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142 - 追憶(11)


 差し出されたマチのある封筒の厚みは相当なものだった。


『はは……は……』


 オレはもう笑うしかなかった。

 こんな理不尽なことを言い出す男が加藤の、親友の父親だとは思いたくなかった。


『? 何を笑ってるんだね?』

『ははは……』


(こんなの、チガぅ。こんなコト、マチガッてる)


 この時初めて、はっきりと子供の声が、オレの中に響いた。


 突き出されたその封筒の厚みを見て、オレは他人事のように感じていた。


 急に浮遊感を感じたオレは、その瞬間、自分の体から魂が抜け出したように、天井からオレを見ている自分自身を自覚した。


 自分とその周囲の状況が俯瞰(ふかん)できる場所にオレの意識が在った。



(こんなの、チガぅ……カトウ、そぅ、オモッてない)


 でも加藤はそう言ったんだと


(チガう……カトウ、ナいてる)


 知らない……加藤は俯いたままで表情なんか見えないじゃないか


(チガう……カトウは、カトウは……)


 もう知るか! 加藤は、オレを好きだとは!「潮」が好きだとは一言も言わなかったじゃないか!!



 オレの心は、熱で溶け出した粘土のように泥のように、ぐちゃぐちゃになり始めていた。


 

 小さな声がはっきりと言う。


(でも、ウシオは、カトウ、スき……)


 違う…… 


(チガわない。カトウ、ダイジ……)


 違う…… 


(チガわない。ウシナいたくない……ね?)


 違う!! 



 同性愛だなんだと言う加藤の父親のその侮辱(ぶじょく)(はら)んだ言葉に、オレはとてつもなく傷ついているのだと、その時ようやく気づいた。


 同性愛? それがなんだっていうんだ。


 人が人を好きになる、そのことを間違いだと断罪し、頭ごなしに否定する加藤の父親に、激しい憤りを感じていた。


 人が人を好きになるのに理由なんてない。


 誰が誰を好きになるかなんて、自分がどんな人を好きになるのかなんて、自分自身ですら制御できるものじゃない。


 突然、一目惚れする場合もあれば、一緒にいるうちに好きになることだってあるだろう。


 一目惚れの確率が低いと言われていることからも、ほとんどの人は一緒にいる相手に好意を抱き、感情を育んでいくものだろう。


 その好意が性的欲求に繋がるかどうかは個人によるところが大きいだろうし、それは本人が自覚して判断して自己決定することだ。


 オレは叫びたかった。


 好きになった相手が異性だろうと同性だろうとなんの問題が、どこに問題があるんだ!


 同じ人間同士で好きになることに、愛し合いたいと思うことのどこに問題がある!


 誰かを好きだと思う気持ちや感情を、例え実の親であろうと、自分以外の何者にも否定する権利はない! と──


 家庭内に圧政を強いて全てを支配しなければ気が済まないと思っているであろう加藤の父親に、激しい怒りと殺意を覚えていた。


 それなのに、父親の思う通りに行動しなければ、加藤がこの先、何かしら困窮こんきゅうする事態に陥るだろうことも──


 オレがオレでいたいこと。

 加藤が加藤でいたいこと。


 オレが加藤に少なからず、好意を抱いているということ。

 加藤がオレに、友情以上の好意を抱いているということ。


 加藤の好意とオレの好意になんらかの齟齬(そご)はあるかもしれない。


 だが、それでも。


 オレと加藤が感じている気持ちの方向に、恋愛に相似した感情が潜在していることがわかった。


 それが、加藤の父親の抉るような糾弾きゅうだんによって()()()()()()()()()ことは、皮肉と言えば皮肉だった。


 そして、加藤に対する少なからぬ好意の感情を自覚した瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()であろうことを理解したことも──

 オレにとっては承伏(しょうふく)しかねるくらい腹立たしいことだった。


 ()()()()()を思うなら、()()()()()()()()、なら──


 蓄積された怒りの向かう矛先が目の前にあるのに、そこに怒りの矛を突き立てることができない。

 そうすることで全てが破壊され、加藤は行き場を、生きる場所を失ってしまうだろうことがわかってしまった。

 親のいないオレには、加藤の悩みの半分も理解できていなかったことが、ここに至ってようやく理解できた。


(カトウは、タスけをモトめてる……)


 救いたい。加藤を。

 この家から、この父親から救い出してやりたい。


 だが、今のオレでは──


(タスけて……カトウが……)


 無力で、ひ弱で、何者でもない今の自分に腹が立った。

 ()()()()では()()()()()()()()()()()()()()()()


(なんて、無力なんだ……)


 オレ自身がオレに腹を立てていることと、加藤の父に激怒していること、加藤を想い憐れむ気持ちとが相まって、オレは怒りと悲しみが混ざり合い、融解していくのを感じていた。


 そして──


『……わかりました』


(オレ自身を……殺してやりたい────)


 ガバっ と音が聞こえるくらい勢いよく、加藤が俯いていた顔をあげた。



(ヤッぱり……ナいてた……)


 そう……だな……


 子供のような声が、責めるようにオレに言い聞かせる。


(カトウを、タス、けない?)


