172 - 後日(4) ー 回顧 - 2 -
オレは真っ青になりながら救急車の到着を今か今かと待っていた。
苦しそうな顔をしている佐藤の頭を自分の膝の上に乗せると、毛布の上から佐藤の背中をずっとさすっていた。祈るように──
(あの時は本当に……)
救急隊が到着する直前、意識のない佐藤は失禁してしまい、オレはそれを店に平謝りした上で飲食料金の5倍ほどを迷惑料として支払って、その店を後にした。
救急車の中でも佐藤の顔色は良くならず、一瞬、頭をよぎった最悪の事態に戦慄した。
救急隊員にオレ自身の体調を聞かれたが、佐藤が心配すぎてもうそれどころじゃなかった。
病院に到着すると即、救急処置室に運ばれ急性アルコール中毒の診断を受けて、そのまま点滴処置されることになった。
意識を失っている佐藤の下半身が汚れて異臭を放ち始めていたため、処置室に入った佐藤を処置の準備をしている看護師に託して急いで購買まで行き、下着とトレーナーの上下セットを購入して戻ってきた。
すでに左腕の袖をめくりあげての点滴が始まっていたからYシャツはそのままにして、近くにいる看護師にお願いして体を拭くタオルを持ってきてもらった。
佐藤には悪いと思いつつ勝手にズボンと下着を脱がして──まぁ、初めて見る他人の──佐藤の息子の大きさに(平常時でこれかよ……)と若干ビビったが、それ以上は何も考えずに清拭し終えた。
その後、看護師がやってきて、排尿の可能性があるので尿器をセットする旨を告げられたので処置をお願いした。
少し楽になったのか、それとも応急処置の諸々が効いてきたのか、佐藤の顔色が目に見えて色づいてきて、心なしか握っていた手も暖かくなり始めているのを感じて──泣きたくなるくらい、ホッとしたのを覚えている。
(あの時……)
佐藤を永遠に失うんじゃないかと思った瞬間の衝撃を、心境を、オレは昨日のことのように覚えている────
突然、背中を押され、真っ黒い底無しの穴に突き落とされたような感覚────
今でもあの時のことを思い出すと吐き気がする。
(それほど、の……)
あまりにも現実感を伴わない漆黒の闇の只中にいる感覚に、眩暈を感じた。
その時のオレの頭の中には、妻である紗妃の存在は一欠片もなく。
ただただ、佐藤がいなくなる瞬間、佐藤の存在しない世界を想像して────
(絶望を、感じたんだ……)
この世に神や仏がいるなら、これほど、存在そのものに価値がある佐藤を見放すはずがない。
きっと大丈夫、大丈夫だ、絶対に、と考えながら──我知らず佐藤の手を握りしめていた。
冷静さを失う寸前だったオレは、やるべきことを頭の中で整理し、明日の飛行機の便に間に合わないことに思い至った。
電池切れしそうになっているスマホから、佐藤と自分の分の飛行機の便の予約をずらし、翌日の夕方の便で東京に帰ることにした。
そして──疲労のあまり、オレは佐藤の手を握ったまま突っ伏して寝てしまった。
翌朝、佐藤に揺り動かされて起きた時は腰に激痛が走って、どうなることかと思った。
意識を取り戻した佐藤は赤面しながら平謝りに謝り、替えた上下のトレーナーの代金などをちゃんと払うと言ってごねた。
それに笑ったオレが
『イケメンの失禁は前代未聞だからな。口止め料として飲み屋の代金は貰っとくかな』
そう答えると、泣きそうな表情をした佐藤が
『わかった。ありがとう、汐見』
心の底から言った礼に、心底安心したのも覚えてる。
(……こいつを……失いたくない……って……思った、んだ……)
その後の、別の悲劇を──知ることもなく────




