137 - 追憶(6)ー みう ー
翌日、加藤は学校に来なかった。
当然と言えば当然だった。安堵はしたものの、心配にはなっていた。
結局、その日は加藤がいない普通の日を過ごしたが、さらに週末前の翌々日も学校に来なかったのでさすがに不安になったが──オレも変に意地になって
(オレから連絡するのは違うだろ……アレは……加藤の方から謝るのが筋だ……)
連絡を取らなかった。結局、週末を挟んだ4日間、オレと加藤は顔を合わせることがなかった。
週明けになったら何事もなかったかのように学校に来るだろうと踏んでいたが、予想は外れ、加藤は来ていなかった。
どうしようか、と過ごしていると、下校する時間を見計らったかのように欠席していた加藤から携帯にメールが来た。
『少し話がしたい。1時間後に○○公園に来て欲しい』
ただそれだけだった。
不審感を抱きながら、だが、あの時みたいに密室の人目がないところで何かされるより、誰かがいるだろう場所の方が安全だろうと思ったオレは
『わかった』
一言だけ返信した。
その後の返信はなかった。
1時間後はちょうど下校時刻だったから、そのままその公園に向かった。
◇◇
その公園は【児童公園】と名がついていて、大きな広場はなく幼児が遊ぶような小さな新しい遊具が置かれている。
その中で異色を放つのは少し大きな2台のブランコだ。そのブランコだけ年代を感じさせるのは、腰掛ける部分が木製で、鉄製の錆びた太いネジが剥き出しだからだ。
昔からよく遊んでいた公園だったが、そのブランコと今では小さく見える砂場だけがオレの記憶には懐かしい記憶を呼び覚ますものだった。
時間通りに到着すると、加藤はすでに来ていて、そのブランコの一つに座っていた。
裏寂しい公園には、加藤以外の人の気配がなく
『……加藤』
声をかけると、パッと顔をあげてオレを見た。その表情は少し暗い。
だがその表情を心配してやれるだけの慈悲を今のオレは持ち合わせていなかった。
『……うしお……』
情けなさそうな顔をされても、今日のオレは加藤に甘い顔をしないと決めていた。
『……受験がないからってこの時期に休み過ぎだろ。ちゃんと先生には連絡入れたのか?』
『……体調が悪いって、言った……』
この体力バカに体調不良なんてあるわけないだろ、と内心ツッコミながら、加藤の表情を見逃すまいとジッとその顔を見つめる。
『……その……』
何を言うのか予想は付かなかったが、言い訳しようとするならそれを阻止しようと思っていた。
それに「付き合ってる彼女・なつみ」と「みう」のことについても聞かなければ、と考えていると
『……みう……』
『なっ?!』
オレを見ていきなり呟いた加藤に驚いた。
苦しそうな、辛そうな顔をして加藤が吐き出す。
『……「みう」は俺の彼女なんだ……』
『お、お前の彼女は「なつみ」だろうが!』
『……ちがう……』
『お、おま……』
そう言った加藤は男らしい太い眉をハの字にして今にも泣きそうだった。
『……うしお……俺、「みう」が好きなんだ……』
『っっ!』
オレは二の句を告げようとした自分の口が開いたまま塞がらないのを自覚して──
『俺は「みう」と付き合いたい……』
じっ とオレを見つめる加藤の視線にいつもとは違う何か別のものを感じ
『っっちょっと、待て! 「みう」って誰だ?!』
オレが思ってる「みう」と加藤が想ってる「みう」は別人なんじゃないかと思い始めた。
『……知ってるだろう?』
その目は、ベッドの上から覆い被さってきたときと同じ。
だが、その時と違うのは、オレに憐れみを乞うような表情をしているってことだ。
『うしお……「みう」は……』
その顔からは、オレが知ってる加藤の堂々とした男らしさが消えていた。
今にも泣きそうな加藤なんて、今までに見たことがない。
マウンドに立った時の堂々とした振る舞いや出立ちは、常にメンバー全員を安心させた。そんな加藤がこんな心細い表情をするなんて誰が思うだろう。
『やめろ、加藤』
『……』
