157 - 決戦の日(8)ー 養子縁組 ー
大石森が足元のカバンから取り出した【示談書】と書かれた書類に署名を行い、双方の弁護士同士でやり取りが終了した。
少し緩んだ空気の中、談話が行われている時。
ふと、汐見は、先程の志弦の言葉にひっかかりを感じたことを質問した。
「……すみません……アメリカに置いてきた恋人……と、どうして日本で暮らさないんですか? その方も日本人なら別に……」
「彼女の子供たちが向こうの暮らしに馴染んでいるからよ。あと……今の日本では彼女と結婚できないしね」
「? ……アメリカでは同性で結婚できる? んですか?」
「あら、そうよ。知らなかった? まぁ、まだ州によって違うけどね」
「で、でも、日本でも結婚に近い措置はできると……」
「【養子縁組】のこと?」
「はい……」
それまで黙って聞いていた、大石森が志弦の代わりに答えた。
「同性婚の代わりに【養子縁組】することはおすすめできませんな」
するとそれを聞いていた池宮までも
「そうですね。今は良くても、……予測できない将来のことを考えると……」
「??」
敵視しているかのような態度だった大石森の意見に賛同した。
理由がわからないのはどうやらその場で汐見だけのようだった。重ねて質問する。
「どういうことですか??」
志弦から相談を受けていたであろう大石森が
「同性のパートナーと日本で【養子縁組】してしまうと、後々……万一同性婚が認められるようになった場合に……」
何事か渋るように言うと
「今度は結婚できなくなります」
池宮が答えを告げた。
「え?! で、でも、【養子縁組】をしたとしても、後で解消? 解約? すれば……」
「できません。それを民法736条が禁止しています」
「そうですな」
「!!」
同性のパートナーと家族になるために【養子縁組】をしてしまうと、過去に『親子関係があった』ことにより、今度は【養子縁組】解消後、結婚することが不可能になるのだ。
現実問題として未だ、日本での同性婚は認められておらず、何年後そうなるかわからないという、そもそもの話ではあるが。
「別にね、結婚にこだわる必要はないかな、とは思ったの。でも、パートナーとは対等な関係で家族になりたい、とも思ったのよね。その時にその話を聞いて、今の日本で家族になるのは得策じゃないし……認められるようになるまでに、2人ともおばあちゃんになっちゃうかも、と思って」
「……」
彼女なりに色々考えた末の判断だったに違いない。
忌み嫌う三浦隆と結婚しておきながら、6年もの間、海の向こうにいる元恋人との絆を今も確かに感じているということなのだから。
今度は池宮が志弦に質問する。
「向こうに永住を考えて?」
少し考えるそぶりを見せると、志弦は今度こそ、花が咲いたような笑顔でこう言った。
「まだそこまでは……でも、そうね。支社ができて数年向こうで仕事をすれば私自身はグリーンカードが取得できるから……そのタイミングで考ようかな、とは思ってるわ」
グリーンカードとは移民ビザを取得し、米国における合法的永住資格(アメリカ永住権)の証明として与えられる「永住者カード」のことを一般的にそう称している。
かなり計画的に考えた末の決断だったのだろう。
今の今まで眉間に皺まで刻んでいた表情が、恋人との話になると一気に緩んだ。
嬉しそうな少しはにかんだような表情には紅が挿し、雰囲気まで変わった志弦は少女のように見えた。
(この人は、本当にその女性のことを……)
「ま、今すぐの話ではないんですけどね」
そう言って、志弦は話を切り上げた。
そして、商談がひと段落ついたような静寂が訪れ───
「ところで……汐見さんは、ちゃんと妻のことを愛してらっしゃるのね」
「え?」
「だって、さっきからそういう話ばかりなさるので」
「……愛、して(る、と思い)ます」
発言を振り返ると、確かにそういうことを言っていた気がしないでもない。
(でも半分は池宮先生も……)
「そうですよね……なら……今回の件は、とても精神的に大変だったと思います」
「え、あ、はい……」
「私は、夫に愛情などなかったので、今回の件は……」
「あ、あの!」
汐見は志弦のそこに引っ掛かりを感じていた。
「はい?」
「その……ど、同性の恋人がいて、その人と共に……生涯を共にしたい、とおっしゃってますが、その……」
「?」
「最初からその女性を、その、恋愛対象として見ておられたんですか?」
(同性も、恋愛対象……何か……)
思わず縋るような形で問いただしてしまった。
「……もう覚えていませんが……私はあまり一目惚れする人間じゃないので、違うと思います」
(一目惚れ……オレは紗妃に一目惚れ、って……)
佐藤に指摘された。
『お前な……あからさまに美女に一目惚れしてんじゃねえよ』と。
あの時、感じた違和感。
あれはなんだったのか。
(佐藤に言われて、オレ、は……)
(ヒトメボれ、だった? ホント、に?)
微かに、汐見の中で、子供の声が聞こえる。
「じゃあ、どうやって、その、彼女を……」
自分の中の思考と、実際に口をついて出る言葉が矛盾したりしていないか気をつけながら汐見が話す。
「興味がおありなんですね。それは好奇心? それとも?」
「あ、すみません……答えたくないのでしたらそれは……」
(そうだよな、失礼だよな……)
「いえ。そうじゃないんです。そうですね……私は自分がかなり周りと違うということを幼少期から気づいていたので……」
(……マワり、と、チガぅ……)
また聞こえる。間違いなく【出てきている】と汐見は感じていた。
▷民法:第七百三十六条(養親子等の間の婚姻の禁止)
養子若しくはその配偶者又は養子の直系卑属若しくはその配偶者と養親又はその直系尊属との間では、第七百二十九条の規定により親族関係が終了した後でも、婚姻をすることができない。
参照:『法令検索e-Gov ポータル』
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089#Mp-Pa_4-Ch_2-Se_1-Ss_1




