仕事の話をしている』風を装う必要があった。
(それくらい、察してくれよな……)
だが、いきなり直接部署に来られても困るので、汐見は、佐藤からメッセージを受信する度に非表示にしまくっていたLIMEを2週間ぶりに開いた。
(しょうがないよな……あとで全部見るとして、今は……)
『昼は先約があるから、話は終業後に。それでいいか?』と送った。
即座に既読マークが付き『わかった』と、佐藤にしては珍しく一言だけのメッセージが送られてきた。
(……どこから話すべき、だろうなぁ……佐藤……)
佐藤に連絡をし終えて一息ついた汐見はPCを起動しながら時間を確認した。
(今が9時。主要メンバーはあと1時間後位に来るはずだから、とりあえず原田に丸投げしたWBSを見直して、指示出ししてから……って、おい、コレ……)
PCに表示されたExcelの表を見た汐見は若干呆れていた。WBS(=Work Breakdown Structure)とはプロジェクトマネジメントで計画を立てる際、プロジェクト全体を細かい作業に分割した構成図のことであり
(WBSじゃなくてこれガントチャートじゃねぇか…………あともう少しなんだよなぁ……)
プロジェクトの工程管理などで用いられるガントチャートとはまた違うものだ。汐見は少しため息を漏らしながら、1人、考えていた。
(……まぁ、今日のランチミーティング次第だな……)
後輩でもあり、部下でもある原田にプロジェクトリーダーの案件が増えたとしても、もう少し修行をさせながら色々教えないといけないことがたくさんある。
(みんな、頑張ってるけどな……)
汐見の能力の高さは、高校までに培った運動部のおかげでもある。いざというときに集中力を発揮することが可能なのは、インターハイや野球の試合で根性論ベースに養ったものだと汐見自身も半ば自覚している。
根性論を全て肯定することはできないが、あの時に忍耐力や持久力が定着したのだろうとは思っている。それに比べると、最近の新卒の部下や後輩は、どちらかというとそのような機会はなかったのだろうと思われたが
(まぁ、そこまでする必要もないしな……)
自分が根性論で育ってきたからと言って、彼らにそれを強要する気はなかった。その辺りが、他の会社や部署と違うところだ。
最も能力の高い汐見がそういうスタンスを貫いているので、汐見の上にいる先輩同僚は逆に歯痒い思いで開発部を眺めていた。
だが、その、臨機応変で、なおかつ緻密なスケジュール管理の賜物として質の高い成果物を出すことが汐見率いるプロジェクトチームの特色であり、それが社内随一のものだとわかっているだけに、誰も汐見のやり方に口を出すことはなかった。
(色々……メンバーの人間関係も含めて、専務に相談しておかないとな……)
汐見は、以前、PMの国家資格を取得した時に作成したファイルをPC上から探し出すと、コピペしてそれらを新しく作成した『PM研修資料』というフォルダに突っ込んだ。
(遅すぎることはない。退職前に……本当は、もっと時間をかけるべきだとは思うが……)
「汐見先輩……」
「ん?」
隣にいた、新卒の後輩が汐見に小声で話しかけてくる。
「あの……あれ……」
そう言って、その後輩が指差す方向を見ると
「っ!!」
(あのバカ!!)
開発部のドアの高い位置から栗色の髪の毛が覗いていた。
「……すまん、ちょっと席外す。何かあったら携帯に連絡くれるか?」
「あ、はい! あ、でも僕、汐見先輩の連絡先はわからないんですけど……」
「そうだったか、じゃあ、……下北沢!」
「はい!」
「わるい、ちょっとオレ、席外すが、何かあったら連絡くれ」
「おっけーっす。って、時間かかりそうなんすか?」
「……あれ」
そう言って汐見が親指で指差す方向に視線を向けた下北沢が
「あぁ~。そうそう、先週毎日来るもんで女子が仕事できなくなっちゃうって言ったらちょっとしょげてたので。思う存分、イチャついてきてください」
「なっ! いちゃつくって……!」
「佐藤先輩、汐見先輩のこと、まっじで嫁扱いっすよね」
「よ、よめ、じゃない!!」
「? そっすか? ま、とにかくご機嫌取ってきてください。俺、営業にいる同僚に『佐藤先輩がゾンビになって使い物にならないから、汐見さんが来たらすぐ処方してあげて』って言われたっす」
「なんだ! 処方って!」
「まぁまぁ、とりあえず、行ってきてください。俺ができることは俺がやっとくっすから」
「……頼む……」
「はい」
ひらひらと手を振りながら汐見を見送る下北沢と隣席の新人の視線を背中に感じながら、汐見は盛大にため息をついた。
「おい」
「ふぁっ!?」
「……なにやってんだ、こんなところで……」
「し……そ、の……顔、み、たくて……」
「……仕事終わってから、ってLIMEにも送ったよな?」
「そ……だけ、ど……」
汐見より高い背を少し丸めながら、しゅんとしている佐藤を見上げると汐見はそれ以上怒れなくなる。
(こいつ、こういうとこ、ずるいよな……)
佐藤が汐見だけに見せる、身長と見た目にそぐわぬ従順な飼い犬のような表情に汐見は弱かった。
(くそ……オレより10センチもでかいくせに……かわいいってあるかよ……)
主要メンバーが到着するまでにもう少し時間があった。ので。
「わかった。ちょっと、待て」
「え?」
「調べてくる」
「何を……」
佐藤の質問に答える前に自席に戻った汐見は、モニターに表示されている社内システムのアイコンをクリックして立ち上げ、会議室の空き状況を確認した。
(10時までなら……)
いくつか空いてる会議室のうち、上の階の一番近い場所に予約申請する。
1分ほどのタイムラグがあって『申請、受理されました。ワンタイムパスワードは◯◯◯◯です。退室の際には鍵の閉め忘れに注意してください』と注意書きが表示された。
それを見届けた汐見が、またドアの外で待っている佐藤のところまで行く。
「行くぞ」
「え? どこに?」
「403会議室」
「えっ?!」
佐藤の所属する営業部と汐見の所属する開発部は同じ3階にある。
あのまま開発部の前で押し問答するわけには行かなかったため、汐見は瞬時に判断して会議室に佐藤を連行した。
連行された佐藤の方は、挙動不審になりながらも汐見についていく。
(まったく……どんだけ注目を浴びるつもりなんだお前は……)
汐見の内心など知らない佐藤は、とにかく汐見の顔を見たくて、本人の姿だけでも確認しておきたくて、つい。
フラッと開発部のドアの前に立っていたのだ。




