179 - 後日(11)
◇◇
華の金曜日、の夜7時。
オレは北川専務に指示された『行きつけ』という高層ビルの最上階にあるバーに来ていた。
バーというよりそこは────
(いや、これ……キャバクラ? スナック? クラブ?)
あまりそういうところに出入りする習慣がないため、どちらかは分からないが、そんな感じだ。
しかも、場所がどういうところか前もって調べもせずに来てしまったため、日常的に買い物に行くようなラフな格好をしていたオレは店内に入ると、その服装がかなり浮いていることに気づいて少し恥ずかしくなった。
高い天井からは巨大なシャンデリアが10個ほどぶら下がっていて、店内は異常に明るい。その広い店内は大勢の男女でワイワイガヤガヤと騒がしいことこの上なく
(こんなところで話って……聞き取れないんじゃ……)
不安に思いながら、連れの名前に北川専務の名前を出すと、店の入り口から黒服にエスコートされて奥に連れて行かれ
「汐見くん! こっち!」
「き、北川専務! お久しぶりです!」
カウンターに座ってすでに一杯やっている北川専務が手をあげて合図した。
相変わらず、なんというか────
(本当にこの人、元プログラマーだったのかな……)
そう思わせる身なりだ。
もう50を超えたはずなのに、均整の取れた腹も出ていない180センチ近い体躯に、いつも上品で嫌味じゃない程度の落ち着いた色のスーツに身を包んでいる。白髪が目立つようになったのはここ最近からだが、額は広くなく、その白銀の頭髪も威厳を増すだけで全く老齢を感じさせるものではない。
一言二言、店主らしい女性と話すと、個室に通され、お互いの飲み物が運ばれてきた。
「さて、と……どこから話そうかな……」
「……」
死刑宣告をされるのではないかと思うほどの緊張が走った。
「まぁ、前置きばかりだと疲れるし、職業柄、結論から聞きたいものだよね」
「は、ぁ……」
なんと答えれば良いのか分からないが、北川専務はちゃんと話してくれるような気がした。
「とりあえず。……磯永と吉永の話は志弦さんから聞いたのかい?」
「えっ?!」
「僕の妻はね……当社の……磯永社長の姪っ子で、志弦さんの大学時代の同級生なんだ」
「?!」
驚きを隠せないオレの表情を確認すると、北川専務はニコッと笑った。
「自分で言うのもなんだが……いくら仕事ができるとはいえ、40過ぎで会社となんの縁もない人間がいきなり取締役になれるはずがない。……社長の娘ではなかったから妻が社長の縁戚だということを知っているのはごく一部でね」
「!!」
「驚かせるつもりはなかったんだが……昨日? だったかな? いや、違うな、水曜日だな。志弦さんから直接連絡を受けたんだ。君がきっちり仕事を終えたと」
「なっ!? 仕事っ?!」
「仕事……じゃないよな……」
そうにっこり笑うと北川専務が右手にあった電子メニュー用のタブレットを操作する。
「春風さん……いや、紗妃さんか。3年前かな。再就職先を探していた彼女を受け入れるよう志弦さんに直接相談されたのは私だったんだ」
「……そ、れって……」
眉間を揉みながら北川専務が続ける。
「まさか、君が彼女と良い仲になってしまうとは……予想してなくてね。最初の頃の噂では佐藤くんとってことだったもんだから……」
「じ、じゃあ、専務は、彼女のことを……!!」
(この人たちは! 紗妃の素性を知った上でこの会社に! 紗妃を監視するために!)
「……申し訳ないことをしたと思ってる。まさか君が……巻き込まれるとは思ってなくてね……」
二の句を告げることができないとはこの事だ。
(オレは……オレと紗妃は、最初からこの人たちの掌にいたのか?!)
「願わくば佐藤くんと、と思っていたんだ。女性に慣れてる彼なら軽くあしらえそうだったからね。こればかりはどうしようもなかった」
驚きを隠せないオレの顔を見ながら申し訳なさそうにしている北川専務を見るのは初めてのことだった。
「それに、思った以上に君が彼女に執心だと聞いて……君に話をする直前に入籍してしまったものだから……タイミングがね……」
「……北川せんむ…………このこと、は……他に、誰が……」
「私の妻と社長、私ともう1人の取締役。私が把握してるのはこの4人だ」
「……なんで……紗妃は! 嵌められたんですか?!」
「……嵌められた……というのとは若干違う」
ふう、とため息をついた北川専務が自分の手元にあるロックをちびりと飲む。
「何があったのか知らないが、彼女が自分から行動を起こして不倫を再開したのは事実だ。そこに私たちの介入は一切なかった」
「……ですが! ……紗妃を見張って……紗妃が……行動を起こすのを待ってた……!」
「……少し語弊があるな。……それを待ってなかったとは言い切れない……だがまさか、新婚2年目の妻が不倫を再開させるとは……普通思わないだろう?」
「っ!! それは! 僕に落ち度があったと?!」
(アッタダロウ。サキハオマエヲミカギッタ)
「落ち度、か……不倫する側の理由は大概がとんでもない屁理屈だ。彼女もそうだったんだと思う。だから汐見くんの落ち度とは思っていない」
「じゃあ、なぜ! 紗妃が不倫していることを! 知っていたのに誰も僕に言わなかったんですか! これほど傷が深くなるまで!」
北川専務の視線に哀れみを感じる。
「……我々は監視していたから、彼女の不倫開始当初から知っていた。だが……それから数ヶ月後、我々以外にも彼女の不倫を知った人物がいた。彼が行動に出ないのであれば、我々も今は様子を見守ろうと思って、ね……」
「……誰、なんですか……その、不倫を知った人って……」
ため息を吐きながら、静かな声で、専務は告げた。
「……佐藤くんだ」
「?!?!」




