120 - 弁護士事務所(10)
「中学に上がってからの紗妃は頻繁にお金持ちになりたいと言っていましたね……」
池宮は遠い目をして苦笑いしながら話す。
「誰から聞いたのか知らないんですが『女の幸せは、一生安心して暮らせるだけのお金を持ってる男性と結婚することなの』というのが、あの頃の紗妃の口癖でした」
「「……」」
その話はつい最近聞いたことがある、と佐藤と汐見は沈黙してしまった。
池宮はまるで無邪気な子供から人生訓を諭された時の大人のような表情をしていた。
「彼女が言う【お金持ち】がどういう意味だったのか知ったのは、吉永氏の一件を知ってからだったんですが…………」
重苦しいため息をついて、池宮は続けた。
「……紗妃は、そんな娘じゃなかったんです……私が知る紗妃は……」
目頭を押さえた池宮は呻くように呟くと何か思い巡らせているようだ。
(この人は……紗妃を……)
汐見は拭い去れない疑念を池宮に抱く。
それに気づいているのかいないのか、池宮は淡々と続けた。
「高飛車にあんなことをよく言ってましたが、それでも中学までの紗妃は……素直で、とても良い子で……彼女は『ら行』の発音があまり上手く言えなくて小学校低学年くらいはそれでよく揶揄われていました」
突然できた妹のような存在に戸惑いながらそれでも池宮秋彦は紗妃の面倒をよく見ていた。仕事で帰りが遅くなることが多かった自分の母と同様、紗妃の母もよく遅くなるため心配した池宮の母が、秋彦に面倒を見るように伝えていたからだ。
それ以降の紗妃は、学校から帰宅後は池宮の家で母を待つようになった。留守番の間、紗妃は発音の矯正や苦手だった漢字の読み書きや算数の計算などを秋彦に指導してもらうことで人並みにできるようになった。
母子家庭だった春風母娘にとっては正に渡りに船で、彼が家庭教師がわりに指導しなければ紗妃の学力は低下の一途を辿ることになっていただろう。
「その代わり……と言ってはなんですが、逆に私は美津子さんに勉強を見てもらったんです。美津子さんは大学時代に高校生の家庭教師のバイトをよくやっていたらしくて、教え方がすごくうまくて。その頃……引きこもりがちだった私の目を外に向けてくれたのも美津子さんでした」
今はすでに亡き人を語っているからか、池宮の目には少し水滴が浮かんでいる。
「あの……池宮さ……先生は、紗妃をどう、思って……」
聞きにくいが聞かなければならいだろうと汐見は思った。
この文脈だと、汐見が予想している通りになりそうだとも────すると
「紗妃を? ……どう、とは……??」
「……」
なぜそんな質問をするのだ。と言いたげな変な表情と口調が返答で返ってくる。
(遠回しすぎたか?)
直接的に聞いた方がいいかどうか考えあぐねている汐見に代わり、耐えかねた佐藤が思わず突っ込んだ。
「紗妃さんに、その、妹以上の感情を感じたことは……なかったんですか?」
「? 紗妃に?」
「はい」
池宮が今度こそ愛好を崩した。
「あぁ……なるほど、そういう……ないですよ。彼女は初恋の人のむす…………」
「え?」
「は?」




