148 - 決戦前(1)
──── 三人称視点<4> ────
「はい、もしもし」
『こんにちは。こちら、汐見潮さまの携帯で間違いないでしょうか?』
「はい」
『池宮と替わりますので、少々お待ちください』
「お願いします」
事務員の大塚が静かに電話を置く音が聞こえたかと思うと、静かな保留音の音楽が流れてくる。
(面談に行ったのは昨日なのに、昨日の今日で……早いな……)
汐見はだらりと座っていたソファから立ち上がるとスマホを耳に当てたまま、食卓テーブルの方に移動した。
無論、キッチンの反対側にある固定電話機の横にあるメモ帳とボールペンを取るのも忘れない。
『お待たせしました』
「あ、はい」
池宮が電話口に出た。
ガサガサと電話口の向こうから何か音が聞こえてくる。それを聞きながら、汐見はメモの姿勢を取った。
『結論から申し上げますと。先方は来週、週明けすぐにでも直接お話しがしたい、ということでした』
「え?!」
『日曜日が期限になってましたよね? 今日はもう週末前ですしね。ですので、向こうから都合の良い日時を聞いてありますので、メモの用意を』
「あ、はい。大丈夫です」
複数の日時の候補を列挙され、汐見はその中から直近の日程を選んだ。
「では、月曜日の午後2時ということで大丈夫ですか?」
「はい。僕は、池宮先生の都合に合わせられるので大丈夫です。ただ……」
『……不安、ですよね。あちらに直接行く前に打ち合わせをした方がいいかもしれません。明後日の日曜なら空いてるのですが、汐見さんのご都合がよければ』
「大丈夫です! というか、いいんですか? そこまでしていただいて……」
『まぁ、幼馴染のことでもありますから……」
打ち合わせの日程調整をし、電話を切った。
池宮弁護士との電話の後、汐見は佐藤とよく行く防音がしっかりしているカラオケ店に予約した後、すぐにショートメッセージで送った。
2時間後くらいに、了解しました。とだけ簡易な返信が返ってきて、時間は池宮に決めてもらい「前日の日曜・午後3時に打ち合わせ」という話になった。
紗妃と暮らすようになって、まともに家事をしたことがなかった汐見だが、7月に入ってまだ梅雨ではあるものの、ここ数日は晴れていたため、溜まっている洗濯物をどうにかしようと洗濯機を回した。
洗濯物のカゴを片手に汐見が何気なくベランダから少し下を覗くと──佐藤がいた。
「!!」
びっくりした汐見は慌てて室内に隠れた。
(……そうだった……あいつ……!)
だが、佐藤のその姿を見て、汐見が感じたのは恐怖でも気持ち悪さでも嫌悪感でもなかった。
思わぬことで佐藤の『気づいて欲しい』という要望に答えることになったわけだが、納得している自分がどこかにいた。
思い返してみると、汐見自身、佐藤からの友情以上の好意をずっと以前から知っていたような気さえした。
だから、佐藤がストーカーのような行動を起こすことに嫌悪感を感じるのではなく──至極納得するような気持ちだったのだ。
ベランダから下を見るには、腰壁の上から覗くか、腰壁に開いた細長くて四角い空間から見るしかない。その細長い部分から覗くと下から見た時に見えづらいので、そこから佐藤の様子を観察してみる。
この暑い中、半袖の薄い水色のポロシャツにデニム姿で、先日、汐見のマンションに来る時に被っていた鍔広の帽子を目深に被り、電信柱の影に隠れるようにして立っている。
「……怪しいにも程がある……」
シンプルな出立ちなのに、完璧な8頭身のスタイルの良さがそのシンプルさを打ち消していた。目立つ長身と帽子を被ってすら造作の良い顔のせいで、近くを通り過ぎる人が通り過ぎた後にチラチラ視線を送っている。
(あいつ……他人に見られてるの、気づいてるか?)
汐見が自分の容姿に頓着しないのとは別の意味で、佐藤も自分の容姿に頓着していないことを改めて感じる。
顔を出さないように何度か見に行くと、持参しているペットボトルから時折水を飲む姿が見え、2時間後くらいにいなくなっていた。
(粘りすぎ……)
LIMEを既読にすらしない汐見が気づいて、自室に招くのを期待していたかもしれない。
(すまん、佐藤……)
汐見は心の中で謝罪した。
◇◇◇
紗妃と暮らすようになってからの汐見の土日は、遅く起きてきた汐見に冷たい視線を送ってくる紗妃の顔をみながら居心地の悪い思いをして遅い朝食を食べるのが日課だ。
だが。
紗妃と暮らすようになって初めて、紗妃がいない土曜日の朝を迎えた。
(……静かなのはいつもだけど、今日はなんだか……)
静謐さを感じていた。
最近は紗妃が家にいても夫婦での会話は最小限だった。声が響くほど楽しげな会話など、ここ1年くらいしたことも無い。佐藤との会話の方がよほど弾んでいて笑い声が絶えず、会話の内容も尽きることが無かった。
(紗妃と比べるのは……変か?)
だが、比べてしまうのは仕方がない。佐藤の気持ちを知った上なら、なおさら。
昨日のように1人の金曜日を過ごすことは久しぶりだったし、こんなにも心静かな土曜日を迎えるのも久しぶりだった。
自分の生活空間に紗妃がいないことで、平穏を感じている自分にも、汐見はまだ気づいていない────




