123 - 弁護士事務所(13)
池宮は気まずそうな表情をしてしまった佐藤と汐見を見て、少し笑う。
「いや、お2人が考えてるようなことではないんです。彼女は、勤めている弁護士法人のニューヨーク支店で仕事をしていて、結婚直後から1年の半分は向こうで仕事をしていたんです。ですが2年前位からその支店を任されるようになって、年に数回帰国するだけになってしまったんですよ」
思った以上にハイスペックすぎる池宮妻の状況を聞いて、汐見と佐藤は唖然としてしまう。
佐藤はたまらずに、つい聞いてしまった。
「池宮先生はそれでいいんですか?」
「? 何がです?」
「い、いや、奥さんと暮らせないって……」
佐藤は思う。
自分だったら結婚するくらい好きな人と暮らせないなんて、ましてや直接会いに行くことすら気軽にできない距離で離れて暮らすなんて考えられない。
(汐見がそんなことになったら……俺だったら……)
考えただけで胃に込み上げてくるものがある。
好きな人に直接会えない日々など考えたくもない。
「結婚する際の唯一の条件が、彼女がやりたいことを邪魔しないこと、だったんです」
「「……」」
それを聞いた佐藤と汐見は沈黙するしかなかった。
答えている池宮の寂しげな表情だけで窺い知ることは難しいが、本人にとっては不本意な決断だったように見える。
「その、離婚しようとは?」
「よく言われます。……私たち夫婦の日課は、彼女の昼休みに合わせてビデオ通話することなんです。自宅までこの事務所から徒歩10分で。時差の関係で、帰宅してからビデオ越しに彼女から向こうでの話を聞くのが楽しみで遅くまで仕事してるようなものです」
「……」
この、どうやらクソ真面目という形容詞が似合う池宮という男は妻に対して何の疑いも持たず、仕事だけの日々を送っているようだ。
(汐見かよ……)
池宮の姿を見て汐見自身も似たようなことを思っていた。
(仕事と妻以外、眼中にないってことか……仕事に比重が重い分、オレの方がワーカホリックとしては重症かもしれないな……)
「その、直接会いたい、とか……思わないんですか?」
佐藤は自分だったら、と考えた疑問を更にぶつけた。それを受けた池宮は顎を右手で摘むと
「それはそうですが……でもそれが彼女のやりたいことなら……私は応援するしかないでしょう」
思った以上に強い意思を持った池宮の答えに、佐藤と汐見はもうこれ以上突っ込むことができなかった。
「まぁ、私の話はもうこの辺にしましょう」
池宮はそう言うと、冷めつつあるコーヒーを飲み干してから汐見に聞いた。
「汐見さんはどうされますか?」
「は?」
突然、池宮から質問を返された汐見は一瞬変な声を出した。
「紗妃とのことです」
「え? どういう」
池宮は『判例六法』と書かれた分厚い六法全書を手元に引き寄せてパラパラめくった。
「紗妃の不貞行為は確定しているので、民放770条1項1号(※1)の『不貞行為』を理由に汐見さんから一方的に離婚することができます。……あと、4号にも該当しそうですが……まぁ、今回の問題とは別ですし……」
この時、佐藤が今回の一件からずっと考えていた疑問を池宮にぶつけた。
「あ、あの! 離婚って、たしか夫婦お互いがちゃんとそういう判断ができる能力がないとできない、って聞いたんですが……」
「ああ、『意思能力』の有無ですね……まぁ、これは向こうにいる妻と相談して決めたいのですが……」
「?」
手元にあった封筒──先ほど見た『春風美津子の遺言書』──に手を触れながら池宮が言った。
「私が紗妃の『成年後見人(※2)』に選任されれば問題ありませんよ」
「「?!」」
5章:──── 三人称視点<3> ──── 終了
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※1:民法770条1項1号
・第七百七十条(裁判上の離婚)
夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
1:配偶者に不貞な行為があったとき。
2:配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3:配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
4:配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
5:その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
※2:成年後見人
認知症、知的障害、精神障害などによって判断能力が十分ではない方を保護するための制度。本人の意思を尊重し、かつ本人の心身の状態や生活状況に配慮しながら必要な代理行為を行うとともに本人の財産を適正に管理する。
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