132 - 追憶(1)ー 加藤 ー
──── 汐見の過去 ────
『みうッ!』
突然呼びかけられたその声と言葉に、不機嫌さを隠しもせずにオレは振り向いた。
『……やめろ、その呼び方……』
『なんで?』
『女じゃないんだから、おかしいだろうが』
『いいじゃん。2人の時しか呼ばないんだから』
『……それでもだ』
不本意なあだ名をつけた張本人に声をかけられたオレは、放課後のまだ明るい校庭を横切って歩いている最中だった。
『ケチだなぁ、潮はー。あ、今度さ、フォーム見てくれよ』
『いいけど……』
オレはその友人・加藤耕史を見上げながら、そいつの背中越しにでかい夕日が校舎に掛かって落ちていくのを見ていた。
オレとの身長差は10センチ。体重差はもっとあるだろう。
高校入学時はオレの方が少し高いくらいだったのに、いつの間にか追い抜かれて差が広がるばかりだった。
去年の春、オレの身長が止まってからは加藤だけ伸び続けた身長は、今年の春に10センチ差で止まった。
高校3年生の夏が過ぎ去り、秋深まる校庭をオレは加藤と2人で歩いている。ようやく涼しくなってきて、体温の高いオレでも過ごしやすい時期になってきたところだ。
冬の気配を感じさせるひんやりとした空気が、オレは四季の中で一番好きだ。
『なぁ、俺、受かると思う?』
『……大丈夫だろう』
その話題は、加藤の大学の野球推薦の話だ。
ピッチャーだった加藤と、キャッチャーだったオレたちはバッテリーとして今年の春と夏、甲子園期待の星だった。
全国に出るような強豪校ではないが、県大会では毎年甲子園常連校を脅かす良い成績を残すので、甲子園の前後はプロのスカウトマンが校内に出入りする。
高校最後の夏、オレと加藤は甲子園の土を踏めずに終わってしまったが、こいつはスカウトされて大学推薦を受けて、あと1ヶ月弱で結果が出る。
オレはまぁ、加藤ほど見た目に花もないし、身長もデカくないし「骨格だけは合格なんだけど」とスカウトのおっさんに呟かれた時点で即諦めた。野球にそれほど未練もなかったから別にどうでもよかった。
『なぁ~、一応、受験勉強してた方がいいよなぁ?』
『自分で考えろ』
『冷たい……なんだよ、最近お前冷たいよ!』
『知るか』
加藤がスカウトを受けて推薦受験する、という話を聞いた時。
少しの羨望はあったがオレ自身は高校入学時にはすでに情報系のエンジニアを目指していたため、今まで放置気味だった理系科目の追い込みに精を出しているところだった。
当の加藤が推薦を受けた大学は、オレが進学する地元の国立大学のすぐ近くにある私立大学だ。他県の大学野球強豪校からの話を断った加藤は『近い方がいいじゃん』と言ってそこに進学するらしい。
(アホだろ……美味しいチャンスがあるならそっちを選べよ)
そう思いながら、でも大学が近かったらまた今までみたいに遊べるかもな、と思ったりもした。
『でもさぁ、学校の成績は結構重要って言ってたんだよ……数学だけでも良いから教えてくんね?』
『塾通ってんだろうが。そこの講師に教えてもらえ』
『潮の方が教えるの上手いんだよー』
『気のせいだ』
『そんなことないってぇ。なぁなぁ~』
馴れ馴れしく肩を組んで来た加藤の顔がオレの顔に触れそうなくらい近くなる。こいつに肩を組まれたり腰を掴まれたり抱きつかれるのにはもう慣れた。
体育会系高校生特有のスキンシップの一つだとは思うが、こんなにスキンシップが激しい奴だったのか、と気づいたのは高校に入ってからだ。
『相変わらず、仲良いなぁ、おまえら』
それなりにデカい男2人で肩を組んで歩いていると、後ろから別の声がかかった。
