173 - 後日(5) ー 回顧 - 3 -
飛行機に乗る前も、乗った後も、駅で別れる寸前まで、佐藤は終始、赤面しながらオレと話をしていた。
失禁したパンツとスーツのズボンは真新しい感じがしたので、本人に断りもなく捨てるには忍びなく病院のシャワー室横に据え付けられた洗濯機で洗っておいた。
乾かす時間はなかったからそのままビニールに突っ込んだだけだったが、それを渡すと
『ほ、本当に、ごめん……その……汚れた……下着まで……』
消え入りそうな声で謝るもんだからそれにオレは
『ま、しょうがないだろ。こういうのはお互い様だ。オレがそういうことになったときは、よろしくな』と笑いながら言うと佐藤は涙ぐみながら
『その時は、俺が全部ミトッてやるから安心しろ!』とか素っ頓狂なことを言い出したから
『いや、オレの死に水を取れとは言ってない』と声を出して笑って答えた。
オレに指摘されて言い間違いに気づいた佐藤は、ようやく恥ずかしさやら申し訳なさで張り詰めていた気も緩んだのか、唇を引き結んでからにっこりと笑った。そのイケメン100パーセントの笑顔に釣られてオレも笑った。
予定より半日以上遅れて金曜日の夜に帰宅したオレは、ベランダから家の明かりが灯っていないことに気づいて不審に思った。
紗妃からの連絡を確認しようとスマホを取り出すと、いつの間にか電源が切れていた。前日の夜、飛行機の予約を変更する時に電池が少なくなっているのを見てはいたが、あまりにも忙しなくて充電を忘れていた。
急いで玄関まで行き、呼び鈴を押しても応答はなかった。
仕方なく、オレは重いトランクを玄関前でバックリと開き、奥にしまってあった鍵を取り出して中に入ったが
『紗妃? ……やっぱりいないのか……』
食卓にメモでもないかと見てみるが何も残っていなかった。何かあったんだろうかとは思うもののスマホが使えないままではどうしようもなく、充電しながら土産やら荷物を下ろし、汚れた衣類を洗濯機に突っ込んだ。
それから、固定電話に向かい、登録されている紗妃の電話番号に掛けてみたが
『おかけになった電話番号は電源が入っていないか電波が届かないところにあるためかかりません』と答えるだけで、紗妃が出る気配がなかった。
何かあるならLIMEか携帯に電話が掛かって来たんだろうが、あいにく充電が切れたスマホを持ち歩いていたオレにはその時点で紗妃に何があったのかはわからなかった。
スマホの充電がある程度できたくらいに電源を入れて起動すると再起動状態になり、起動そのものに時間がかかった。ようやくそのメーカーのロゴマークが表示され画面に色々なアプリが表示される。
すると驚くほど夥しい数の着信履歴が電話にあり、LIMEのアプリをみるとこれにも着信履歴が無数にあった。
それは……オレが佐藤に付き添って寝落ちた時間から、空港にいるまでの時間────
スマホの充電が少ないと気づいた時。
佐藤と一緒に談笑していた時。
空港にいた、時────
連絡が取れる状況だったらよかったんだ。よかったのに……
タイミングと相性の神様が、オレと紗妃が夫婦としてふさわしいのか──試したんだろう。
結果としてその試練は、最悪な形で実行され、凶悪な種を生んだ。
紗妃がオレとの連絡がつかなかった時。
紗妃はオレと入れ違いで、東北の地に来ていた。
いや、おそらく同じ時間、同じ空港の中にいた。
同じ空港の中で。
紗妃は、電話しか掛けられない程、死に物狂いになって急いで。
オレは、改めて佐藤を大事に思うと同時に、久しぶりの佐藤との旧交を温めて。
オレたち夫婦は、あの日のあの時──完全にすれ違って────
音声通話や電話番号宛の着信履歴は死ぬほどあるのに、テキストでのメッセージが一切ないことに嫌な予感がしていた。
今度は急いでスマホからかけてみるがやはり『おかけになった電話番号は~』とさっきと同じ音声メッセージが流れてくるだけで何も応答がなかった。
これでは連絡する手段がない。
胸騒ぎを感じつつも、オレは紗妃からの連絡を待つ以外になく。
腹は減ってなかったので、スマホを風呂場まで持ってきて風呂に入り、湯上がり後もソワソワしながらリビングでテレビを見て過ごした。
結局、朝になるまで固定電話にもスマホにも着信もメッセージも受信することなく静かなままで。
翌朝、オレがまだ起きる前の早朝に、LIME宛にメッセージが届いていた。
起き上がってからそれを見たオレは──
衝撃のあまり、スマホを落とした──
紗妃からは、たった一言────
『母がなくなりました』




