125 - 帰路と岐路(Side:佐藤)
──── Chapter06 ー 佐藤視点(1) ────
弁護士事務所での話が終わったのは午後9時前だった。
満月ほどではないが、月明かりが照らし出した道を2人で歩いていると、俺は汐見と出会った忘年会での帰り道を思い出す。
あの時の俺が汐見に抱いていた感情は『仕事ができる男への憧憬』というただそれだけのはずだった────
気づかれないように少し俯いた横目で汐見の顔を確認する。
どこか焦点が合ってないような脱力した視線で前を見ている汐見の横顔。
(その輪郭に…………触れたい……)
もう汐見の何を見ても『かわいい』とか『良い』とか『好き』としか思えなくて、それを言葉で伝えられないもどかしさで胸の奥がざわつく。
横を歩いてる汐見がまた何か考え事をしてるのがわかる。そして──
(今から、汐見が話したいって言ってたし、それから家に帰るって……遅くなるよな……)
話したいと言っていた内容も気になるが、それよりも俺は汐見の体調の方が心配だった。病院では大丈夫と言われていたとしてもだ。
1ヶ月は筋トレも禁止されてるような状況で、怪我をしてからまだ1週間しか経ってない。
(そうか……1週間か……)
この1週間が濃密すぎてあっという間だったような、長過ぎるような、変な感覚だ。
「オレの顔に何かついてるか?」
「ん?」
「さっきから、チラチラ見てるだろ」
「あ、っいや、体調大丈夫かな、と思って……」
「まぁ、ちょっと疲れたな……駅近くの公園で休んで行くか」
「っそうだな、そうするか」
「あぁ」
なんだったら、近くのホテルに泊まるのでも良いが、そんなことしたら一発で汐見に怪しまれるよな、とか考える。
(いや、ビジホだったら……)
夜はだめだ。邪な気持ちにセーブが効かない。
この月明かりもだめだ。思考が狼になって仕方がない。
俺にとっての汐見は、普通の人間とは人種が異なる。
俺に汐見がどう見えてるか普通の男性目線で例えるとするなら
『他の人には冷たく振る舞うのに俺だけ上手に甘やかしてくれる目力が強いナイスバディ女子大生』くらいに見えている。
汐見にしか反応しない息子がいることからしても──俺にだけ──そういう──性的な──フェロモンを撒き散らしているんじゃないかと思うくらいで……
(……考えるな、俺……無心、無心だ……無心になれ……)
そんなことを考えただけで息子が立つなんてどこの童貞だよ、とは思うが俺にとっての汐見はそれくらい強烈に惹きつけられる魔性を持ってる。
(性的……いや、なんだ……それだけじゃ……性欲だけじゃない…………もっと……強く……もっと、深く……)
説明し難い。だが、強いて言うなら
(もっと深く、結びつきたい……)
そういう感覚。
汐見だけだ。こんな感覚を呼び起こすのは。
今までの誰とも違う。
もっと、深くつながりたい。
内的世界で、精神的に……
心をつなげるために、体でつながりたい……確かめたい。
俺と汐見の間にある確かな絆を。
そう考えるようになって、どれくらいになるのか……
(……こんなの、もう友情じゃないだろう……)
友情じゃないとすれば、これはなんだ。
その先は何だろうと考えて、やっぱり行き着く先はそこだった。
(汐見の大事な、なんらかの存在になって……汐見の心も体も、俺のものにしたい……俺自身も……汐見のものになりたい……)
ゆっくり歩いていた汐見が横を向いて俺の顔を覗き込んでくる。
「佐藤?」
「あ?」
「さっきから、どうした?」
「何が?」
「黙ったままだからさ」
「あー、と。あのさ」
「? なんだ?」
「今日、家に帰るの、中止にしないか?」
「? どういうことだ?」
「あ、いや、今日まで俺の家に泊まってけよ。その、今からお前1人で家に帰すのが心配で……」
「……相変わらず心配性だな」
「いや、夜1人で歩いて帰るのは危険だぞ」
「……男のオレがどう危険なんだよ」
「男とか女とか関係ないって。その、とにかく、心配だから……な?」
「……」
汐見が不審な表情をしているのがわかる。
俺は昨日から汐見の態度に少し違和感を感じていた。
何か遠慮気味というか、俺が世話しようとするのを妨害するというか────
(いや、それが普通か? 普通……『普通』ってなんだ?)
