127 - 伝えるべきこと(Side:佐藤)
──── Chapter06 ー 佐藤視点(2) ────
俺の家に辿り着くまで俺も汐見も、終始、無言だった。
家に到着するなり、持っていた資料の束を汐見に貸す部屋に置いて合図した。
「ここ、置いとくぞ」
「あぁ……」
汐見が何を考えているのか、俺にはわからない。
「喉乾いてないか?」
「……乾いてる」
「ちょっと待ってろよ」
汐見に、リビングに向かうよう促した俺は冷蔵庫に入れてないペットボトルから2つのコップに注ぐ。ぼうっとソファに座っている汐見に1つを手渡し、俺自身も定位置に座った。
「これ。冷たくないけど」
「その方がいい。夜から冷たい飲み物はよくない」
「だな、怪我にも……痛みは?」
「大丈夫だ」
(痛みはあると思うんだよな……我慢強いから……)
「……」
「……」
コップを握りしめながら、黙り込んだままの汐見の気配を隣に感じつつ、汐見が何を話そうとするのか待つことにした。
実際、汐見が何を言い出すのか怖くて、その場から逃げ出したい気持ちにもなっている。だが、聞かないといけないのだろうということもわかる。
(俺に関すること? 〈春風〉に関すること? どっちにしても……俺は汐見から何か言われて……汐見が俺から離れて行こうとすることに何か関係してるのか?)
不安がいや増していく俺は、隣にいる無言の汐見から見えない圧力を感じていた。
汐見は、電源が入ってないテレビの真っ黒い画面を見つめている。
「……本当は……もっと早く、紗妃に伝えるべきだったんだ」
一瞬、俺はビクっとした。
(<春風>の話、か……?)
話し始めた汐見の様子を伺うように、俺は顔を汐見の横がに向けた。
「……いや、伝えようとしたんだ……」
焦点の合わない汐見の視線は、メガネ越しにジッとどこか遠いところを見つめている。
「だが、その度に紗妃が……」
(<春風>とお前の間に、何があったんだ……)
「……これは言い訳だな。オレが意気地なしだっただけだ。………少しでも長く紗妃と過ごしたかったから……」
その顔には、苦渋が滲んでいた。
(汐見……お前にそんな顔をさせる<春風>が……俺は、心底妬ましい……羨ましいよ……)
「オレ、お前に言ったよな……家族が欲しいって」
「あぁ……」
(だからこそ、俺はお前を諦めて……)
「それ、撤回するよ……」
「え?!」
(なに?!)
汐見が、胸を上下するほど深呼吸した。
そして、ゆっくりと、告げたのだ──
「オレ、無精子症だったんだ……」
「?! ?!」
「笑えるよな……あれだけ子供が欲しいって言ってたオレが、さ……」
これ以上ないくらいの痛烈な皮肉だとでも言うように、汐見が顔を歪めるのを俺は呆然と見ていた。
何と声をかければいいのかわからずに──
「……紗妃に言わないとな……ってずっと……思っ、て……」
その声には汐見には珍しく嗚咽が混じっている。
(<春風>との子供をあれほど望んでいる汐見に…………)
その事実を知った汐見の胸中を思った俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、れは…………いつ……」
喘ぐように声を絞り出し、俺は汐見に聞いた。
(いつ、そのことがわかったんだ……)
「……今年に入ってから……紗妃に断られるようにな、って……」
歪めた笑顔で俺の視線を受け止めながら、苦しげに告げる汐見。
「元々オレたちは少なかったから……それで……オレ1人で……色々調べて……」
「…………」
妊活は1人ではできない。家族が欲しいと強く願うなら早めに手を打った方がいい。
回数が少ないなら、受精率を上げるためにも対策を練る必要があると聞いたことがある。
不妊の場合、女性だけの問題ではなく、原因の半分は男性にもあると言われている。
(きっと……<春風>のために……負担を、少しでも軽くしようと……)
「機能としては問題ない、らしい……ちゃんと射精もする……」
「……」
「だけど……その、精液の中に精子が無い…………」
ポツポツと語る汐見は俯き加減になり、その視線は俺の視界から見えなくなる。
「……はは……おかしい、よな……あれだけ……オレは……」
「……」
言葉にならなかった。
自分の中で渦巻く感情と記憶と情報が錯綜する中、言葉にする何かを失っていた。
(子供が欲しい、血を分けた家族を作りたいって……お前が……! だから、俺は……!)
汐見が好きで好きで堪らないのに、汐見の願いを叶えるために俺は自分の気持ちを封印し、汐見の伴侶になる<春風>に道を譲った。
それなのに。
(この事実は一体なんなんだ……汐見の子供を産むはずの〈春風〉は不倫して、そのことが発端で汐見を刺して……!)
なんのために俺は汐見への想いを断ち切ったのか。
(汐見自身は、子供ができないって……! そんなこと……!)
悔しさと苦しさから俺は唇を噛んだ。
「さ、最近は、治療で治ることもあるって!」
「……ダメなんだ……」
「え?」
「オレのは治らない……」
「!!」
絶望の声が汐見の口から漏れた。
ごくり、と嚥下する音を自分の喉から聞き、俯き、背を向けた汐見の頭頂部を見ていた。
(俺が、女でも。お前の望みを叶えてやれなかったのか……)
理想と現実が違うことなんて普通に存在する。
だが、汐見が願うささやかな望みすら奪ってしまったその事実に──
(最も伝えるべき<春風>に告げられず、俺にも打ち明けられず、お前は、1人で……踠き苦しんで…………)
そのことに思い至った俺は、切なさのあまり──
──── 衝動的に、汐見を背後から掻き抱いた。
一瞬、汐見の体がこわばったのがわかる。
(汐見! 汐見、汐見!!)
汐見の身体を、こんな風に抱きしめたのは初めてだ。
焦がれて、恋しくて、苦しくて。
でも、手を繋ぐことさえ許されない、そんな関係。
俺よりも体温の高い汐見の身体は────
思ったより小さくて、なのに意外なほど厚みがあって、柔らかくて──俺の大好きな匂いがした。
「っさと……!」
「……汐見、俺で、何か力になれることはないか? ……俺が……」
俺とは違い、泣くことを拒絶しているような汐見に、俺自身が泣きそうになる。
(何か……してやりたい。せめて、お前の支えに……!)
俺がお前のためにできること全てを、お前にやってやりたい。
だから、一人で抱え込まないでくれ。
俺にそれを分けてくれ。
(俺に、頼ってくれ! 汐見!!)
そして──汐見を抱きしめる俺の腕に、汐見が──冷たい銀の指輪が光る自分の左手を重ね、ゆっくりと俺の腕と手を解いた。
そして、俺を真正面から見つめる。
「汐見?」
俺が汐見のその行動に驚いて顔を上げると、哀しそうに笑った汐見の視線とかちあう。
汐見はローテーブルの下に置いてあった自分のボディバッグを引き寄せて、何かを取り出した。
「? 汐見?」
「佐藤、これ、説明してくれるか?」
ローテーブルに置かれたソレは──
「?!」
大きな俺の横顔が、小さな汐見にキスしている──探していた写真だった。
 