『お~う! 鈴原、おつかれー。羨ましい?』
『羨ましいっつか……汐見、あんまり加藤を甘やかすなよ。甘えられると思ったらとことん甘えてくるからな』
『……思い知ってるところだ』
鈴原と呼ばれたそいつは、加藤とは中学からの同級生で加藤のことをよく知ってる。
鈴原情報だと、加藤は成績はそれほどでもないが、恵まれた体格と男らしい面構えで、童貞を卒業したのは中学3年の時らしい。高校に入ってから常に彼女がいるモテ男で、入学当初からそういうことはお盛んだそうだ。
『なんだよー、いいじゃん。潮のこと誰よりもわかってんのは俺なんだからさ!』
『いや、だから、汐見が嫌がってんじゃねぇの?』
『あ? 潮が?』
そう言うと、オレの顔を覗き込んできた。こいつのこういうところが「ウザい」と常に思ってた。
『そんなことないよな。俺と潮は【親友】だから』
『そう思ってるのは加藤だけじゃないのかぁ?』
『うっせ~な。俺と潮の仲を引き裂くんじゃねえ。いくら羨ましいからって』
『羨ましくない!』
鈴原相手にニヤニヤと笑う加藤の表情は、こういう時、本当に下卑た顔になり、それを見るたびに、ため息が出る。
『そうかぁ~? なぁ潮?』
『羨ましくないだろ、別に。あと、お前、ちょっと離れろ。重い』
肩を組んでると言うと聞こえは良いが、オレより長身の加藤は半ば凭れかかって体重がかかる。
オレがもう少し細かったら、こいつの重さに耐えきれなかったはずだ。
『え~。俺の湯たんぽ~』
『いつ、誰が、お前の湯たんぽになったんだ』
『え? 高校入学から?』
『……』
『加藤よ〜、汐見にひっつくのはいいけど、彼女に捨てられないくらいにしとけよ〜』
鈴原は捨て台詞にそう言うと、オレたちより先に校門をくぐって出て行った。
加藤は野球引退と同時に髪を伸ばし始めると、さらにモテが加速し、彼女候補がひっきりなしに現れ、付き合っては別れ、付き合っては別れ、を引退してからすでに3回は繰り返してる。
『お前な。彼女と一緒に帰れよ。なんでオレに着いて来てんだ』
『んー、菜摘ちゃんがさ〜、今週アレだって言うからさぁ』
『……お前、最低だな』
『なんだよ~、潮もさー、好きーって言って来る子と付き合ってみなよー。世界変わるからさー』
『お前みたいな節操なしが隣にいたらまともな女子が寄ってくるわけないだろ』
『へ? そうなの?』
『……』
『それにさー、菜摘ちゃんベタベタするの嫌がるんだよなぁ〜。あと、冷え性で体温低いから、くっつくなら潮の方がいい』
『お前! そういうの、思ってても彼女に言うなよ?!』
『え? ダメ?』
『当たり前だ!』
オレは加藤と友達付き合いするまでこれほどスキンシップの激しい奴を見たことも知り合ったこともなかったし、こいつがそういう奴だということも知らなかった。
加藤とは小学校が同じだったが、突然行方がわからなくなり、高校で再会した。小学校の頃の加藤は、とんでもなく嫌なヤツだった。
高校に入学してすぐ野球部に入部したが、同時期に入部した加藤が【小学生の時のあの嫌なヤツ】だと気づくまで数週間かかった。それくらい、当時の印象が消えていたからだ。
『なぁ、潮~、今日、俺の家に来いよ』
『? なんで?』
『親父もお袋も今日いないからさ、新作ゲームやろうぜ』
『……塾は?』
『サボりだよ、サボり。最近、成績いいから』
『それなら……』
苦手だった加藤の両親が不在の時だけ加藤の家に行くことが多かったのは否めない。
この日も、加藤に誘われて学校帰りにそのまま向かうことになった。