『お前は「なつみ」と付き合ってる。オレは、関係ない』
『うしお……』
睨むように加藤を見据えていると、加藤は悲しそうな顔をした。
『そう、だよな……』
『お前の言う「みう」はオレのことじゃない、そうだろう?』
『……』
問い質そうとするオレの意図に気づいたのか、加藤は一瞬俯いた後、オレの顔を見て言った。
『「みう」は、潮の中にいる、俺の初恋の人だ』
『な、ナニをおかしなこ、と……』
オレを見ている加藤は【オレ】を見ていない。
どこか遠くに焦点があって、オレを通して何か──別のものを見ている──
その正体がなんなのかわからない。
加藤の気配に不穏なものを感じてオレはジリジリと後退った。
『うしお……』
揺らさないブランコに乗ったままの加藤が真っ暗な目でオレを凝視する。
その視線に縫い留められたようにオレは身動きが取れなくなっていた。
『……「菜摘」が、代わりなんだ……』
足元を確かめるように一瞬だけ俯いた加藤が、ブランコから降りた。
大学からスカウトまで来るようなやつだ。
立ち上がった加藤は目線がオレより10センチも高く、肩幅も厚みもある恵まれた体格で。
オレはこの時の加藤の空気に、ドッと冷や汗が噴き出すのを感じた。
『俺は…………』
ゆらり と立ち上がった加藤は、オレの顔を凝視しながら──リーチが長く大きな手のひらがオレの左肩を捕まえた。
『……うしお……俺は……』
考えたくなかったが──加藤の家から逃げるように出て行った日の──ベッドの上で覆い被さって来た加藤と同じ表情だった。
『……みう……』
『!!』
有無を言わさぬ声音で加藤はオレをまた「みう」と呼ぶ。
叫び出したい気持ちと今すぐ逃げ出したい気持ちとが混ざり、オレは全身が震えそうになるのを感じていた。
オレが逃げられないようにするためだろう。
公園の出入り口は1カ所しか無く、それも掴まれた左肩の後方だ。
オレが頭の中で逡巡していると、その左肩をグッと握られ──不意に、抱き締められた。
『みう……みう……みうッ!』
『オ、レはっ! 「みう」じゃなっ』
そう叫ぼうとしたオレの言葉は、一瞬にして捥がれた。
加藤の──噛み付くようなキスのせいで。
『ゔぅ〜っ!!』
オレの左肩を掴んでいたはずの加藤の右手は、いつの間にかオレの頸を捕え、頭すら動かせない。
加藤の左手は渾身の力をこめてオレの腰裏に回り──完全に抱き竦められていた────
『!!』
予想以上に強い力だった。
オレは全身の力を込めて、加藤の戒めから逃れようとするが、一回りも体の大きさが違う加藤はびくともしない。
加藤の左手は、オレの右腕ごと左脇までぐるりと伸びて、力強く抱き込まれた。
オレはかろうじて動く左手を握り、拳を作って
ドンドンドンッ!!
加藤の背に叩きつける。
だが──オレの力でどうこうできるようなものじゃない。
圧倒的な膂力差を感じたオレは情けなくなった。
バッテリーを組んで一緒にマウンドにいる時に感じていたような安心感はすでになく──
野球をしているとき以上に力づくでオレを抱き締めてくる加藤は──
オレの唇を食べるように、舐めるように、何度も音を立てて唇に吸い付く。有無を言わさぬ強引な力で──
(なんで……加藤ッ……!)
加藤の下半身の雄は、当然のようにオレの下腹部に押し付けられ、その熱さと硬さがオレを脅迫してくる。
こんな状態で、オレは目に熱いものを感じていた。
頬を伝う、熱い液体が流れているのを見た加藤は、それでもオレを離そうとはしなかった。
泣いているオレに気づいても、加藤は夢中になってオレの唇に吸い付く。何度も。
最後の抵抗とばかりにオレが歯を食いしばっているのを知ってか、加藤はオレの唇の隙間に硬く尖らせた舌先を差し込んできた。
『?! んんん~~~ッッ!!』
だが、加藤は自分の舌をオレの唇の隙間に潜り込ませると、閉じている歯列沿いに舌を這わせてきた。
抵抗虚しく、されるがままのオレに気を良くした加藤が左手でオレの臀部を捕まえて揉み始め──
そのとき。
『耕史ッッ?!』