 無理だ……今の、オレでは……


(カトウ……カワイそう……)


 そう、だな……


 現実的な問題がありすぎる。


 加藤は大学野球のスターを有望視されている人材で、オレには何もない。

 何も持たない同性であるオレと共にいること、オレを恋人にすること、それらが、これからの将来を嘱望しょくぼうされている加藤の重荷になることは明らかだった。


 男同士で付き合えるわけない、とはそういうことか──と。


(でも、カトウ、ウシオ、スき……)


 オレが加藤から離れるのが、一番丸く収まる。

 何者でもないオレが加藤の元を去れば、加藤は明るい未来を築ける。


「みう」はオレの中にいる加藤の偶像で、菜摘もオレも「みう」の代わりだった。


(チガう、チガうよ、ウシオ!)


 加藤も、オレも、加藤の父親も母親も、そして、オレのばあちゃんも。

 この場にいる全員が安心する形に戻るだけだ。

 

 加藤は、男である「潮」は、好きじゃなかった、ってことだ。


(チガう! ウシオ、わかってるクセに! ニげる、の?!)


 子供の声がフェードアウトするように遠のいていき


(スクエナイナラ、テヲノバスベキジャナイ)


 今度は低い、唸るような声が聞こえてきた。


(タスケラレナイノニ、ドウジョウデ、スクイノテヲサシダスノハ、ギゼン)


 オレは、その時、その声が聞こえてくるのを予感していた。

 そして、その声に従わざるを得ないだろうことにも。



『これは……手切金、みたいなもの、ですか?』


 オレのその声は少し震えていたに違いない。


 加藤はオレを凝視したまま、凍りついたように固まっている。


『……そうだ。理解が早くて助かる』


 啖呵たんかを切った相手の提案に賛同することになるとは、思っていなかった。

 振り上げた拳を【金】と引き換えに下ろしたようにしか見えなかっただろう。


 なんてみじめなんだ。


(ソレデモ。コノセンタクガ、タダシカッタトオモエルヒガ、クル)


 そういえば、と加藤の弟妹の姿が見えないことに今ようやく気づいた。そして同時に2人がいなくてよかった、と本当に思った。


『潮くん。今日、この家を出たら、金輪際、耕史とは会わないでほしい。いや、()()()()()()()して欲しい。できるかね?』

『……はい……』

『う、うしおっ!』


 苦悶の表情をした加藤が、喉から絞り出したような声をあげる。目に涙を浮かべて。


 オレは、加藤の顔を一瞥すると、封筒を手に取り、加藤の父親に向かって思い切り一礼した。


『ばあちゃん、帰ろう』

『あ、あぁ……お、お邪魔しました……』


 オレはばあちゃんを引き連れて玄関に向かい靴を履くと、背後に仁王立ちしている加藤の父と、その後ろにいる加藤を確認して最敬礼し、顔を上げた。


『さよなら、加藤。元気でな』

『っうしおッッ!』

『止めなさい、耕史ッ!! これ以上、反抗するようなら、どうなるかわかってるのか!?』

『……!!』


 親子とは思えないその命令と会話をそれ以上見たくなくて、オレとばあちゃんは足早に加藤家を後にした。


 この時の家路も、オレはあまり覚えていない。

 ただ、歩きながら家に向かう途中、ポツリとこぼしたばあちゃんの独り言が目に染みた。


『……加藤くんは……大変だねぇ……』


 ズズっと鼻を(すす)ったオレに、ばあちゃんがポケットからハンカチを差し出した。


『……加藤くんが来てくれなくなると、さびしくなるねぇ……』


 2人で連れ立って歩くのは久しぶりだな、と考えながら歩いてると


『あんたは……あんたのやりたいようにやるんだよ……』


 そう言ってくれたばあちゃんのその言葉は、その時のオレにとって、たった一つの救いになった。






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