150 - 決戦の日(1)ー 吉永志弦 ー
7月4日(月) ───
12時に○○駅の○○口で落ち合った汐見と池宮は、YGDC社の最寄駅となる〇〇市の○○駅に到着すると、駅構内の地下街にある手軽なレストランで昼食を摂りながら最後の打ち合わせをした。
食事をしてゆっくりする間もなく、そのまま目的地まで移動する。
池宮によると、YGDC社は全面ガラス張りで超高層地上45階建てオフィスビルの中にあるらしい。
実際、汐見がその目で見るのは初めてのその高層ビルは、駅を出て歩いてる最中から美しい緑色の外観が大層目立っていた。
美しい外観であるだけでなく、ビル内に入ってもオフィスビルというより、その建物自体がガラス細工の芸術品のように美しかった。
(噂には聞いたことあったけど……めちゃくちゃ綺麗なビルだな……)
ビルは商業施設も併設しているため、部外者でも内部にはそのまま入れる。
池宮によると40階が目的の場所で、39階と40階の2フロア分がYGDC本社オフィスになっているとのことだ。
指示された通りのフロアまで向かうと、受付嬢に丁寧な対応をされて案内されたのは──ガラス張りの外に向けて配置された、圧巻の景色が見える応接ソファだった。
「す、ごい……」
巨大な空を抱くその2層のガラス張りの空間は、フロア内に光のシャワーを隈なく注いでいる。
「素晴らしい眺めですよね。今日は少し霞んでいますが、向こうに見えるのは富士山なんですよ」
そう言われた方角を見ると、確かにうっすらと何やら山の頂らしき形が見える。
想像を超えたあまりの眺望に、汐見は感嘆の溜息を漏らした。
「……初めて来ましたが……すばらしい眺めですね……」
「そうですね……私は4年前にも来たことがあるんですが、どうやら近いうちに引っ越すらしいです」
「え?」
「同じ市内に自社ビルを建築している最中のようで」
「……」
「ここの本社オフィスは取締役室と総務と営業部だけで、他の部署は別の場所に散らばっているらしく。なので自社ビルにまとめたいという要望がずっとあったそうで」
「そう、なんですか……」
そう考えて、汐見は黙り込んでしまった。
内情通のような池宮の情報にも少し違和感を感じるが、それ以上に紗妃との会話を思い出す。
紗妃は前にいた会社名をYGDC社とは言わなかった。
実際には『吉永商事、ってとこ。今は倒産しちゃってないの』と言っていた。
(まぁ、あれは……嘘、だったわけだ……)
全くもって、夫婦として機能していなかった自分たちの関係に疑問しか湧かない。
虚しさを感じながら、それでも、夫婦として最後の務めだと感じたから汐見は、今日の交渉に臨む。
言葉を失ったまま超高層ビルから見える圧倒的な絶景を眺めながら
(こんなところで働いていたら……そりゃ、オレとの生活なんて惨めになるよな……)
眼下に広がる低層の建物を見おろして、セレブリティ溢れる生活を渇望した紗妃に思いを馳せた。
(……紗妃の希望を叶えることは……オレには、できない……)
高級志向を目指し、吉永隆との不倫を良しとした気性の荒い紗妃。
淡い恋心を抱いた池宮秋彦との純愛を望んだ、穏やかな気質の紗妃。
その、どちらの紗妃にも、汐見潮は選ばれてはいなかった。
(佐藤くらい見た目が良ければ、まだ……?)
ぼんやりとした輪郭を見せる富士山を眺め、圧倒的な高層ビルからの眺望を美しいと感じながら、汐見は孤独を深めていた。
何かを感じ取ったのか池宮は、ガラス張りの外に遠い視線を投げる汐見の横顔を一瞥すると、同じ方向に視線をやったまま隣で黙っていた。
程なくして──
「お待たせしました、こちらです」
不意に受付嬢に声を掛けられ汐見と池宮は『社長室』と札が掲げられていた部屋に案内された。
視界に広がったのは、海外ドラマに出てくるようなクリーンで華美な装飾を極限まで減らした執務室、というよりホテルのロビーに近い整えられた部屋だった。
その部屋は、床面積が20畳ほどのだだっ広い角部屋になっていた。
扉から入って左奥に、南を向いているガラス張りの2面の角があり、その前には巨大な円柱が天井から床を突き抜けていた。
少し傾きかけた太陽光が扉から向かって真正面である右側のガラスの斜め上から入射しており、太陽の下には先ほど見た富士山の頂が微かに見える。
「お待たせして申し訳ありません」
コツコツと足音を立てて右側にある仕切られた空間から出てきたのは、汐見とさほど身長の変わらない立ち姿の、妙齢の女性だった。
白くパキッとしたブラウスに、ブーツカットのピッタリとした黒いパンツスーツ姿で、裾元から見えるのは上品そうな深い赤茶色のラウンドトゥー。
髪は後ろできっちりと夜会巻きに結い上げて纏められ、すっと伸びた背筋とも相まって隙がない。
汐見は初めて見る、モデルのような、オフィスの調度品としても完璧な【吉永志弦】に驚いていた。
「こんな時間に急な来客が突然入ってしまって。少しお待ちくださいね」
そういうと右手奥にある執務机の上にある電話のボタンを押すとスピーカー越しに
「大石森先生は?」
『渋滞で数分遅れそうです、と今連絡がありました』
「そう。わかった。じゃあ、私に確認する必要ないから到着次第、すぐお通しして」
『かしこまりました』
「あと、私の分も含めてコーヒーとお茶請けもお願いね」
『はい』
ハキハキとよく通る声が室内に響く。
「申し訳ありません。当方の弁護士の方が少し遅れそうですが、よろしいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「お2人とも、どうぞ、そちらにお掛けになって」
手招きして案内されたのはその部屋の真ん中に置かれた応接セットのうちの大きめのソファ。余裕で5人くらいは座れそうな、ゆったりとした3人掛けのものだ。
汐見と池宮は案内された通り、そのソファに座ると、対面にある1人掛けのソファの2個のうちの一つに志弦が座った。対面するソファの間には膝よりも低いローテーブルがあり、その上には何か資料が置いてある。
「池宮先生、でしたね。でもお会いするのは初めてかしら」
「はい……」
「お久しぶりですね」
「……そうですね……」
(? 久しぶりって……でも、初対面……?)
「まだ、妻でもない女性の尻拭いをしていらっしゃるのね」
「……古い幼馴染ですから……」