あまりにも自然に俺は汐見の世話をしていたし、汐見も俺の世話をするもんだから、もう『普通の男同士』の付き合い方がどういうものなのかわからない。
そもそも汐見しか眼中にない俺に、汐見に対する対応で『普通』を求められても困る。
だが、汐見はきっとそれを望んでいる。
『普通の男同士』の間柄を───
(俺は……お前とは違う……ごめん、汐見……だけど……)
思うくらいなら、良いだろう?
もっとお前を感じていたい。
お前を困らせたりしないから。迷惑にならないようにするから。
(だから、まだ、そばにいさせてくれ……頼む───)
ライトに照らされて多少は明るい公園に着き、空いてるベンチを探していると。
「佐藤、お前……何か言いたいことあるんじゃないか?」
「え?」
後ろから声をかけられた俺は驚いて立ち止まって振り返った。
汐見が、なんの感情も浮かべずに俺を見ている。
(え、なん、の……話……)
「……隠し事、ってか……言ってないこと、あるんじゃないか?」
「! ど、どういう……」
(な、な……なに、なにが……)
内心の焦りが声に出た。
ドクドクと心臓が脈打ち始め、耳の奥からキーンという音が聞こえてくる。
汐見がじっと俺を見上げている。真剣な眼差しに射抜かれる。
その視線になんの意味もないはずなのに、汐見に見つめられ慣れてない俺は、その表情と視線に自分の心が丸裸にされていくように感じられた。
(しおみは……ちがう、しおみは……知らない……)
だが、好きな人の顔を正面から見返した俺は心底思ってしまう。
(あぁ……好きだ……! 汐見…………!)
俺は、自分より少し低い汐見を抱きしめたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
「やっぱり……一旦、お前の家に戻ろう。オレが自宅に帰るかどうかも含めて……話をしてからだ」
「話、って……」
「公園でするような話じゃない……オレの話もだが、お前の話も聞きたい」
「汐見?」
そう言った汐見はスッと視線を外し、また真っ直ぐ前を見て歩き出す。
その背中はそれ以上の会話を拒否しているように感じられた。
結局、俺たちは俺の家に着くまで2人揃って一言も話さないまま連れ立って歩いた。
歩きながら、俺はずっと考えていた。
汐見のいう『お前(俺)の話』がなんの話なのか、わからない。
(……何か、疑ってる? ……なにを……俺の相手のことか?)
俺は『相手が結婚する前から片想いで、結婚した後でもまだ諦めきれない』としか伝えていない。
その情報だけでは、誰だかわかるはずがない。それに──
『お前が知らない人だよ』
その一言で、きっと汐見は、俺の片想いの相手は自分が見知らぬ人間だと思ってるはずだ。
(『男だ』って話も、していない……)
汐見の家で『自分の片想い』の話をした時、俺は慎重に言葉を選んだ。
間違っても、汐見が気づかないように……その反面、気づいて欲しいと願いながら。
でも──
(気づいていない、だろう?)
気づいて欲しいと願いながら、でも気づかれたくないとも思う。
この矛盾した本心の正体は、自分の中の醜悪さが汐見に露見することへの恐怖と、今すでにある居心地の良い親友という立ち位置を失うことへの、二重の恐怖だ。
(お前の中で俺は、同僚で、親友で、でもそれ以上でもそれ以下でもない。それ以上だとは思っていない、だろう……?)
汐見が友情以上の何かを求めてくることはないだろう。
俺が一方的に求めているだけだ。
でも友情と愛情にどれだけの違いがあるんだ?
俺が求めているものは友情の延長?
だが、同性の友人相手に性欲を感じるだろうか?
そもそも俺はゲイじゃない。
汐見と出会うまで、汐見への片想いを自覚するまで、性的欲求を感じるのは女性だけだった。
でも、彼女たち相手に本当に性的欲求を感じていたかどうか、いまいち自信がない。
ただ単に汐見以外の『男の裸体を見ても特に興奮しない』からそう思うだけだ。この状態? この感情? をなんと言うのか知らない。
だけどまた、もうこの1年くらい、汐見以外とつながりたいと思ったことは一度もないのも事実だ。
(触れたいと思うのも……汐見だけだ……)
触れそうなくらい近くにいる汐見から発散する、温度と匂いを感じるだけで俺は癒されるし安心する。もちろん性的に興奮もする。
だが、気づかれるとまずいような状況のときは、全理性をかき集めてその衝動を必死に抑えるのだ。
さっき、汐見は『公園でするような話じゃない』と言った。
(どういう話なんだ?)
『俺の隠し事』って、お前、本当にわかって言ってるのか?
(それともまた勘違いしてるのか?)




