151 - 決戦の日(2)
志弦は皮肉が滲んだ言葉を爽やかな声音で池宮にぶつけ、ぶつけられた池宮本人は微かに苦笑した。
(あぁ、そうか……! 4年前のときも……相手方弁護士と【合意書】を作ったって……)
汐見はバラバラだったパズルのピースが、何箇所かで部分的に形を成す様子を眺めていた。
「そちらが、紗妃さんのパートナーさんですか?」
唐突に水を向けられた汐見が
「は、はい。そうです」
必要最低限に返答した。
(落ち着け……圧倒されすぎだろ、オレ……)
「……紗妃さんご本人の状況は少し伺いました……パートナーさんがこういった場に出てくるのは普通じゃないと思いますけど、どういうお気持ち?」
「!」
(その質問は、率直すぎるだろ!)
どうやら、この女性経営者は歯に衣着せぬ物言いをする人間らしい。
悪意を感じる言葉にも関わらず、なんの邪心もなさそうな声音で聞かれた汐見は、驚いて志弦の顔をまじまじと見返した。
だが、にっこりと優雅に微笑んだ志弦の表情には、本当になんの計算も無いように見えた。
「私はもう離婚の準備をしていて問題ないんです。あなたは?」
「! そ、その……」
あまりにもストレートな物言いをする志弦の意図を計りかねて汐見がどもっていると、志弦がテーブルの上にある書類を取って捲り始めた。
「汐見、さん? は離婚の意思があるんですか?」
汐見の名前と、畳みかけるように意思の確認をしてくる。
「……そ、れは……現在、熟考している……ところです……」
「……そう……」
そう言って、今持っていた書類を裏返してテーブルに置くと、また別の書類を確認するように捲っている。
ソファに座って対面している志弦が書類から顔をあげて
「私の弁護士が来る前に、少しお話をしても?」
「え?」
「まぁ、遅れている弁護士の大石森は慰謝料満額請求のために、ご尽力なさるつもりなので」
「?」
(弁護士なんだから、普通はそうだろう……)
不審感を抱いた汐見が隣に座っている池宮と視線を交わすと、両者ともに眉根を寄せつつ志弦の顔を見返す。
「私も大石森弁護士と同じように慰謝料請求の意思はあります。ただ……」
志弦が少し目線を外して、ガラス壁の屋外に向けた。
「彼女らも被害者ではあるな、と思ってるんですよね」
「?? 彼女【ら】?」
「ええ、まぁ……あー……五朗センセに怒られそう……」
「どういうことです?」
「ま、いっか」
ボソッと志弦が呟いた。
「吉永隆……まぁ、まだ離婚に同意してないので私の夫やってる人ですが、彼、紗妃さん以外にあと3人愛人がいるんです」
「「はぁ?!」」
「ええ。私は以前から知っていたんですけど」
志弦は淡々と、一ミリの動揺も見せずに、夫である隆の不倫相手のことを述べ、また、その全員に同額の慰謝料請求をしている旨を告げた。
と同時に、見栄を張るだけで、職業人としての職能が最低限のレベルにも達していないことを憎々しげに吐き捨てた。
彼の見た目と家や属性だけに寄ってくる愛人たちに同情しているようにすら見えた。
「結婚前に『YGDC社や、ひいては吉永家に弓引くようなことがあれば覚悟しておくように』と釘を刺してありましたが……結果として彼はその約束を違えたのです。三浦家に融資した金銭は、YGDC社が後援している、とある金融機関経由のもの。その弁済を一度として行うことなく6千万を新たに借入れ、その金の大半が……」
そういって志弦はテーブルにある書類の1つを取り出し、汐見と池宮の間にツッと差し出す。
「湯水のように消えました。その詳細もこちらでは把握しています」
それは英語で書かれたパンフレットだった。
どこなのかはわからないが、支柱が剥き出しになった船が所狭しと並べられた港の写真と、プール付きの豪邸が大きく表紙を飾っている。
そして、そのパンフレットの表紙にはその写真の上に英語で大きく何かが書かれていた。
それを見た池宮が驚く。
「これは!!」
「わかります? あちらでもこういうのは当たり前のようにありまして。英語能力もそれほどない夫が知人と一緒に現地まで行ったようです」
池宮は、驚きつつもそのパンフレットに興味津々で
「それ、詳しく見せてもらっても?」
「どうぞ」
池宮が捲るパンフレットを汐見は隣から見る。
そのパンフレットには、英語でこう書かれていた。
『A mansion overlooking this yacht harbor will be yours in this price! Please come and visit us!』
(このヨットハーバーが見渡せる豪邸がこの金額であなたのものに!ぜひ現地まで足を運んでください!)と。
「全く努力しないため能力はない。なのに持って生まれた見た目と家柄のせいで、さまざまな人間が自分に近寄ってくる。そこにしか承認欲求を満たすものがない彼は、愛人たちにこの家に住めるようになると唆す目的もあって大金を……」
「お聞きしても?」
池宮が口を挟んだ。
「はい」
「この家、おいくらだったんです?」
「……中古ですが、5千万だったそうです」
「なっ!!」
「追加で融資した金額のうち、5千万がこの家に」
どうやってわかったのか、もう聞く必要はないと思われた。
「……それで、この家は?」
「この家は、存在しません」
「え?! で、ですが、現地まで行ったって……」
驚いた汐見が思わず大きな声を出してしまう。
「そうです。隆は、私に隠れて、この不動産仲介業者まで、行ったのです。そこで複数の白人に囲まれ訳のわからない英語を捲し立てられて契約し、その場で一括して支払いを済ませてしまった」
「「はぁぁ?!」」
呆れた顔をしているのは志弦だけではない。汐見も池宮もその言葉には呆然とする以外なかった。
「日本円で5千万なら、向こうでの不動産価値は2倍の1億以上です。英語が苦手な日本人を相手にする【不動産詐欺】を得意としたブローカーだったのです」
「「!!」」
「もちろん、全額溶けました」




